よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

「源氏物語」の世界-京都府宇治市:「源氏物語ミュージアム」

2024年05月13日 | 京都(京都市以外)
The Tale Of Genji Museum, Uji City, Kyoto Pref.

さてさて、ワタクシ達は世界遺産でもある宇治上神社の参拝を続けていました


狛犬の向こうに見える本殿は平安時代後期の造営で、神社建築としては日本最古のものだそうです。
平安時代の後期ということは、実に1000年もの間、この建物はこの地に鎮座していたんですねぇ


こちらの拝殿は鎌倉時代前期の造営で、寝殿造の遺構といわれています


拝殿の前には、円錐に盛られた「清めの砂」と呼ばれるふたつの盛り砂が奉納されています。
例年9月1日に行われる「八朔祭(はっさくさい)」に氏子さん達によって奉納され、一年間神社を清めてくれるということです


ワタクシ達は宇治神神社の参拝を終えて、さらに北の方へと歩いて行きました。
ワタクシは現在放映されている大河ドラマ「光る君へ」は今ひとつ面白いとは思えないのですが、家人はかなりの興味を抱いていまして、
「せっかく宇治に行くんやから源氏物語の資料館に行きたいわ」ということですので、そちらに向かうことにしました


この建物が「源氏物語」をテーマにした「源氏物語ミュージアム」なんですよ。
宇治市立という公立の博物館にしては、なかなか見た目がオシャレというか、いいデザインだなぁと思いますわ


どうやら今年の宇治市は「源氏物語」を前面に押し出して観光客誘致に尽力しているようですね。
こういうのを見るたびにNHKの大河ドラマや朝ドラの経済効果ってすごいなぁって思います


館内には原寸大の牛車や光源氏の邸宅「六条院」の模型、女性たちの装束や暮らしを再現した展示などがあり、
「源氏物語」に関して分かりやすく解説されています。ワタクシのように古典に無知なものでも、わかりやすい展示でした


この後は車を停めているJR宇治駅の方へ向かい、自宅への帰路に着きました。
ワタクシも家人もそれぞれの目的を楽しむことが出来て、満足した宇治散策となったのでした

使用したカメラ:2、4、5枚目はFUJIFILM X-T30、他はFUJIFILM X-Pro2


気がつけばもう5月も半ばになりました。歳月が過ぎていくのは早いなぁって思いますね。
そして、この時期になると「今年の夏はどこの山に登ろうか、どこに旅行に行こうか」ということを考えるんですよ。
夏が近づくとどこかワクワクしてくるのは、子どもの頃から変わることがないんですよね。



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世界遺産の神社-京都府宇治市:宇治上神社

2024年05月12日 | 京都(京都市以外)
Ujikami Shrine, Uji City, Kyoto Pref.

さてさて、平等院を後にしたワタクシ達は宇治の町を北東に向かって歩いて行きました


この川が宇治川ですが、宇治川は琵琶湖から流れ出るときは瀬田川という名前なのですが、京都府に入ると宇治川と名前が変わります。
下流に行くと京都府と大阪府の境目あたりで桂川、木津川と合流して淀川と名前を変えるわけです


この日、宇治川は上流の天ヶ瀬ダムで放流が行われていたために水量が豊かで、かなり速い水の流れになっていました


宇治川といえば「宇治川の戦い」が有名ですね。平安時代末期に源義仲と鎌倉の源頼朝から派遣された範頼、義経とで戦われた合戦です。
佐々木高綱と梶原景季の「宇治川の先陣争い」も、『平家物語』に描かれていますね。


『源氏物語』の最末尾にあたる第3部のうち後半の橋姫から夢浮橋までの十帖は「宇治十帖」と呼ばれます。
大河ドラマで紫式部を取り上げた『光る君へ』が放映されているため、この場所で写真を撮る人も数多くいました


宇治上神社に着きました。宇治上神社は、宇治平等院の鎮守社として崇敬されていた神社です。
世界遺産「古都京都の文化財」のひとつとしても有名です。平安時代から続く神社で、本殿は日本最古の神社建築なんです。
1060年に建てられたとされ、それから約1000年、今に至るまで残り続けている貴重な建物です


