虹色オリハルコン

命にエネルギーを与えるパワーの力

命からエネルギーを奪うフォースの力

どちらを選ぶかは自分次第

成人の日おめでとう

2011年01月10日 | 子ども・子育て

今日は、関東は全体、寒いけどよく晴れ渡った青空です。
息子が生まれた20年前のその日、朝から雨が降っていました。ほんの10分ほど、雨がやんで光が差してきたその時、息子は生まれました。
その日生まれた産院の新生児室には5人の赤ちゃんが・・・体温が低くて、息子だけ保育器に入れられて、ちんまりと眠っていましたっけ。

多くは望みませんでした。ただただ、やさしい人になってもらいたい、人の痛みをわがことのようにちゃんと感じられる人になってもらいたい、と願って育て、そのようになってくれたこと、ありがたく思います。

成人の日、おめでとう。
夢をかなえるため、精進してください。

息子と同じ年に生まれたみなさん、二十歳になって大人の仲間入り、おめでとうございます。
人にはそれぞれの、持って生まれた役割があります。
どんなつらい立場でも苦しい状況でも、この世に不要な人などいるはずもありません。
どうぞ、あなたの場所で、あなたのやり方で、あなたの役割のように、この人生を苦しんだり困ったりしながら、あなた自身の魂を磨き上げ輝やかせてくださいね。

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マザリーズで、ママの脳は活性化

2010年09月16日 | 子ども・子育て
赤ちゃん言葉、母の脳活発に=産後うつの診断に応用も―理研(時事通信) - goo ニュース
 (8月10日)

 「あんよ」や「ねんね」など、大人が赤ちゃんに話し掛ける際の高い声でゆっくりとしたリズムの話し方(マザリーズ)が、話す大人の脳内の言語をつかさどる部位を活発化させることを、理化学研究所の研究チームが突き止めた。  近く米科学誌ニューロ・イメージのオンライン版に掲載される。

 赤ちゃんに対する話し方は、ほぼすべての言語圏や文化圏で共通しているといい、脳機能とのつながりを解明したのは初めてという。

 研究チームは、大人の被験者を育児経験の有無や性別などで各20人程度の6グループに分類。  マザリーズを聞いた際の脳の活動を機能的磁気共鳴画像診断装置(fMRI)で調べた。

 その結果、まだ言葉を話せない赤ちゃんを持つ母親の脳内の言語部位が最も活発に反応する一方、父親では脳内の活動は見られなかった。

 次に高い反応を示したのは、「ママ、だっこ」などの2語文を話す幼児を持つ母親だった。  マザリーズを使わない小学生の子どもを持つ母親では、反応は見られなかった。

 研究チームは「産後うつの母親は平たんな口調になることが分かっている。  マザリーズの脳機能が解明されたことで、産後うつの母親の診断などに応用できるのでは」としている。)



     


すでに、1カ月も前のニュースだけど・・
これ、面白い研究だなあと思って。

生まれたばかりの赤ちゃんを持つお母さんは、言語や文化が異なっていても、世界共通の話し方=高い音でゆっくりとしたリズム(マザリーズ)・・・で、話すのだといいます。そして、そういう話し方の時、そのお母さんの言語部位が活発に反応し、お父さんの場合は、同じような脳の活動はなかったということです。

多くの電化製品や便利な道具に囲まれて、人間もまた自然の生物の一つであるということを忘れがちな現代人ですが、出産は「生物としての人間」を感じるときです。
お母さんの話し方も言語や文化を超えて世界共通というところに、生物のとしての本能が働いているんだなあと思いました。

このマザリーズは、お母さんの言語脳の活性化だけでなく、きっと、聞いている赤ちゃんにとっても心地よいものじゃないでしょうか。
そしてその周りにいる人たちにも・・・
だって、以前、午後のすいている電車の中で、赤ちゃんにまさしくマザリーズで話しかけるお母さんの声が聞こえてきたんですが、なんとはなしに、周りの空気もなごんで、とてもリラックスして幸せな気分になれましたからね。

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「ほめて育てよ赤ん坊」の検証調査

2010年03月28日 | 子ども・子育て
写真:写真素材足成

<ほめる育児>適応力高める 4カ月~3歳半、親子400組追跡調査
2010年3月27日(土)18:00
 親にほめられたり、やさしい言葉をかけられた乳幼児ほど、主体性や思いやりなど社会適応力の高い子に育つことが、3年以上に及ぶ科学技術振興機構の調査で分かった。父親の育児参加も同様の効果があった。「ほめる育児」の利点が長期調査で示されたのは初という。東京都で27日午後に開かれる応用脳科学研究会で発表する。

