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詭弁をサクッと切り返してみよう。対・独裁者「大村秀章」シンパ編 その七(無価値にしがみ付く連中)

2020-08-23 21:50:23 | 独裁者・大村秀章
のつづき。

美術界の審美眼に従うと、

「表現の不自由展」-"statue of peace"≒0

です。

表現の不自由展で唯一、美術界の審美眼に適う作品"statue of peace"を引っ張り出しても……
表現の不自由展に付きまとう
「セクト」ぶり
適正手続への唾棄
への反論には、ならない。

ていうか、"statue of peace"の続編への言及しない不可思議さ。
関連、


リコール署名を呼び掛ける行為は、
表現の自由が想定する行為。
表現の自由の意義その一「民主制の道具」を重視すると、
あいちトリエンナーレ・表現の不自由展よりも、
リコール署名のためのアピール活動の方が、
はるかに直截的。

しかし、
表現の自由の意義を理解出来ていない人々は、
などと条件反射(それにしても、ヴォルテールの格言を引いて、その格言と正反対のことを言い出すとは……。)。
これは、思考停止やセクト化の証左です。
関連、

コロナを口実として表現の自由を含む政治活動を制限する動きは、世界各国で盛んです。
ベラルーシやカンボジアのように、その流れに乗れる、とでも思っているのでしょうか。それとも……「独裁者・大村秀章を支持する悪人たちには透明に見える」マスクを、リコール署名をアピールする方々が着用しているのでしょうか。
愛知県知事・大村秀章は「コロナは大変ではない」という雑な認識だからこそ、愛知県は名古屋市に対して8000万円よこせ、という訴訟を提起した(裁判所に掛け合えば、期日の延期も可能ですよ)。 愛知県知事・大村秀章の認識に従う限り、リコール署名のためのアピールを妨げる口実として新型コロナウィルスは使えないよ。
「当該作品を見てないのに」という妄想に基づく記述。

肖像の焼損は、古今東西問わず、
「肖像に描かれている者を唾棄・侮辱する」
という意味を伴う象徴的行為。
これは、政治空間だけでなく、美術界にも共有されているプロトコル。

肖像の焼損を上書きできるだけの「美術上の意味」は、あの作品には存在しなかった

作者が未だに、昭和天皇コラージュ事件を引きづっている

という点を除いては。

 一方、赤瀬川原平の千円札裁判では、
赤瀬川原平による千円札の印刷に、
印刷の意味を問い直す美術上の意味があった。

言うまでもなく赤瀬川原平は、愛知県立旭丘高校出身(東海地方随一の進学校、京大法にも同校出身者が何人もいました)で、河村たかし市長から見れば、高校の大先輩。
おそらく、
無名高校出身の大村秀章は、
赤瀬川が「愛知県立旭丘高校出身」であることを理由に、美術史・司法史に残る作品を外したのでしょう。
関連




あの千円札を「本歌取り」して、
は作品を作っている(つまり、森村があの千円札の聖徳太子に化けたのです。ただし、HP上には掲載されていません。画集を買いましょう)。

しかし、森村は、昭和天皇コラージュには手を出していない。
(http://www.morimura-ya.com/category/gallery/requiem/ にある通り、三島由紀夫や毛沢東には、化けたのに。)

そもそも、赤瀬川原平を排除した表現の不自由展では、
美術上の意味を示唆できる作品は、"statue of peace"のみだった。それは必然でした。
という詭弁に少々。
その基金の支出、現代美術に関しては事実上、
独裁者・大村秀章のお友達天野一夫によるフリーハンドです。

参考、

つまり、キックバックさせ放題です。

県監査委員による監査も、
にある通り、形式的。
恣意的判断の入り込む余地だらけ。



 #大村知事のリコールを支持します


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