ぐうたら主婦 きっとの暮らしと遊び

ヘタレな主婦の山歩きとぐうたらな生活の中で思ったことなどを書き連ねてみました。

ココゥエル ココナツオイル2

2015-01-30 20:42:20 | 使ってみた
ちっとも知らなかったけれど、テレビでココナツオイルを放送したらしく
会社でもその話が出た。

あたし、去年その話してたんだけど誰も関心なかったみたい。
で、自分も冷蔵庫に入れてあったのを取り出して、ガシガシと削って
久しぶりにコーヒーに入れて飲んでみた。
やはりおいしい。
しかも、まあお通じのよいことったら!
朝、なんか変わったもん食べたっけ?
と思わず考えてしまったほどだ。

常温だとほんとにオイルって感じの液体だから蓋を開けた瞬間こぼしそうになるけど
冷蔵庫に入れておけば氷砂糖みたいな色に固まってこぼれない。
そこでスプーンでガシガシ削ってから使う。
先日の朝、トーストに塗りたくって食べてみたらほのかな甘味がおいしかった。
全然油っこくなかったし。
本当は50度C以下がベストだと聞いたけども、熱いコーヒーに入れても問題はないそうだ。ココアだったらもっとうまいかも。
しばらくココナツコーヒー続けてみることにした。

フタアミンhiクリーム2

2015-01-30 20:32:11 | 使ってみた
先日買ったばかりのこのクリーム。
相方は調子よさそうで、頻繁に痒くなることがなくなったようだ。
私もきょう会社で「なんか、きょうお肌がきれーだね」
とか言われてしまった。

てーやん先輩は冬になると長年しもやけ、ひび、あかぎれに悩まされているので
(ありとあらゆるクリームなどを使ったらしいし、ビタミンEも飲んでいる)
きょうは小さな入れ物にこのクリームを入れて会社に持って行って渡した。
「ちょっと使ってみてよ。においも全くないしお湯を使って洗い物しても
手がガサガサにならんよ、わたし。少しは役に立つかもしれんで。)

と言って。

結果は月曜日のお楽しみということで。

「長養院の歴史」という本

2015-01-30 01:16:13 | むかしむかし
この本、どなたか知りませんか?

数年前、一瞬ネット上で見つけたのですがあっという間に姿を消してしまった。
東栄町下田の長養院の先代が書いたもので、今では寺にも残っていないとか。

この寺の歴史を調べると戦国時代も別の角度からよくわかりそうな気がしていた。
そもそもこの下田地区の名前さえも、昔昔伊豆の下田からこの地にやってきた住職と
一緒にやってきた人々が住んだと言われる。
よって、この土地に代々住む人たちのうーんと大昔のご先祖の過去帳は伊豆の下田の
寺にある、と先代の住職からは聞いていた。先代は非常に熱心に調べている方で
自分が話を聞きにいった時には、いろいろなことを話してくれたが
しまった、記録をとっていなかった。
しかも今から30年近い昔で、まだ本も出されていなかったと思われる。

その後私も結婚したり出産子育てでバタバタしていたら、
おっさまが急死されたと随分たってから聞いた。
「もっとしっかり話を聞いときゃよかった」
と今さらながら思う。
ただ、当時話の中心は伊豆から移住してきたこと、曽我兄弟の墓が寺内にあること
などだったと思う。曽我兄弟については
「どっかで聞いたことあるけど、何だっけ?」(失礼)
程度にしか知識がなかったので、聞き流してしまった部分も多い。

戦国時代については別所城の伊藤氏が武田信玄の家来であったので云々としか
聞けなかった。しかし、伊藤氏が武田方であったということは
武田家の重臣、家臣がこの地を通って落ちのびていくこともできただろう。

しかも一説によれば光圀舜玉和尚は武田信玄の父信虎の兄弟?叔父?
であり、そのような和尚が伊豆からはるばる移ってくるとなれば
武田家からある程度の家人だったり、護衛だったり、家来だったりが一緒に
移ってきても不思議はない気がする。