祭神は菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)と、その父である応神天皇、兄の仁徳天皇です。
応神天皇は学問に励む菟道稚郎子を寵愛し、皇太子に立てましたが、菟道稚郎子は「兄である仁徳天皇が皇位を継ぐべき」と譲り、
自ら命を絶ったと言い伝えられています。
兄を想う徳があり、勉強熱心だった菟道稚郎子にあやかり、宇治上神社は学業にもご利益があるそうですよ


かつて「宇治」はうさぎのみち「菟道」(うじ)と呼ばれていました。宇治上神社の紋がうさぎなのはそのためです。
ですので、おみくじやお守りにもうさぎが描かれたかわいいものが揃っているんです


可愛いなうさぎのおみくじは全部で5種類。白、ピンク、黄色、水色、金色のうさぎが並んでいました。
このおみくじ、特に若い女性には人気のようですね

使用したカメラ:1、5枚目はFUJIFILM X-T30、他はFUJIFILM X-Pro2


私は高校時代、小説や随筆を読むのが好きだったせいでしょうか、「現代国語」の授業は好きでしたし、テストも割と良い方でした。
ただ、「古典」には興味や関心が薄く、授業は苦手で『源氏物語」や『徒然草』なども楽しいと思ったことはありませんでした。
今、もう一度読んでみると印象も変わるかもしれないので、一度ゆっくりと読んでみたいですね。



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新緑の頃-京都府宇治市:平等院

2024年05月11日 | 京都(京都市以外)
Byodoin Temple, Uji City, Kyoto Pref.

さてさて、平等院を訪れたワタクシ達は鳳凰堂の秀麗な姿を満喫したのですが、
平等院は紅葉の名所でもあるので、当然ながらこの時期は楓の新緑が美しいんですよ


誰にでも「好きな被写体」というのがあると思います。それは風景だったり、人物だったり、人によって様々でしょうね。
ワタクシには山、古い町並みなど好きな被写体がいくつかありますが、「新緑」も大好きな被写体です


冬枯れしていた木が芽吹いていよいよ鮮やかな緑色の葉を茂らせる…その瑞々しい美しさに、ワタクシは毎年心を惹かれます。
初夏の初々しい若葉の緑は眩い色彩をしており、若葉の木々に包まれていると全身が緑色に染まりそうな気がします


「新緑」「若葉」は夏、もしくは初夏の季語ですので、多くの俳句にも登場して来ますね。
ワタクシは与謝蕪村が好きなのですが、彼も「不二ひとつ うづみ残して 若葉かな」という句を残しています。
なお、「不二」というのは「富士山」のことですね


ワタクシが好きな日本語に「峰走り」という言葉があるんですよ。
峰走りとは、春から初夏の頃に新緑が山の麓から頂へ駆け上がってゆく様子を表わした言葉なんです


山に残る残雪の白、顔を出した土の黒に、目にも鮮やかな緑が加わって、他の季節には無い特別な美的景観を表す言葉です。
ちなみに、秋に紅葉が山頂や稜線から麓へと駆け下りてゆく様子も峰走りと言うんです。
日本語って繊細な自然を表現するのに素晴らしい言葉が数多くありますよね


紅葉は誰もが愛する美しい光景です。もちろんワタクシも紅葉は大好きです。
でも、ワタクシは新緑の美しさは紅葉に負けない素晴らしいものだと思うんですよ


この日、平等院でワタクシは新緑の美しさを十分に満喫することが出来ました


ではでは、次の目的地に向かうとしましょうか

使用したカメラ:1、4、7、8枚目はFUJIFILM X-T30、他はFUJIFILM X-Pro2


平等院鳳凰堂が10円玉に描かれているのは誰もが知っていると思いますが、実は一万円札にも平等院鳳凰堂が描かれているんですよ。
一万円札の裏側を見てください。左の方に鳳凰の姿が描かれています。これは鳳凰堂の屋根にある金色の鳳凰の姿なんです。
これって意外に知らない人が多いんですよね。



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藤原頼通-京都府宇治市:平等院

2024年05月10日 | 京都(京都市以外)
Byodoin Temple, Uji City, Kyoto Pref.


