このところ、折にふれては、いんやくりおくんのこの本を開いています。前作の「自分をえらんで生まれてきたよ」同様、最強パワーです。
社会の出来事や、身近な出来事、シンプルだけど哲学的でもあり、その時々、あらゆる状況にフィットするようなりおくんの言葉に、励まされます。
この世で生きること、そして死んでゆくこと、年齢を重ねてきたせいか、「死」というものが、以前よりずっと身近に感じることがあります。
今日は、こんな言葉が・・・しみじみしました。
人間は、脱皮する。
死ぬときに、脱皮する。
脱皮したたましいは、
生きていた家庭に帰ってきたり、
ほかの人として、生まれ変わったりする。
記憶がある人も、記憶がない人もいるけれど、
ここに戻ってきているのは、同じこと。
死ぬときに、脱皮する。
脱皮したたましいは、
生きていた家庭に帰ってきたり、
ほかの人として、生まれ変わったりする。
記憶がある人も、記憶がない人もいるけれど、
ここに戻ってきているのは、同じこと。
昨年、親戚の葬儀に夫婦で参列しました。
無宗教の家族葬で戒名もなし。サイモンとガーファンクルの曲が流れるお葬式でした。生前からの故人の意志であったのだといいますが、その方は、現世主義で非科学的なことを否定されていたので、高いお金をかける葬儀にも、常々疑問をもっていらっしゃったようです。
しかし、うちの不思議人間が見ると、亡くなった方が、明らかに戸惑っていらっしゃるのが見えたそうです。
突然の事故だったので、自分が亡くなったことが、理解できていなくて混乱しているようだったとも。
それで、ちょうど「コンドルは飛んでゆく」が流れたので、その曲に導かれるように、その方に対して、うちの不思議人間が、上へ上へ・・・というイメージを伝えていくと、上から導く人が見えた途端、サーッと上に上がっていったそうです。
そして次の瞬間、晴れ晴れとしたお顔で降りてこられて、かわいがっていた小さなお孫さんたちを、優しく腕を伸ばして包み込むような姿が見えたそうです。
あちらの世界は、時間も距離もないので、こちらでは一瞬に思えても、おそらくあちらに行ってすべてを理解して、再び、戻ってこられたのではないかと思います。
信じる、信じないはご自由ですが。
「死」は終わりではありません。また、死なない人もいません。
遺族にとっては悲しいばかりかもしれませんし、時に理不尽で納得できない死もありますが、持ってこられた「運命」のようなものもあるのです。
旅立っていった方には、今生を一生懸命生きてこられた事への、ねぎらいと感謝の気持ちを伝えることが一番ではないかと思います。
またいつか、時を隔てて逢える日が来るかもしれません。その時はたとえ忘れてしまっていたとしても。
あの南米の何ていう楽器かはわかりませんが美しい音色の前奏に入り、まるで空を飛んでいるかのような歌詞とメロディー
高校時代コーラス部で歌ったことありますが歌っている方も空を飛んでいるような感覚になりました
亡くなられたその方も非科学的なことを信じていらっしゃらなくてもこのメロディーで気づかされたんですね。
パワーの高い曲だと思います。
いんやく君の本は一度だけ小児科の待合室で読んだことがあります。
親を選んでくるという内容の方でした。
うちの末っ子も一度だけそんなこと言ったことありましたよ。4歳の時に…
でも、本人は覚えていませんが
賛否両論あることかもしれませんが私は真実だと思います。
故人は長く機械の技術者として生きてこられたのですが、この曲が好きだと言われていたのだから、
ロマンチストでもあったのだなあと、いまさらながら思います。
本当に、アンデスの山並みが目に浮かぶ哀愁のある曲ですよね。
私も大好きです。
>うちの末っ子も一度だけそんなこと言ったことありましたよ。4歳の時に…
やっぱり!そういうお話は、時々聞きますよ。
4歳って、まだ赤ちゃんの時代も残っているのに、言葉が使えるギリギリラインじゃないかって思います。
そういえば、うちの息子も4歳の頃そんなこと言ってました・・・
http://blog.goo.ne.jp/hanamiduki87/e/079101a1de9ae60c28b19463b2cf54b6