7世紀中頃、倭(日本)が朝鮮半島に出兵し唐と新羅に大敗した「白村江の戦い」の後、九州北部の防衛線の一つとして大野城が築かれました。
1.大野城跡
現在の宇美町と大野城市、太宰府に跨って山全体に大野城が築かれました。
ここは山城の南側、太宰府口から上った場所にあります。
2.大野城跡の説明
大野城は太宰府を防衛する最前線の防衛拠点だったようです。
3.焼米ヶ原
食糧庫に保存されていた兵糧米が炭素化した物がたくさん発見されたので、この名がつけられました。
4.太宰府市の景色
展望所からは南側に太宰府市が一望できます。
5.国営九州博物館
大きな屋根の九州国立博物館が見えます。
6.県民の森の案内
宇美町と大野城市、太宰府に跨るる山地が県民の森に指定されています。
撮影:CANON EOS RP + RF24-105mm F4-7.1 IS STM
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