なんだか無茶苦茶な考えかもしれんけど、今となっては聞きようもない。
現和尚はそういうことはあまり詳しくないようなので残念だ。
新城市にある「風は山河より」に登場する古刹とも深い関係があったようなので
そちらから調べれば何かわかるかもしれない。


もっとしっかり聞いときゃよかった。
本当に残念。

退却コース

2015-01-29 17:42:21 | むかしむかし
むかし話のお師匠さま、と言うと叱られるかもしれない。
が、お師匠さまのブログを読みながら
ちょいちょい頭に浮かぶ疑問について考えていた。


「勝頼公が長篠戦から退却していった時、どのルートを通ったのか?」

ずーっと浮かんでは消え、浮かんでは消えている。
勝頼公の前備えであった望月氏(勝頼のいとこ、北信濃の望月氏へ養子に出た)
は柴田勝家に攻められて落ち延びるのに、東栄町の御園地区から峠を越えて
豊根村に抜け(豊根村役場の裏に延びる旧道は、そのまま信州新野への近道となっている)
信州経由で帰ろうとしたのだろう、と思われる。
伊那高遠は勝頼のかつての居城であり、武田の領地であったこともあるし。
もっとも昔の道はほとんど尾根道ではなかったかと思えば、旧道でさえも遠回りに
なるかもしれない。
しかし、豊根から新野に入ると馬頭観音やお地蔵さまが街道沿いにたくさんあるということは遠い昔から街道であったのではないかと思わせる。


ところで勝頼公は田峯城に立ち寄ったものの拒否され、やむなく武節城(稲武町)で
休憩したあと退却していった、とさまざまなところに書かれているが、

田峯城ー武節城のルートがどうしてもわからない。
今現在ある旧道、新道からはちょっと考えづらい。
武節城からは根羽村に抜ける中馬街道が現在の国道と平行するように走っていて
そのまま行けば無難に帰還できたのかもしれない。

明治生まれの祖母がいつも子供たちを寝かせるとき
「さあ、根羽ねへ行くぞ」
と言っていたことを思い出した。

「根羽ね」=根羽 =「武田信玄終焉の地、とも言われる土地」=「寝場=信玄が寝付いて亡くなった場所」???
(信玄は設楽町田口の福田寺で亡くなったという説もあり)
「根羽ねってなんだ?」
とよく疑問に思っていたが、まだまだ若かった自分はそのままにしてしまった。
大事なことを聞き忘れたと今になって思う。残念なことをした。
最近、というかちょっと前に「はっ、」と。
ひょっとしてそうなんじゃないか、そこから来てるんじゃないだろうかと
思い至ったりして。

そして勝頼公は父信玄の終焉の地を通って落ちのびてったのではなかろうか・・・。

また妄想してしまった。

ただ、武節城からは恵那(美濃)も高遠もどちらも行けるんだなあ。
実際車で走っても実感している。
毎回言うが尾根道を行けば、現在の国道を走るより最短距離で行けそうだ。
何だかまとまりません。

フタアミンhiクリーム

2015-01-28 15:51:04 | 使ってみた
師匠のブログにさらっと質問に答えるかたちで「いいです」
とあったので注文してみた保湿クリーム。
相方が肌の乾燥に悩まされていることもあり、
アロエキスもなくなりそうなので、ちょうどよいかと。

成分は 有効成分・ビタミンE・グリチルレチン酸
保湿成分・ホホバ油・卵黄油

香りはなし、さらっと伸びてべとつかない。
敏感肌にもよいらしい。
効能は、肌荒れ。あれ症。あせも。しもやけ。ひび。あかぎれ。
あといろいろ・・・

ローションもあったが、よさそうだ。
KOSEの肌極みシリーズは高いので(肌にはいいのだが)
これでお肌が調子よければ安いものです。

値段は送料込み130㌘(結構たっぷり)1650円也。