 調査は、大阪府と三重県の親子約400組を対象に、生後4カ月の赤ちゃんが3歳半になる09年まで追跡。親については、子とのかかわり方などをアンケートと行動観察で調べた。子に対しては、親に自分から働きかける「主体性」、親にほほ笑み返す「共感性」など5分野30項目で評価した。

 その結果、1歳半以降の行動観察で、親によくほめられた乳幼児は、ほめられない乳幼児に比べ、3歳半まで社会適応力が高い状態を保つ子が約2倍いることが分かった。また、ほめる以外に、目をしっかり見つめる▽一緒に歌ったり、リズムに合わせて体を揺らす▽たたかない▽生活習慣を整える▽一緒に本を読んだり出かける――などが社会適応力を高める傾向があった。
 一方、父親が1歳半から2歳半に継続して育児参加すると、そうでない親子に比べ、2歳半の時点で社会適応力が1・8倍高いことも判明した。母親の育児負担感が低かったり、育児の相談相手がいる場合も子の社会適応力が高くなった。


 調査を主導した安梅勅江(あんめときえ)・筑波大教授(発達心理学)は「経験として知られていたことを、科学的に明らかにできた。成果を親と子双方の支援に生かしたい」と話す。【須田桃子】(毎日新聞jp)



胸をふさぐようなわが子への虐待のニュースが後を絶たないけど、きっと虐待する親も、ちゃんとした子ども時代をおくれなかったんだろうな、と・・(涙)
親によくほめられた乳幼児は、ほめられない乳幼児に比べ、3歳半まで社会適応力が高い状態を保つ子が約2倍いることが分かったということです。

そういえば、「奇跡のリンゴ」の木村さんも、弱ったリンゴの木に「がんばれ」と声かけをして回ったといいます。
結局、声をかけなかった木ばかりが、枯れてしまったというのも、何か子育てと共通するものを感じます。それが、言霊の力というものでしょうか。

今回の調査で、父親の育児参加が、さらによい影響を与えることがわかりました。
最近は、子どもに絵本の読み聞かせをするおやじの会というものもできているそうです。
パパさん、出番ですよ(笑)。
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夜が見えるよ

2009年10月22日 | 子ども・子育て


パパ、みてごらん
よるが みえるよ

ひるの おほしさまと
よるの おほしさまが
いれかわって いるんだよ






息子が3歳ごろ、窓の外の暗くなってゆく景色を見ながら、父親にこう言ったんです。
このころは、子どもはたいてい詩人で、親はたいてい親ばかちゃんりんですね。

最近、夕暮れが早くなりました。暗くなってゆく外の景色を見ると、この言葉が思い出されます。

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根っこ・見えない部分を育てる

2009年01月29日 | 子ども・子育て
姫リンゴの花


前の記事で、根っこのある人、根っこがある生き方、根っこがある会社は、なんとはなしにわかるものだと、きわめて抽象的な書き方をしてしまいました。
感覚を言葉にするという作業は、うまい具合に伝えられているかどうか、独りよがりではないかと、私自身の筆力の関係で、常に不安と隣り合わせです(汗)。

ですので、この件に関して、もう少しちゃんと、書いてみたくなりましたので、よろしかったら、おつきあいください。

根っこは、地面の下にあるので、外からはどうなっているのかわかりません。根っこが張るのに、時間がかかるものは、上の成長はその間、ゆっくりしています。
たとえば植物の苗を育てていたとして・・・
根っこが、ある程度育ってすぐにとまると、すぐに次には上が成長し大きくなるので、根っこの成長に時間をかけてなかなか大きくならないものよりも、一見強い苗だと勘違いされがちです。
でも本当に強い苗は、成長は遅くても、根っこがしっかり張った苗です。

同様に私たちは、子供の成長を、平均より背が高いとか低いとか、学校の成績だけで判断してはいないでしょうか。目に見える所や、数字に表れる評価だけで判断しては、心の根っこが育っているかどうかは、わからないかもしれません。



またまた「奇跡のリンゴ」の木村さんの話ですが、木村さんの育てたリンゴの木の根っこは、何と20メートルもあるそうです。これだけしっかりと根がはれるのは、土がとても柔らかいから。土の中にはバクテリアや微生物など多種多様の生物が存在し、白神山地などの原生林ととてもよく似た土壌になっているのだといいます。
木村さんは言います。
「私にできるのはリンゴの木の手伝いをするだけだ」
栽培種として農薬や化学肥料を使うことでしか育たなかったリンゴの木が、自然の生態系の中で、野生種のように自ら「生きる力をつけた」、といったらいいのでしょうか…。
1991年の台風で、壊滅的な被害を受けた青森の農家のリンゴの中で、木村さんの畑のリンゴは、8割以上も残っていたそうです。