さてさて、平等院を訪れたワタクシ達は、改めて鳳凰堂の美しさに感嘆していました。
鳳凰堂を建立したのは言うまでもなく藤原頼通なのですが、この頼通の人生というのもなかなか興味深いんです


藤原頼通は、藤原道長の長男として992年に誕生しました。朝廷で圧倒的な権力を持つ父の力によって異例のスピード出世を遂げていき、
わずか26歳で摂政の地位につくのです。ですので、頼道は生涯を通して道長には頭が上がらなかったようですね


当時、摂政に就任するのは、天皇の親族や配偶者というのが一般的でした。そのため、藤原道長は66代一条天皇の妃となった藤原彰子を筆頭に、
4人の娘を次々と天皇へ嫁がせています。こうして、藤原道長は娘達に将来の天皇となる男子を産ませ、
自らは天皇の「外戚」となることで摂政の座を手に入れたのです。ちなみに摂政は天皇が幼少時に、関白は天皇が成人した後も
名目は「天皇を補佐して」ですが、実質的には天皇に「とって代わって」政治を行う役職です。
藤原氏が摂政、関白を独占したことから、この時代の政治を「摂関政治」と呼ぶわけですね


摂政となった頼通は、その後3人の天皇の関白を務め、実に52年間も関白の地位に就いています。
藤原頼通は道長のように天皇の外戚であり続けるために、一人娘の藤原寛子を後冷泉天皇へ嫁がせました。
しかし期待していた男子には恵まれず、これが摂関政治の終焉につながったとされます。
関白を務めた3人の天皇が亡くなると、自分が影響力を及ぼすことができる天皇がいなくなり、藤原頼通の権力は弱まります


そして長年対立してきた、尊仁親王が71代後三条天皇として1068年に即位しました。
後三条天皇は約170年ぶりに誕生した、藤原氏と血縁関係がない天皇でした。
後三条天皇は藤原氏に遠慮することなく政治改革を推進。政治の実権を天皇の手に取り戻していきます


一方、藤原頼通の時代には、それまで表面化しなかった問題が次々と噴出します。
1028年、上総国(現在の千葉県)で国司の圧政に不満を持つ平忠常が反乱を起こします。
藤原頼通は討伐軍を送ることを決めますが、縁起の良い日をわざわざを選んだため実際に派遣されたのは約40日後というありさま。
その間に勢いを得た反乱軍との戦いは長引き、鎮圧まで3年を費やしました。
この辺りは「迷信」「陰陽道」などを盲信していた平安貴族らしいと言えば、「らしい」ですね


1039年には比叡山延暦寺の内部抗争がもとで、僧兵が藤原頼通の屋敷に火を放つという事件も起きています。
東北地方では、豪族の安倍氏の朝廷への反抗による「前九年の役」が勃発します。1051年から12年間にわたって戦いが続きました。
当時、地方には朝廷の力が及ばず、また朝廷の貴族達は一族の出世ばかりに目が向いていたため、地方が大いに乱れ治安が悪化。
やがて武士の台頭を招くこととなり、世の中は貴族から武士(平氏や源氏)の時代へと変わっていくのですな


こう書いていくと、藤原頼道という人が幸せだったのかどうか、ワタクシは疑問に思ってしまいます。
ワタクシなどは父親が出来の悪い人物だったので、父親は反面教師ではありましたが、父親から指図されることが無かったのは
気楽と言えば気楽だったのかもしれません

使用したカメラ:4、5、8枚目はFUJIFILM X-T30、他はFUJIFILM X-Pro2


世の中には「権力志向」が強い人と弱い人がいますが、私は全くと言っていいほど権力志向がありません。
ですので職場においても上の人に取り入ることも媚を売ることもなく、派閥的なものにも全く無頓着でした。
そのために損をしたこともあったのでしょうが、それでよかったのだったと思っています。



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鳳凰堂と浄土信仰-京都府宇治市:平等院

2024年05月09日 | 京都(京都市以外)
Byodoin Temple, Uji City, Kyoto Pref.

