多津子 今頃いいママしていたろうに。

2014-09-06 21:02:06 | 日記

南の島から 新入生が一人入ってきた。

確かに 南の島だから 色は黒いほうであるが、目元がすっきりしていて

背丈も170戦地ほどあり モデルさんのような美人である。

ほんとに素直で 明るい娘。間をおかずクラスの人気者になったが

さすが島の娘。大人である。よほどしつけがいいのだろう。

言葉使いが 正しい。話をしていて相手を愉しませる。純なんだろう。

おんなの先生に頼み込んで下宿に就けてもらった。

「先生、私お医者さんの奥さんに成ろうと思うの。」

「えっ、であてでもあるの。」「私のいとこが医学部に通っているの。」

「それでね、対代のほうはしょくもつ栄養家に進みたいの」

「おッそれはいい。結婚式には きっと私も呼べよ。」

ところが 途中で気が変わったようだ。

「やっぱりスポーツマンがいいわ。」

かのじょが選んだのは全日本のバレーの選手であった。

めでたく結婚し福岡で暮らすことになった。あの子ならきっと皺早生になるはずだと思った。

暫く志から かのじょの友人で やはり福岡にいる友達から電話が来た。」

かのじょは泣きじゃくりながら「先生 多津子が自殺した。」

私も声が出なかった。震えてきた。

二週間ぐらいたったころ主人は鹿児島出張を告げた。

「行っていらっしゃいと明るく送り出したのだろう。」

夕方 もうチェックインしたかなと思って ホテルで電話を入れてみた。

「はい 先ほど 奥様とチェックインなさいました。」

かのじょは その瞬間にすべてを失ったと思ったんだろう。

このうすのろ男は 島娘の純情を知らなかったのだろう。

最近こんないい加減なスポーツキャスターなんか ごろごろしているのに。

そんな予備知識を教えなかった私も罪があると思った。


肩書きはものを言う。

2014-09-06 20:39:40 | 日記

県の教育委員会の申し入れがあって「生徒の進路について」というテーマで

父母の会で話をして欲しいという依頼があった。

聞くと、県下各地区より2000名ぐらいになるということで お断りするつもりだったが

校長命令であれば 致し方ない。

私が勤務していた学校は4000異常の生徒を抱えていたから 人数の多さには

慣れているツモリだった。

しかし、よくよく考えてみると 私ごときの講演を ほんとに聞いてくださるものだろうか不安であった。

結果は 創造していたより 気持ちよく受け入れていただいたと思った。

家に帰って「今日はこんなことがあってね。」という話をすると それを聴いていた父親が

肩書きがあるからだよ。と助言があった。「どんなことね。」と問いかけると

お前に何の肩書きもなかったということを想像してごらんよ。見ず知らずの人の

話を 当初から誰が熱心に聴くものね。」というから なるほどなあと思った。

父の紹介で 報徳会の門をたたき 公集会に参加した。

「人は肩書きによって生かされていることがおおいんだ。」この報告は

次の機会で。