では、人の心の根っこは、どうやったら育つのでしょう。



以前偶然、見たテレビで、皇后・美智子さまが、「子供の本を通しての平和 --子供時代の読書の思い出--」と題して、子供のころの読書の体験を話されていました。このときの講演は、「橋をかける」という本にもなっています。印象に残った言葉を抜粋しますね。

●本の中で人生の 悲しみを知ることは,
 自分の人生に幾ばくかの厚みを加え,
 他者への思いを深めますが,本の中で,
 過去現在の作家の創作の源となった喜びに触れることは,
 読む者に生きる喜びを与え,
 失意の時に生きようとする希望を取り戻させ,
 再び飛翔する翼をととのえさせます。
 悲しみの多いこの世を子供が生き続けるためには,
 悲しみに耐える心が養われると共に,
 喜びを敏感に感じとる心,
 又,喜びに向かって延びようとする心が
 養われることが大切だと思います。

●それはある時には私に根っこを与え,
 ある時には翼をくれました。
 この根っこと翼は,私が外に,内に,橋をかけ,
 自分の世界を少しずつ広げて育っていくときに,
 大きな助けとなってくれました。


幼いころの読書体験が、悲しみに耐え、生きてゆく心の根っこを育ててくれ、また、失意にあっても希望や喜びを持って羽ばたける翼を与えてくれた。そして、その根っこや翼は、その後の人生において、世界に橋をかける、助けとなってくれた。
…まさに民間から皇室へ嫁がれ、一般人には計り知れないほどのご苦労もあっただろう美智子さまの、心の折り合いの付け方の原点を見た気がしました。
美智子さまは、心の根っこをしっかりと張り、喜びに至る想像力の翼を広げることで、恐れずに希望を持って、「私」という個から内に外に、他者、社会、世界へとつながる橋を一つ一つかけることができたのですね。
私が言うのも、僭越かと思いますが(笑)、たくさんの歳月を重ねられて、たどり着いた境地は、木村さんの畑の土のように、調和のとれた世界観ではないかと思います。

余談ですが、ブッシュ政権は自分ひとりで、世界を動かしているというような錯覚をして、有無を言わさず自分の気に入らない者を攻撃しました。これは、行き過ぎた農薬をまくのに似ています。行き過ぎた農薬は、ほかの生物も死滅させてしまうばかりでなく、それをまいた人、食べた人にも被害を与えます。
また、自分だけの利益を優先する金融資本主義は搾取を是としました。
すべての栄養を自分だけに持ってきたら、土は死んでしまい、いずれ自分も枯れてしまうということが、わからなかったのでしょう。
ブッシュ政権は、世界との折り合いのつけ方を知りませんでした。根っこは、不安と怒りと欲望の硬い土の入った小さな植木鉢に閉じ込められて、とても細く弱かったと思います。


木の心


美智子さまが言われるように、根っこを育てるのに、読書は身近で有効な方法かもしれません。そこには、人生の喜怒哀楽が凝縮されており、楽しさから始まって、幼い人なりの悲しみの経験も知ることができます。
また、身近な人たちの、絶対的な愛情は、木村さんのリンゴの木に対する愛情と同じです。木村さんの畑の温かい柔らかい土にも似ています。
身近な愛情は、自分の社会を少しずつ広げはじめた小さな子どもが出合うであろう、さまざまな人間関係のストレスなどを癒してくれるでしょう。そこでこそ、人は安心して、「折り合い」のつけ方を学べるのだと思います。
そう、木村さんの畑で、木村さんという父親に守られて、たくさんの生物が折り合いをつけてバランスを保ち、それぞれがお互いを助けたり助けられたりしながら共存しているように。
人の心の根っこも、木村さんの畑のように柔らかく温かい土の中でこそ、強く育つと思います。

■関連記事
 奇跡のリンゴを作った人


 お知らせです

いつも読んでくださって、ありがとうございます。
ちょっと忙しくなってまいりましたので、しばらくお休みさせていただきます。
風邪の季節です。皆様、ご自愛くださいませ。

泡瀬干潟を守る連絡会ホームページ
     ウェブ署名はこちら
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チョコボール

2008年07月07日 | 子ども・子育て
子供のころ、よく捨てられた子猫を拾っては、家に連れ帰りました。
だけど、実は、母親は動物嫌い、父親は自分以外のことには興味を持たない人。
連れて帰っては、怒られて・・・

