日本外務省の念頭にあることは、
訪日云々よりも、
ミャンマー外交での成功事例
と
中国孤立化の失敗×二回
でしょう。
「日本の対ミャンマー支援」国際協力機構(JICA)ミャンマー事務所長 田中雅彦
(日本貿易会月報2014年5月号(No.725)
(日本貿易会月報2014年5月号(No.725)
JICAの対ミャンマー支援の歴史JICAの対ミャンマー支援は、援助機関の中でも、際立つ存在である。過去半世紀以上にわたり、日本はミャンマーへの支援を継続してきたが、軍事クーデターによりミャンマーが軍政下に置かれた1988年以降、世界銀行、アジア開発銀行(ADB)、欧米諸国は援助から撤退したが、JICAは一度も撤退しなかった。円借款は中断されたものの、特に人道支援分野(保健、農村開発など)や人材育成分野では、継続して支援を行い、毎年400人近いミャンマー人の留学生、研修生を受け入れてきている。ミャンマー政府の現役の大臣の中にも、日本留学経験者がいる。
そして、2011年のテイン・セイン大統領の就任で、ミャンマーは大きな節目を迎えた。日本の対ミャンマー支援は急激に増え、無償資金協力では2012・13年度共に世界一の規模に達し、円借款、技術協力も急激に援助額が増えた。現在、日本の支援は他のドナーに比べて格段に大きな規模となっているが、これは、これまでの日本の対ミャンマー支援の歴史とミャンマー側の日本に対する期待の結果でもある。
このように日本は、
日緬関係を絶やさず、地道に働き続けた結果、
アウンサンスーチーの国政復帰を手繰り寄せるに至った。
ちなみに、六四天安門事件に起因する経済制裁は、空振りに終わった。
そして、六四天安門事件後の日本政府の動きは、
に詳しい。
中国を孤立化させるべきではない、
という考えが日本政府内部で共有されていた(まぁ、国家承認までの数十年間もの期間、孤立に生き延びていた国、という事実も念頭に置くべきでしょう)。
追記。
5月28日 秋葉剛男外務事務次官から孔鉉佑駐日中国大使への申入れ
1 5月28日,秋葉剛男外務事務次官は,孔鉉佑(こう・げんゆう)駐日中国特命全権大使を召致し,以下を申し入れました。(1)我が国は,今般,全国人民代表大会において,香港特別行政区に関する議決が,国際社会や香港市民が強く懸念する中でなされたこと及びそれに関連する香港の情勢を深く憂慮していること。(2)香港は,我が国にとって緊密な経済関係及び人的交流を有する極めて重要なパートナーであり,「一国二制度」の下に,従来の自由で開かれた体制が維持され,民主的,安定的に発展していくことが重要であるというのが我が国の一貫した方針であること。2 これに対し,孔大使から,本件は中国の国家安全に関わる事項である等,中国側の立場を述べたことを受け,秋葉次官から改めて我が国の懸念を伝達しつつ,中国側の適切な対応を求めました。
・政務三役が一切登場していない。
中国政府への刺激を最小限にする狙い。
・「遺憾」「抗議」よりも、トーンの緩い「深く憂慮」を使用。
中国側のメンツを潰さない言葉選びの跡。
日本の対応が、EU圏と比べるとはるかに緩いことは、明白。
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