虹色オリハルコン

命にエネルギーを与えるパワーの力

命からエネルギーを奪うフォースの力

どちらを選ぶかは自分次第

私たちは皆どこかでつながっている

2015年11月13日 | パワーかフォースか
現実的な物質主義の目で見れば、この世は、孤独な一人ひとり・・に見えるかもしれませんが。
見えない世界へも思いを馳せると、私たちにはこの三次元・物質宇宙以外の世界があり、その世界では孤独を感じることがない、眩しくあたたかな光りに包まれている・・・いわゆる体をもった生を終え、意識だけになった世界のこと。
もしかしたら、そちらのほうが本当で、今の世界が一時の時間と空間が限られた現実世界という冒険の旅の途中であるかもしれない。
飯田史彦さんの「生きがいの創造」を読んで以降、不思議人間がそばにいることもあり、また自分自身の不思議な体験などからも、そのような思いにかられてしまうことは多い。

東京新聞の「時代を読む」11月1日の内山節氏のコラムは、そこまではっきりとは言及していないが、やはりかつての日本人が、現世においても同様な世界観、生命観のようなものをもっていたこと、それらを今あえて言及することで、日本人が忘れてしまったことを思い起こさせてくれる。

事あるごとにあちらこちらで、人間同士が、紛争や暴力だけでなく、ネットの世界でも心無い言葉で傷つけあっているけれど、本当は、誰もが皆この宇宙の一部であり、好き好んで地球に生まれてきたものなのだろうと思う。
魂のレベルでは皆、それぞれが輝く光を持った全体の一部なのだ、と感じます。

以下、色字は、内山節氏の、いと良きコラム。お茶でもいれて、BGMでも流しながら、ゆったりまったり読んでくだせい。



結びあいを創造する政治 
内山 節  

 かつて日本の人々は、すべてのものは奥のほうで結びあっていると考えてきた。みえない世界でつながっている、と。
 みえる世界では「私」は「私」だ。森の木々も1本1本独立しているし、そこにはさまざまな生き物たちも暮らしている。だが奥の方ではすべての人間も、自然の生きものたちも、山や川や海も、つながりあう世界を持っていると考えてきたのである。
 そして、このつながりあう世界を守っているのが、神や仏だとも感じてきた。だからつながりにトラブルを起こすようなことをすると、神罰や仏罰を受けると思っていた。他の人たちや自然に対して悪いことをすると、奥の方のつながりあう世界に問題が生じ、それが自分に返ってくるのが神罰や仏罰ととらえられていたものである。

 不思議に思われるかもしれないが、宗教や信仰は明治時代に外国語を翻訳するためにあてられた言葉で、それ以前の日本では宗教、信仰という言葉は用いられていない。だから明治以前の日本には、厳密に言えば、宗教も信仰もなかった。結びあう世界の無事を祈ることが神仏への祈りであり、この祈りをとおして自分たちの生きる世界や人間のあり方をつかみとっていただけである。だからそれは、宗教、信仰という特別なものではなく、ごく日常的な、日本の人々の世界観、生命観だったといった方がいい。

 もちろん私も、すべてのものは奥の方で本当に結びあっているのかと聞かれたら困ってしまう。それは証明できるものではないのだから、そうかもしれないし、違うかもしれないと答えるほかない。つまりそれが真実かどうかではなく、つながりあう世界の無事を祈りながら暮らしていた人間たちの姿に、私たちが忘れてきた大事なものが隠されているように感じているだけである。

 すべてのものは結びあっているという精神を忘れたとき、人間たちは自分の表面的な都合だけで自然を破壊するようになった。人間同士も、ともに暮らしていこうという精神を失った。その結果はバラバラになった個人の社会の出現であり、孤立し追いつめられていく人たちの拡大であった。
 
 私は今の政治には基本デザインがないと感じている。政治の基本デザインとは、これから日本の社会はどんな結びあいをつくって運営していったらよいのかを提示することである。人間同士も、自然とも、諸外国に人びととも無事なつながりをつくっていく。その方向性を示すのが、基本デザインであるはずだ。
 そしてそのデザインにしたがって、つながりを断ち切っていくような今日の社会や経済のあり方を変える方策を提起する。さらには自然とも、諸外国の人びととも結びあって生きるための政策を提案する。それがいま求められている政治のはずだ。それらの根底にあるのは、無事なつながりの創造である。

 集団的自衛権や環太平洋連携協定(TPP)を成立させることによって、米国と協調していれば何とかなるとか、金融緩和をすれば経済成長する、原発再稼動は必要だとかいっているだけでは、政治をつかさどるための基本デザインにはなっていない。もっと根本的な基本デザインが必要だということに気づかない政治は、社会を頽廃(たいはい)させてしまうばかりなのである。
(哲学者)
   
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最後の一行、「たいはい」と入力したら、「大敗」と出てきた。これもまんざら間違ってはいないかもしれませぬが。

私たちは皆どこかでつながっている、という視点で見れば、人を傷つけることは自分を傷つけること。「情けは人のためならず」というように、誰かを助けることは自分を助けることです。
かつての日本では、今よりかはずっと自然に、お互いを思いやって仲良く暮らしていたのかもしれませんねえ・・。
全体としては豊かになったにも関わらず、アメリカの後を追うように、ここ十数年でさらに格差は広がり、金持ちはますます富み、弱者が固定化されてしまった。
1億総活躍っていうけど、だったら反対に、活躍できない老人や病人、幼い子や妊婦など、社会の邪魔者みたいに弾き飛ばす社会はどうなんだと思う・・


沖縄だけでなく、現政権が行うことは、多くの場合、国民からの反対運動が起きている。
それは、弱者への負担を強いる、人からエネルギーを奪うフォースの手法であるからだ。
命がいきいきと輝く、つながっていく世界が宇宙の法則、パワーであるとするなら、安倍政権は、大河に生まれた小さな渦のように、その場をグルグル回るだけで、何も成しえず失敗するだけ、いずれ消えてしまうもの。
意識レベル200未満のフォースにとどまっている限り、人は無力である。


★関連記事
 つながりながら分かれながらつながっている

★内山節氏の「時代を読む」



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2 コメント

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まさに! (ひろみ)
2015-11-13 20:50:05
まさに、まさに!です。

もう、うんうんとうなずきながら読みました。

私も、前に、このような内容の詩のようなものを書きました。
「みんなつながっている」
http://blogs.yahoo.co.jp/shihihaida/12408942.html

関連記事で紹介されている、
「つながりながら分かれながらつながっている」
いいですね!
アメーバみたいです♪

2374
返信する
ひろみさんへ (金木犀)
2015-11-14 17:22:05
>みんなつがながっている

本当だ!してましたね。
マクロからミクロまで、
ニュートリノのような極微の世界では、物質はあってなき如く、みんな通り抜けてしまいます
広大な宇宙空間をたくさんの流れ星が流れていくように。
すべての存在は、広大なスープの中にいるように
どこかでつながっているのではないかと、思わずにいられません。

>「つながりながら分かれながらつながっている」
いいですね!
アメーバみたいです♪

ありがとうございます。
不思議な示唆に富んだ絵ですよね。
返信する

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