あるとき、だめだとわかっているのに、「嫌だ嫌だ」と、強引に家の中に入れてしまったら、私が寝てる間に外に出されてしまったのです。
朝、雨戸を開けたら、縁側の上で、子猫が死んでいました。野良犬にかまれたようなあとがありました。
(・・・このときのことを思い出すと、今でも子猫に申し訳なくて、涙が出てきます。)

それから、子猫をみかけても、家に連れて帰るのをやめました。



大人になって、結婚して、まもなくのこと。
公園の木の下に、小さなダンボールが、ふたをした状態でおいてありました。
何気なく、片方のふたを開けたら、空っぽ。

なんだ・・・と思って、もう片方のふたを開けたら、小さな小さな、猫がいました。

あ、捨て猫だ、
と気がついたら、とっさに腹が立ってきました。
何でこんな小さな子猫を捨てるの?
まだ、乳離れもしてないのに、死んじゃうじゃない。

箱を持ち上げたら、子猫の下から、チョコボールが3~4個、ころころって転がって出てきました。
子猫はチョコボールなんて食べないのに。ばかだなあ・・・・

ふと、自分の子供のころのことがよみがってきました。

おうちに連れて帰って、だめだって言われて、元の場所においてきなさいって言われて、何にもできないから、せめて自分のおやつのチョコボールをいれて、ねこちゃんごめんって、その場を立ち去った子・・・が、いたんだって、はっと気がつきました。

この子猫は、それから我が家に連れて帰って、そのまま13年間家族として暮らしました。
家で最後まで見届けて、それから、虹の橋を渡って、魂のふるさとに帰ってゆきました。

チョコボールを入れた子は、もう大人になっているでしょうね。
この文を読んでくれるはずもないでしょうけど、チョコボールの子に、いつかどこかでお伝えしたかったんですよ。
あの子猫は、元気でやんちゃで、私たちに幸せをいっぱいくれました。チョコボール、入れてくれてありがとうって。

★写真「(C)SozaiRoom.com」
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なりたい大人

2008年07月01日 | 子ども・子育て
なりたい大人「周りにいない」=中高生の5割が回答-青少年機構(時事通信) - goo ニュース
なりたい大人が周囲にいないと考えている中高生は約5割に上ることが、独立行政法人国立青少年教育振興機構が公表した2006年度調査で分かった。また、高校2年生の7割は将来仕事に就く条件に「正社員」を挙げ、安定的な雇用への意識の高さがうかがえる。
 調査は昨年1、2月に実施。小学校の4年生以上と中学、高校それぞれの2年生合わせて約1万8500人から回答を得た。
 この中で、なりたい職業が「ある」と答えた子供は、小5が82%、中2、高2はともに69%。一方、周りに「あの人のようになりたい」と思う大人がいるかとの質問に「いない」と答えた割合は、小5で33%だったが、中2で49%、高2で51%に達した。 


私もこの年頃は、そういう人はいなかったなあ・・・
よく親を尊敬してるっていう子もいたけど、うちの場合は・・・ヾ(;´▽`A``アセアセ

でも、5割が周りにいないって答えたということは、残りの5割はいるって事ですよね。思ったより多いわ。
だって私が、こういう人のような生き方がしたいって、目標になれるような人物に出会ったのは、30近くになってからだもの。
(で、なれてるかどうかは聞かねえで、くだせいまし・・・

今、身近な人物に素敵な人がいなくても、これから多くの出会いや経験を通して、めぐり会える可能性は十分あるから、大丈夫よ。
そうそう、すばらしい人物に出会える場所がありました!それはね、図書館。
だって、古今東西のすごい人たちがひしめきあってるんですものね。
めったにゆかないコーナーの棚なんかも、のぞいて見ると、思いがけない出会いがあって、世界が違ってみえてくることもある。・・・運がよければね。
また、今の時代はインターネットも同様の役割をしているかも。(ただしネットには、落とし穴がいっぱいあって、いいことばっかりじゃないから、それだけは気をつけないとね。)


人生、いつだってこれからが本番ですがにゃ
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大道廃れて「愛のムチ条例」?

