理論先行か反理論先行か:稚拙なお話で申し訳ないですが・・・

2009-05-24 | 自然科学
私が生み出したわけではない。

抽象的なレベルで言うなら、D=1の関係はそこに既にあったものです。

”δ=0にしたいから、物質を選択加工して、そういう装置を作った”

となると、これは真の発明ですね。

そう考えると、試作して、装置化しないと、説得力が
人に対してないとか言う前に、自分自身が納得できないじゃないですか!
設計者がアイデアに気づいても、特性が予想通り出るまで何度も試作を繰り返しますよね!それって、自分が納得したいという、脳の自然で強烈な作用ではないでしょうか!?

そうです!
そういう意味で、
弁理士さんや担当スタッフさんの言ったことは的を得ている!!
と、
そういう風に、新しい豊かさをもって
私は認識し直し始めました。

拙い話で申し訳ないです。でも
単なる自己防衛的な話では、お恥ずかしい。

と思えるようになる私はまだまだ頭が若いんだな・・・と少し安心?!

「実験機器の哲学 物のかたちをした知識」デービス・ベアード著 松浦俊輔訳 青土社
を昔かって読んだことが気になっていて、そう気づきました。

もう一度この本、読んでみます。

基礎となる技術は既に物質化・装置化が成熟していて、その使い方の応用技術程度のこと・・・とは言えども、
理論が先行して、安心して、そこに既にあった特性を出して利用できるのです。
CMOSが喜んでくれる使い方、設計者が気づいてないだけで、見えてないだけで、
でも、そういう特許が既存の成熟した技術基盤の上ではほとんどじゃないでしょうか?!
だけども、その技術基盤の上では、
理屈や式だけだから怪しいアイデアであるという偏見を持つことだけは、
やはり間違っていると思います。まったく技術基盤がないときは、
怪しいというよりも前に、本人が一番、本当かどうか知りたいはずよね!!
それもその場合密かに・・・・下手に公開するはずない!!
喜んで公開主張するなんて行動は、
所詮既存の成熟した技術基盤を元にした応用だからできるんですよ!!!

ところで、閑話休題。

前回言ったように、どうやら反理論先行にも豊かさが内在しています。

人間は理論どおり生まれてきたのでしょうか?それとも、偶然でしょうか?
偶然出来たこの世界を大切にしないと、科学者の脳も含めた意味での「自然」の成り行きに任せると、喪失するものが大きいのでしょうか?

それはまた別問題です。とても大きな問題かもしれません。
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2 コメント

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? (?)
2009-06-06 01:13:44
あんた馬鹿?
返信する
?? (halu)
2009-06-06 02:37:51
悩める中学生。といったところです。
返信する

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