私が 学校の職員として 採用されたのは 昭和25年戦後まもなくのころである。
今思えば 日本貧しかったなあ。国土は米軍の無差別爆撃で 無惨な様相であった。
国 敗れて 山河あり。惨憺たるものであった。急増のバラックの中に 帰ってきた
生徒を押し込んでの 教育が始まった。
卒業していく 性と立ちに職を探し、自立する手助けまでやらなければならなかった。
勉強さえ教えておけば 給料もらえるとゆう時代ではなかった。
リクルートという会社が現れたのは それから暫くしてからである。
どんな仕事でも 人が避ける仕事でも 食い扶持に預かるのだったら
という気持ちで生徒たちも 頑張った。
クラスの生徒たちに 将来自立して商いをするという生徒がほとんど全員である。
だから、彼らの職業観は今日とは随分と違っていた。
東京に職探しで出張したのも そりころだ。米と木炭持参でないと 宿泊も
できなかったことも有った。東京もすごい荒れようで、上野のお山から銀座まで
みとおせた時代だ。
創業期の社長さんたちとも お付き合い願った。イトーヨーカ堂の社長さん、夏の暑いとき
せまい事務所で、腕まくりして陣頭指揮していた。
代不お世話に成って 石油ショックのとき採用取りやめられたときも 本校と北海道の学校
二校からは採用指定ただたことがあった。
今、テレビを見ながら万感の思いがする。