2008年06月24日 | 子ども・子育て
東国原知事「愛のムチ条例できないか」…報道陣に(読売新聞) - goo ニュース

私が小学2~3年の頃、2年間担任をしてくれた、今でもめぐり会った教師の中で1番好きだと思える先生の話。やさしくておもしろくて穏やかな先生が、一度だけ生徒に手を上げた日を今でも覚えている。

 

U先生は、当時30代(多分?)の女性教師であった。
クラスメイトのE君は、学校の近くのアパートで、母親と二人暮らしの母子家庭。
田舎で、ほどんどが農家の子どもの小学校だったので、母子家庭の子は珍しかったと思う。E君の家庭にどんな事情があったかは、つゆとも知らなかったけど、先生は、学校に近いこともあって時折、家庭訪問をしていて、E君のお母さんとも懇意なようだったし、先生がE君に目をかけているんだということは、なんとなくわかっていた。
E君は、明るくて、ちょっとやんちゃ坊主でいたずらっ子だった。
当時、子どもたちの間に、赤鉛筆の代わりに、赤のサインペンがはやりだしていた。(私は、そういうのにあまり興味なかったので普通の赤鉛筆を使っていたけど・・・)
あるとき、体育の授業が終わって、みんなが教室に戻ってきた後、何人かの子達が、筆箱を開けて、サインペンがなくなったと言い出した。それでクラスいっせいに筆箱チェック、自分のもないと言い出す子が多勢出てきた。(・・・私の赤鉛筆はそのままだった。)
それで、体育の時間に休んでいたE君とA君が盗ったんだ、と誰ともなく言い出して、大騒ぎになった。
先生は、それを見て二人に「盗ったのですか」と確認したが、二人は「盗ってない」とはっきり答えた。
しかし、二人のカバンの中からは、たくさんのサインペンが出てきてしまった。

先生は、怖い顔をして、二人を教室の前に呼んで、いきなりほっぺたを叩いた。しかし、叩かれた二人じゃなくて、叩いた先生が泣いているのを見た。先生の泣くところを初めて見た。先生の涙が移ってきて私も泣いてしまった。先生は怒ってるんじゃなくて、悲しかったんだと思って・・・。
二人にとっては、ただのいたずら心だったのかもしれないけど、人のものを盗るということは、決してやってはいけないのだと、子ども心に刻み込まれた。そして、先生にとって子どもを叩くことは、よっぽどの悲しいことなんだと思った。
(もしかしたら子どもに手を上げた自分にショックだったのかもしれないと今になってみて想像するけど、本当のところはわからない。)

 -----------

U先生の思い出は他にもいっぱいあって、その後、他の教師から嫌な思いもずいぶんさせられたけど、それでも教師不信にならなかったのは、U先生のおかげだと思っている。
だからって、私は、「愛のムチ条例」に賛成なんかしない。そんな条例がなければ、信用されない愛のムチなんて、嘘っぱちだと思うからだ。
手を上げれば子どもを支配できたと思っているような、単純で無能な教師にも学んだことがある。そういう人たちを、法律が守ってしまうなんて、ぞっとする。

 大道廃れて仁義あり 

これは、老子の言葉。
自然の原理(=大道)には、人間の作った規律や道徳と関係なく、ただ永遠不変の秩序があるだけだ。老子は、その大道がないがしろにされ、ことさら仁や義などといって、人間が作り出したご都合主義の規律や道徳で、「良い・悪い」を決めつけることを批判している。

私は、国旗にお辞儀をしろとか、国家を歌うときは立ち上がれとか、そんな話を聞くたびに、「大道廃れて仁義あり」と思ったものだが、まさに、この宮崎の知事さんの言い出したことも、同じだと思う。

と、思ったらまだこんなことを言っていた(笑)

東国原知事 「県職員は農業に従事を」 また“脱線”発言(西日本新聞) - goo ニュース
げんこつ条例については「職員に『無理』と言われショックだった」とトーンダウン。ただ「げんこつが痛いのならば、でこぴん(額を指ではじくこと)や、しっぺ(手首を指で打つこと)も考えないといけない」と自らの発言に執着した。

そういえば、何かにつけては、でこぴんする教師もいたこと思い出した(笑)。
宿題忘れたり、質問に答えられないと、でこぴん。私もでこぴんされたけど、好きな先生だった。
でもそんなこと、条例にする必要はありません。
「無理」と言う宮崎県の職員さん、いいよぉ!
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進学塾の前で・おまけあり

2008年06月13日 | 子ども・子育て
数年前のこと。
某有名進学塾の前を、たまたま通りかかったところ・・・
塾の前の通りで、母親と小学生の娘と見られる二人が、話していた・・・というより、一方的に母親が娘に怒鳴っていた。
「どうすんのっ!、こんなじゃどうしようもないでしょうっ!」
多分成績が伸び悩んでいて、希望校に入るのは、このままじゃどうしようもない、という意味だと察知した。
しかし、大勢の人々が行き交う往来の真ん中で、人目もはばからず怒鳴っている母親の声は、その場の空気をも不快にさせていた。
人前で、親に罵倒されながら黙って下を向いている少女。・・・かわいそうだった。

