虹色オリハルコン

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どちらを選ぶかは自分次第

「どうする家康」最後の最後にスピリチュアル

2023年12月24日 | パワーかフォースか

年頭の記事に、今年は徳川家に脚光が浴びるかもしれない、楽しみ。と書いたけど・・
 明治維新のプロバガンダを繰り返した安倍自民党とDAPPIなど

実は、私は大河はつまみ食い程度に見たり見なかったり。
思い出すと、最初から最後までちゃんと通してみたのは、渡辺謙の「独眼竜政宗」と綾瀬はるかの「八重の桜」だけだった。

それがびっくり。ついに通しで見た3本目の大河が「どうする家康」でした。
視聴率ワースト2になったのに、どういうわけか、私の中では画期的大河というか、いろいろな気持ちがあふれて、一言で言えないけど、本当に良かった。

まず、画期的と思ったのは、特に前半、武将だけでなく普通の周辺どこにでもいる庶民の一人一人に、脚光を当てて当時の時代背景を言わずもがなで伝えてきたこと。

かつてNHKで「タイムスクープハンター」っていう番組があって、歴史のすきまに埋もれた人々の暮らしを未来からきたレポーターがレポートするっていうような番組で。
これ好きだったのですが、「どうする家康」には、前半、随所にそんなスタンスがあふれていて、厳しい主従関係と誇り高い武士と合戦が戦国大河の大道と思っていたけど、結局は人間の歴史だったんだな、と。
武家の暮らしに対比して、悩み苦しみ、無様も乱暴もありながら、必死に生きて死んでいった名もなき人々の生き様も描かれていた。
だからこそ、「戦なき世を作る」という家康のモチベーションにもつながっていく。

人生とは、生と死の狭間にある一瞬なのだと、最後には思わされた。
家康含めて家臣団も、瀬名や茶々らの女性たちも主体的に生きていて、登場人物の人間らしさがあふれていたのがとても良かった。


秀吉がくたばった後の、特に関ヶ原からの一連の流れは、何というか心が震えた。
乱世を終わらすと心に誓いながら、やってきたことは人殺しばかり。
石田三成が呪いのように放った「戦乱を求むる心はあなたにもある」という最後の言葉は、家康の心にまとわりつき、その葛藤は家康臨終の時まで続いたのかもしれない。
だからこそ、跡継ぎの秀忠には弱くて良いと言い、「わしが乱世の生き残りを根こそぎ連れて逝く」と言った覚悟。
こんな家康の描き方をした大河は、今まであったろうか。


そして何より画期的と思ったのは、「パワーかフォースか」に通じる戦国武将の意識レベルとその結果だ。
女々しく弱い家康に、大河ファンからの批判の声もあったらしいが、それこそが「白兎」家康の本質ではないかと、意識レベルの視点からは、すごくわかるのだ。フォースは好戦的でパワーは穏やかさを好む。
調べた戦国武将の中で唯一パワーだった家康は、乱世の武将として生まれ生きることが定めとは言え、きつい試練だったろうと思わずにいられない。なんたって理を通すのにも、命を奪い合う時代ですからね。理不尽この上ない。


しかし、天は必ずパワーに味方する。それはパワーであることこそが、天が望むことだからだ。
家康もピンチに遭うたびに、大地震で秀吉軍が襲ってこれなくなったり、逃避の際も助けてくれる人が現れ、生き残ってきた。
武力や自分一人の力ではどうしようもないことで奇跡的に助けられてきた。

そして1年の終わり。フィナーレに近づいてくると、我が身に置き換えて人生のしまい方すら考えてしまう。



家臣団が一人二人と減っていく中で、常にそばにいた、同世代のあの平平コンビ。本多忠勝(平八郎)と榊原康政(小平太)。
年齢を重ねてしっかりそれなりの風貌に変わった姿が、メイクのいろんな技や演技力があるのだろうけど、とにかくすごくて、本当に年取ったなあとしか思えなかった。
戦国の荒波を乗り越えてきて、見えづらくなった目、思うように動けなくなった体。しかし体は老いても、本多忠勝と榊原康政の矜持は最後まで健在だったが。そんな二人も家康より先に旅立ってしまった。


しかし、最終回。
ナレーターの寺島しのぶさんが、春日局として登場したり、誰だかわからないふけメイクの天海和尚が、前回大河の主役の小栗旬さんだったり。
その手元に来年の大河の主役・紫式部の「源氏物語」と去年大河の鎌倉時代の「吾妻鏡」が置いてあったり、遊び心もあったけど。
瀬名と信康はまだしも、亡き家臣団総出演の寸劇めいたものは少し増長すぎるのではないかと、ラストだけに残念な気持ちになった・・・

いつも二度見るので最終回も二度見た。そうしたら・・あにはからんや。
二度目に見たら全く違った印象になって、自分でもびっくり。

自分の人生は幸せと言えたのか、最後まで心の葛藤があった家康だったが、これは回想というより臨終間際に見るという、神秘体験だったのだとも言えるのではないか?
(こんなスピリチュアルの入った大河は、見たことない)

改めて、もう一度よく見ると、家康より先にあの世に行った家臣たちが(悲惨な終焉を迎えた者たちも)みな若返って元気に笑っていて、それは家康にとっての救いでもあったことでしょう。
これはもう、視聴者のためのシーンというより、乱世を終わらせた家康の人生へのご褒美なんだろうなあ・・と。
だから、これでいいんだと、どうせ画期的な大河なんだから、最後はスピリチュアルもあって良し。

そして「#どうする絵」にも、はまりましたよ。
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