さてさて、久々に宇治を訪れたワタクシ達は新緑も美しい平等院へとやって来ました


そして、平等院といえばなんと言ってもこの「鳳凰堂」が有名ですよね。
言うまでもなく「古都京都の文化財」の一つとして、世界遺産にも登録されている京都を代表する建築物です。
この平等院鳳凰堂ですが、平等院創建の翌年、天喜元年(1053)に作られたものでして、元々は阿弥陀堂と呼ばれていました。
中堂を中心に、その左右に翼廊が延びる全体像が、鳳凰が羽を広げている姿に似ていることから鳳凰堂と名が付いたのですが、
鳳凰堂と呼ばれるようになったのは江戸時代の頃からだそうですね


この鳳凰堂なのですが、この建物が造られた時代背景というのがなかなか興味深いんですよ。
11世紀に入ると世の中に「末法思想」という考えが広まります。末法とは仏の教えは説かれるものの、修行するものもなく、
戒律も守られなくなり、悟りを得るものもないという、釈迦の教えの効力が失われた時代です


当時の人々は1052年(永承7)から末法の時代に突入すると考え、末法の時代が始まることに恐怖を抱いていました。
また、ちょうどこの頃、つまり平安時代末期は貴族の摂関政治が衰え院政へと向かう時期で、また武士が台頭してきた事もあり、
治安の乱れも激しく、民衆の不安は増大しつつあったんです。また仏教界も僧兵・強訴の台頭によって退廃していきました。
このように仏の末法の予言が現実の社会情勢と一致したため、人々の現実社会への不安は一層深またんです。
そして、この不安から逃れるため厭世的な思想に傾倒していったんですね


そのような中、貴族や民衆は「現世では世の中が乱れて死んでしまうのなら、せめて来世は極楽に往生したい」と願うようになりました。
当時の貴族は極楽往生を願い、極楽浄土の教主とされる阿弥陀如来を本尊とする仏堂を盛んに造るようになります。
これがいわゆる「浄土信仰」と呼ばれるもので、浄土信仰の際たるものがこの平等院鳳凰堂なんですね


父である藤原道長の別荘「宇治殿」を受け継いだ藤原頼通は宇治殿を寺院へと改めました。これが平等院です。
そして、鳳凰堂を建立したことで頼通は極楽浄土への往生を確信していたのでしょうか。
あらゆる権力を手にしていたであろう関白藤原頼通ですら末法の世を恐れ、極楽浄土への往生をひたすら願ったのですから、
当時の人々の「迷信」「怨霊」「祟り」などへの恐れというのは、今のワタクシ達には想像がつかないですね


しかし、そのような浄土信仰の広まりのおかげで、この鳳凰堂のような素晴らしい建築物や、
美しい浄土庭園を今の時代に生きるワタクシ達は楽しむことが出来るのですから、ありがたいことです


浄土庭園において、ワタクシが立っているこの場所は「此岸」、すなわち現実の世の中です。
そして、阿弥陀仏がいる鳳凰堂がある場所は「彼岸」、つまり極楽浄土だということですね


少し角度を変えるだけで様々な表情を見せてくれる鳳凰堂。もう少しこの素晴らしい建造物を見ていくとしましょうか

使用したカメラ:2、5、7枚目はFUJIFILM X-Pro2、他はFUJIFILM X-T30


平安時代の貴族って、優雅に日々を過ごしている…そんなイメージがありますよね。
でも、年中行事が頻繁にあって、行事を滞りなく執り行わねばならないとか、
陰陽道に基づいてその日の運勢を確認し、その日の行動は運勢によって支配されるとか、まあ面倒なことが多いんですよ。
もしタイムマシンというものが実現しても、私は平安時代には行きたいとは思わないんですよね。



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