この年頃、自分はなにをしていたかなあ・・・勉強?宿題くらいしかしなかったよ。
毎日少女マンガを読みながら、友達とくだらないことをしゃべっていたっけ。

秋葉原の通り魔事件について、時代の社会的背景や職場環境、本人の資質や育ち方など、多くの識者たちが意見を述べ合っている。川田亜子さんの自死のときのように、やはり理由はひとつではなく、不幸な複合的な理由とタイミングで起こされてしまった事件なのだろうと思う。
しかし、犯人の両親が謝罪会見を開いたとき、私は、あの塾の前の母娘の姿が突然に思い出されたのだった。
そして、弱った母親が、会見中倒れたとき、犯人はこの姿が見たくてあんなことをしてしまったのではないかと、そんな思いが一瞬よぎってしまった。
倒れた母親もまた、弱くて悲しいただのかわいそうな一人の人間だということに、彼は気づくことができるだろうか・・・。

「重大な事件を犯し申し訳ない」 加藤容疑者の両親謝罪(朝日新聞) - goo ニュース




どんな理由・理屈があろうと、人が人を殺してはならない。(その意味で、戦争も死刑も私はずっと反対している。)
亡くなられた方々のご冥福を祈ります。


関連記事 勉強ってなんだろう


 おまけです
中島みゆき「誕生」


Remember 生まれたとき 誰でも言われたはず
耳をすまして思い出して 
最初に聞いた Welcome
Remember けれどもしも 思い出せないなら
わたし いつでもあなたに言う
生まれてくれて Welcome
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さんぽ

2008年02月03日 | 子ども・子育て



今日は とってもいい天気

わんちゃん 誰とお散歩しているの?





大大好きな、嬢ちゃんと。

それからね





大大好きな じいちゃんと。

今日は とってもいい天気だわん





おまけです。「劇場用となりのトトロ予告編」



おまけその2「さんぽ」

 

子どもは歩いて育ちます。
天気の良い日はいっしょに歩こっ!
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勉強ってなんだろう

2007年08月18日 | 子ども・子育て

私たちの左脳は、「分析、計算、言語」をつかさどっていると言われます。
それに対して、右脳は、「直感、感性、非言語」の領域です。

私たちの周りに渦巻く世界を、右脳が感知し、左脳が分析、計算、言語化する。
言葉を変えていえば、右脳は明文化できないアナログの世界で、左脳は、それを言語や数値という記号に表した、デジタルの世界。
人類は、この脳のシステムが正常に働き、進化してきたのではないでしょうか。

ところが、今ある勉強って、分析、計算、言語、暗記に練習のくり返し、左脳の領域ばかり鍛えているような気がします。
だから、うっかりすれば、勉強ばっかりしていると、ほとんど左脳だけの訓練に拍車をかけて、左脳だけしか働かない脳に、陥りやすくなってしまうんじゃないでしょうか。
右脳の世界には、本来、比較や競争なんてないのだけど、今の左脳社会の比較競争の中で、へとへとになっていませんか。



大いなる世界の情報は、右脳がキャッチします。
左脳だけで世界を見れば、ざるで、水をすくうようなものかもしれません。
同じ情報を受けても、人によって違う反応になるのは、ある種の人々は、左脳が勝ちすぎて、右脳はどうやらお休み中のようだと、このごろ私は理解できるようになりました。

本来、人間は、左右の脳が同調、調和して働くことが望ましいと思います。
勉強もしてもいいけど、良い芸術を見たり、良い音楽を聴いたり、動物と触れ合ったり、自然の中でぼんやりしたり、ゆったり、まったり、感性も大切にしてね。


★写真は、フリー素材写真「花・鳥・風・穴」様よりお借りしたダイサギムラサキサギゴケの花です。 
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人生の主体は自分自身

2007年07月09日 | 子ども・子育て
少子化の影響もあって、幼稚園といえど、生き残るのは大変なご時勢なのか、いろいろなことをウリにしているところもありますね。
いわく、英会話教室、サッカー教室、体操教室に音楽教室など、ありとあらゆる英才教育あり、最近はお受験に備えて、幼稚園以前の幼児教室まであったり・・・。
これらのことは、いっけん子供のことを考えているようにもみえますが、実はすべて親心をくすぐった、親に向けたプロモーションであることは間違いありません。

