虹色オリハルコン

命にエネルギーを与えるパワーの力

命からエネルギーを奪うフォースの力

どちらを選ぶかは自分次第

自然が許さないものは、定着しない

2015年09月29日 | パワーかフォースか



個人的に東京新聞のお気に入り・内山節氏のコラム。安保法制が成立してから最初の9月27日のコラムです。
どんなふうに書かれているだろうかと、気になって読んだけれど、やっぱり内山氏の意見は、どこか神の視点というか、はっとさせられるところがあります。


 自然は許しているのか
内山 節   

 私の暮らす群馬県上野村は移住者の多い土地である。今では人口のおよそ2割が都市から移り住んでいる。

 せっかく来てくれたのだから、この村で暮らし続けてほしいというのが村人の願いだ。しかし再び、村から離れる人も多少は生まれる。最近では親の介護のために実家に戻るという人がいるようになった。村になじめず去っている人も多少はいる。そんなとき村の年寄りたちはこんなふうにいう。
「この村で暮らし続けることができるかどうかは、人間が決めることではない。村の大地が決めるのだ。大地が暮らすことを許した人が、この村で暮らし続けることができる」

 大地は自然と言い換えてもかまわないし、昔流に自然の神々、土地の神様といってもかまわない。もちろん、そんなことがほんとうにあるのかと質問されたら答えようもないが、村の人たちは自分たちもまた村の自然に許してもらって、ここに住んでいると感じてきたのである。

 こんな視点から述べれば、戦前の日本の朝鮮統治は、朝鮮の自然が許さなかったことになる。だから日本はそれを放棄しなければならなかった。自然が許さないものは定着できない。日本による満州国の建設も、中国への侵略も中国の自然は許さなかった。そればかりか明治以降の軍国主義の時代も、自然は許さなかったということになる。自然が許さないものはいつか壊れる。それが上野村の年寄りたちの発想である。

 もちろんこの考えの正しさを立証することはできないし、真実かどうかをめぐって議論できる話でもない。しかしそれが自然とともに生きてきた人たちの発想だった。自然は人間よりも力があると思いながら暮らしてきた人々の考え方なのである。

 現代の人間たちは、人間中心主義の発想に陥りやすい。そして人間の利益だけで物事を考えるようになると、最後は自分の考える人間の利益に固執してしまう。それは多くの場合対立を生む。それよりは上野村の年寄りたちのように、自然が許すかどうか考えながら生きている人たちのほうが高尚だ。沖縄・辺野古の海を埋め立てて米軍基地をつくることを、沖縄の自然は許しているのだろうか。実質的な改憲である安保法制を自然は許しているのか。軍事力を増強して威嚇しあう現代世界のあり方を、自然は喜んでいるのか。原発再稼動を、自然は許可しているのだろうか。

 こんな発想でものごとを考えてみるのもいいだろう。すくなくとも「最後には私が決める」などと言っている首相よりはずっとましだ。近年亡くなった文化人類学者であるレヴィ・ストロースは、自然に包まれた思考を失った時、人間は自分自身を破壊するようになったと述べていた。とすると上野村の年寄りたちの発想は、大事な視点を持っていることになる。

 そして、もしも自然が許さないのなら、現在の政治の動きも最終的にはどこかで壊されるということだ。自然が求める平和へと着地しないかぎり、持続する政策は形成できないだろう。


 とすると安保法制が国会で可決されたからといって、終わりではないはずである。自然は許さないと私は本気で思っている。
(哲学者)

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長老たちの言う「自然が許す」という考え方には、賛否両論あるのだろうけれど。
先祖代々その場所に長く住んでいるものにしかわからない感覚。誰が殿様になろうとも、どんな統治がされようとも、長く住んできた土地や自然に対する土着的な畏敬の念は、その土地に住む人々の心に、親から子へ孫へと、宿ってしまっているのだろうな。とても保守的ではあるけれど、「自然の声に、耳を澄まし謙虚になること」と言葉を変えれば、私はそういう保守はとても好きだ、と思う。

特に大文字にした部分は、共感の嵐。まさに「パワーかフォースか」である。

今の与党政治家や支持者たちは、こういう感覚がわからないし理解しようとも思っていないから、日本人が平和憲法の下で、戦後70年つないできた平和への取り組みや努力を無視し、その価値を貶め、武力に頼る安易な方向に流される。
しかし、武力で平和になるなら、とっくに世界は平和になっているはずだ。
「自然が許さないものは定着しない」・・・それは取りも直さず、「パワーは持続可能な調和のある世界をめざすが、フォースはいずれ表舞台から消えてゆくもの」ということと合致する。


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