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弥生時代の初めのころの日本最古級の稲作集落跡です。現在は「やよいの村」として溝で囲まれた集落や水田が復元され市民に開放されています。
1.板付遺跡環濠集落入り口
板付遺跡環濠集落は1951年からの発掘調査で初めて環濠の存在が明らかになりました。
2.二重の環濠
Ⅴ字型に掘られた環濠は当時は幅約6m、深さ3m以上で両側に掘削時の土で土塁が設置されていました。
環濠に沿って食料などの貯蔵穴も多数発見されています。
3.村の広場
広場を囲むように竪穴式住居が復元されています。
4.松菊里型住居
板付遺跡では弥生時代初期の住居跡は発見されなかったそうで、粕屋町の江辻遺跡の発掘例を参考にして復元されました。
韓国の松菊里遺跡で発見された竪穴住居と同系のものです。
5.板付弥生のムラ案内
ムラの墓地は環濠の外側に共同墓地が発見されていますが、子供の墓が環濠のそばに発見されたそうです。
6.板付遺跡環濠集落の説明
7.復元された水田
水田跡は住居跡より後の1978年に発掘されました。
東西を南北に流れる川で挟まれた高台にムラがあり、ムラに沿って二つの河原を水田でとしていました。
稲刈りは石包丁を使い穂の部分だけを採取し、茎の部分は残していたようです。
8.復元水田の説明
水路や水量を調節する井堰・畦畔を備えた高度な土木技術を持っていたようです。
撮影:CANON EOS RP + RF24-105mm F4-7.1 IS STM
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