幼いころから、これだけいろいろな選択肢がありながら、大学にいっても大人になっても自分の本当にやりたいことがわからない、という人はけっこう多いですよね。
それは、いつも誰かが与えてくれたものをこなすだけ、そして、やったことを誰かが評価してくれるのを、期待と不安で待っているだけ、そんな受身な勉強しかしてこなかったからではないでしょうか。

今の子供たちは幼い時から、あんがい忙しくて、習い事など、いろいろなスケジュールがつまっており、気がつけば大人が手取り足取り、「今日はああしましょう、こうしましょう、午後はピアノですよ、明日はお習字よ」と、シャワーのように与えられることに慣れてしまっています。
そして、その結果は、必ずといっていいほど評価され、大変よくできましたねとか、もう少しがんばりましょうとか、ほめられるのはうれしいけど、誰かと比べられるのはいやだなとか内心思いながらも、評価されることにさえ慣らされてゆくのです。
このやり方は、言葉は悪いかもしれませんが、家畜のように飼い馴らされる人間を作るには適しているかもしれませんね。



その幼稚園は、早期教育のようなものは一切ありませんでした。
朝、幼稚園について先生に挨拶をしたら、最初の20分間、こどもたちは、好きなことをして遊びます。
すぐに園庭に走る子、ボールで遊ぶのもよし、片足でこぐスクーターという遊具は人気があったので、早く行かないとほかの子たちに先にとられちゃうと、早起きして登園する子もいたり、教室の中では、パズルや折り紙の好きな子たちが遊び、工作したり、絵本を見る子もいました。

先生はよく言われました。「子どもたちが、幼稚園に来て、一番先にやりたいこと、それは何をやるかという問題ではなく、大切なのは、『自分が何がやりたいか、何が好きなのか、わかる』ことなんですよ。」と。

その幼稚園に転入生が入ってきました。その子のお母さんは、転入前の幼稚園では、鼓笛隊の演奏があり、発表会のときうまくできない子供は、笛の口をつける穴にセロテープを貼られ音が出せないようにさせられた、と言っていました。
この幼稚園にとっての発表会は、親へのプロモーションに他ならなく、テープを貼られてしまった子供の気持ちなど、これっぽちも考えていなかったようです。

発表会は親にどう見せるかが重要で、下手な発表は幼稚園の評価も下がると思い込んでいる幼稚園も多いのだと思います。
しかしながら、この時期の子どもにとっては結果よりも、発表までに行く過程が重要で、ひとつのものを作り上げるのに、友達とどれだけ深く、思いやり関われたか、それだけが大事なんだと、私は思います。
少なくとも、私の好きだった幼稚園では、そのような方針だったので、園長先生も今生きてらっしゃったら、そうおっしゃると思います。
何しろ、「子供が1番、先生が2番、3、4がなくて、親は5番」なんて平気でおっしゃってらした方でしたから。(でも、何かにつけ、おっしゃることに説得力があったので、親たちも皆ごもっとも、と納得してました。)


            
人生の主体は自分にあります。人生の目的も、外から与えられるものではなく、自分が気づき見つけるものでしょう。今の子どもたちのように、物心つく幼稚園のころから、外から与えられものにばかりに慣らされていると、本来の自分の内側にあるものを見つけ損ねることもあります。
まずは親から、そのことに気づかないといけませんよね。

関連記事 命の育て方を学んだ幼稚園 (虹色オリハルコン)
        天職(虹色オリハルコン)


★イラストは、「ふわふわ。り」さんよりお借りしました。
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命の育て方を学んだ幼稚園

2007年07月04日 | 子ども・子育て
息子が通った幼稚園の話です。

               

はじめて、幼稚園に通うときのことです。
今まで四六時中、母親といっしょにいた幼い子供が、3歳なり4歳で親と離れて1日のうちの何時間かを団体生活をするのです。
子供たちはたいてい不安に襲われ、泣いたりする子も出てきます。
4月のころ見送りの時間帯に、無理やり親と引き離し、泣き喚く子を幼稚園バスに乗せている・・・、なんていう光景もよく見かけますが、その幼稚園は、送り迎えは親といっしょでなければならなかったのです。
しかも、親がいなくなってしまうことで子供が泣くなら、親は帰ってはいけませんでした。

現代の忙しい親なら、子どもが泣くからといって、親もいっしょに付き添うなんて考えられないと思う人もいるかもしれませんが、幼い子供の立場から見れば、生まれてからたったの3~4年で、はじめての場所、はじめて出会う人たち、不安になるのは当然です。
無理やり親と引き離された子は、幼稚園が嫌いになってしまうかもしれませんし、いっけん普通にやっているように見えても、心に不安がいつまでも残ったままになってしまうことがあるのだそうです。
最初泣いていた子も、日々を重ねるごとに少しずつ少しずつ新しい場所に慣れてゆきます。そして、ある時「ママ、もう帰っていいよ」と自分から言ってきます。そうなったら、もう大丈夫。子供の心が、ちょっと強くなり、一歩前進した証です。

どんなに甘えん坊で泣き虫な子でも、1ヶ月もすれば必ず、親がいなくても過ごせるようになるそうです。最初はちょっと親も大変かもしれませんが、この1ヶ月が幼稚園生活を楽しくさせるか否かにかかっているといっても過言ではありません。
植物だって、根っこがちゃんとしてないと、大きくなっても弱いですからね。

               
         
私はそれまで、幼稚園は、親が幼い子供を預けて団体生活を学ぶ場所、と簡単に思っていましたが、その幼稚園で、子育てが「命」を育てることだと、何度も何度も思い知らされました。
丁寧に子供一人ひとりの心の状態を見てくださる幼稚園の先生方とお話しているうちに、ありがたくて泣けて仕方なかったことも1度や2度ではありません。
何かのCMじゃないけれど、めんどくさいといえばめんどくさい幼稚園でしたが、この幼稚園に子供を預けることができ本当によかったと今でも思っています。


★小鳥のイラストは、「ふわふわ。り」さんよりお借りしました。
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悲しい気持ちが氷のお山になって・・・

2007年03月18日 | 子ども・子育て
    ぼく、かなしいきもちが こおりのおやまになって、
    なきやもうとおもっても
    なきやめなくなっちゃったんだよ

    せんせいが あたま なでてくれたら
    こおりのおやまが とけちゃって
    やっと なきやめたんだよ



息子が4歳のとき、スイミングスクールにはじめて行きました。
教室風景が保護者にもわかるように、こちら側の窓から見えるのですが、控え室から出てきたときから泣いていて、何をしても泣きっぱなし。どうしようか、連れて帰ろうかと思っていたところ、インストラクターのお兄さんに頭をよしよしされているのを、私も見ていました。そのあと、息子は落ち着きを取り戻したようでした。
そのことを、家に帰ってから息子がこのように、言ったのです。

息子は、結局プールの塩素がアレルギー体質にあわなくて、すぐやめてしまいましたが、このとき、とても大事なことに気づきました。
泣いているときは、本人も気持ちが高ぶって、本人だって泣きやみたいのにすぐには泣きやめなくなってしまうんだな、でもスキンシップでそれが治まるんだ、ということです。

幼い子は、しょっちゅう泣きます。体中で、痛みや悲しみや怒りを表現するみたいに、大きな声で。でも、そういう時、大丈夫だよ、とハグしてあげることで、その悲しみ怒り痛みも、すうっと消えてゆくことを、息子に教えてもらいました。
以来、泣いているときは、何にもいわずハグしました。それでおしまい。
(でも、そのあと、骨盤調整して体のゆがみをとると、より情緒が安定します。)

小学校も3~4年になれば本人が嫌がるので(笑)、そんなことはもうしなくなりましたが、幼い時に抱きしめてあげることは、心と体の成長の過程で、とても大事なことかもしれません。 


【3月18日・追記】
ミクシーのお友達の日記にこんなサイトが紹介されていました。
英語だけど、さまざまなハグの効果が書かれています。
   http://www.gagirl.com/hugs/hug.html
前にも紹介したけど、こちらも。
   「無料のハグ」
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冬木立

2007年01月14日 | 子ども・子育て
   

   宇宙飛行士の毛利衛さんの監修された写真絵本 『宇宙を見たよ』
   このなかにこんな写真と言葉がありました。

   スペースシャトルからみた、地球の姿。
   サウジアラビアの砂漠の砂丘。
   ミシシッピ川のデルタ地帯。
   ヒマラヤ山脈。
   宇宙で観察した猿の腎臓の細胞。

   ぼくは、この地球の風景と 
   ぼくが顕微鏡で見ていた 小さな生き物の細胞とが
   とても 似ていることを発見した。
   -------- そうなんだ、
   地球も 生きている大きなひとつの生き物だったんだ。
   宇宙から見たとき そのことが とてもよくわかった。

   いろんなものが つながりあって、
   地球という ひとつの星が、生きている。
   ちょうど、ぼくたちの体が、
   いろんな細胞が つながりあって 生きてるのと同じように。

  

 

   これは、葉っぱをすべて落とした冬木立。
   木の枝のすみずみまで流れているのは、

   大地から流れる血液のようなもの・・・


   地球の  と  だろうか。



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