よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

行列ができる鰻屋さん-三重県亀山市:「うなぎの初音」

2024年11月16日 | 三重
“Unagi no Hatsune”, Kameyama City, Mie Pref.

さてさて、関西本線関駅は列車が出発して行った後は、静寂に包まれておりました


ワタクシ、小学校5年生の時に関西本線を大阪から名古屋まで各駅停車で乗り通したことがあるんです。
愛知県に親戚がいまして、夏休みに親戚の家に遊びに行くことになったので、ワタクシは一人で親戚の家に向かいました。
親戚は「朝から電車に乗って行ったで」と聞いていたので、新幹線で来るものだと思っていたんです


ところがワタクシは愛知県の蒲郡という町まで、名古屋までは関西本線、名古屋からは東海道本線に乗って行ったんです。
夕方になってもワタクシが来ないので、大騒ぎになっていたところにワタクシがやって来たので、
「どこかで迷ったのか」「事故に遭ったのかと心配してた」という親戚に向かって、
「各駅停車で来てん。俺、絶対に迷ったりせえへんで」と答えたワタクシに、親戚は呆れるやら大笑いするやらでした。
今ならスマホで簡単に連絡がとれますから、こんなトラブルは起こることはありませんな


ワタクシ、関宿に来るたびに気になっているお店がありました。「うなぎの初音」という鰻屋さんでして、
相当美味い鰻を食べさせると聞いていたんです。しかし、二度お店に行ったことがあるんですが、
二度とも整理券が配られるほどの大行列でして、鰻を食べるのを諦めたんですよ。
今回は11時の開店時間に合わせて11時5分に行ったのですが、その時点で8名の人が並んでいました。
平日でこの状態ですから、土日のお昼は整理券が出るのやむを得ませんな


「焼くのに20分ほどかかるんですよ」とお店の方に言われたので、その間に関駅まで行って写真を撮ってきたんです。
このあたりの行動力は我ながら感心するばかりです。撮影が終わってお店に戻ってくると、炭火で焼かれた鰻が用意されていました。
本来ですと焼きたての鰻をお店で食べるのが一番美味しいのですが、ワタクシ、車に乗ってきております。
どうしてもビールを飲みながら鰻を食べたいので、家に持って帰ることにしたのです


どーですか。ケチンボのワタクシですが奮発して3700円の蒲焼きを買ったのです。
これは美味そうです。美味いはずです。美味いに決まっています。ワタクシ、ウハウハするのでありました


どーですか。左は「うな丼」ですが、ご飯の中にも鰻の蒲焼きが隠れているのです。
どーですか。右は「う巻き」です。もちろん家人が作ってくれたのです


香ばしい香りが鼻腔の中に漂います。匂いを嗅ぐだけで幸せな気持ちになりますわ


う巻きもワタクシの大好物です。この日はワタクシにしては贅沢な夕食となりました


味は申し分ありません。皮はパリッと焼かれ、身はフワッと柔らかいのです。
わざわざ遠方から多くの人がやって来る人気のお店だということも頷けます。
また関宿に行く時には買って帰りたい、いや、次回はお店で焼き立ての鰻を食べたいと思わせるお店でした

「うなぎの初音」…三重県亀山市関町新所898-1

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30


旅先に行くと、その土地の美味しいものを食べたくなります。それは別に高価なものではなくB級グルメと呼ばれるようなものでもいいし、
港町だと絶対に新鮮な魚介類を食べたいと思います。今のところはありがたいことに、食事に制限などはありません。
食べ物の好き嫌いもさほどありませんし、アレルギーなどは全く無いのもありがたいです。
これからも美味しいものはたくさん食べたいです。ただし、暴食はしませんよ。



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「本線」という名前は残っているけど-三重県亀山市:JR関駅

2024年11月15日 | 三重
Seki Station, Kameyama City, Mie Pref.

さてさて、関宿の散策を終えたワタクシは、関の宿場町からすぐの場所にあるJR関駅へと向かいました


関駅は関西本線の駅でして、関宿の町並みにマッチする駅舎が目を惹きます。
関西本線は名古屋を起点とし、三重県の亀山、奈良を経由して大阪のJR難波を結ぶ「本線」です


しかし、この時刻表を見てください。「本線」という名前が悲しくなる運行状況です。
関西本線ですが、以前は名古屋~大阪間を直通で結ぶ列車が運行されるなど、名古屋圏と大阪圏を結ぶ重要な役割を担っていましたが、
東海道本線の整備が進められ、さらには東海道新幹線が開通したこともあり、現在直通列車は運行されていません


現在の関西本線は名古屋~亀山間59.9㎞(電化区間)、亀山~加茂間61.0㎞(非電化区間)、
加茂~JR難波間54.0㎞(電化区間)の3区間の運行系統に別れています。
このうちの亀山〜加茂間はもはや完全にローカル線となっており、長大なプラットフォームに過去の栄華を感じます


11時21分発、加茂駅行きの気動車がディーゼル音を響かせながらやって来ました。わずか一両の編成です


降りてきたのは子ども連れの親子3人。乗る人はいませんでした。一日の平均乗車人数は200人を少し超えるくらいだそうです。
かつてはD51が長大な編成の客車列車を牽引し、この関駅と隣の加太駅の間は急勾配が続くために、
D51が濛々と煙を噴き上げて走ってくるのでSL撮影の名所だったんです。
その頃は、多くのDLマニアがこの駅を訪れていたのでしょうね


そんな時代があったことが嘘のように、一両編成の気動車はどこか寂しげに関駅を出発していきました


鉄道が好きなワタクシですら、この日は自動車で関にやって来たのです。不便な関西本線をわざわざ利用するのは、
よほどの鉄道好きの人か「青春18きっぷ」で旅を楽しむ人くらいなのでしょう


それでも関西本線が存続してほしいと願うのは、あまりにも身勝手なのでしょうか。
ワタクシはローカル線の駅を訪れる度に、そういう気持ちになってしまうのです

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30


今はまだフルタイムで仕事をしていますが、いずれ仕事を完全にリタイアする日も遠くないうちにやって来るでしょう。
その時に、やりたいことの一つが「まだ乗ったことがないローカル線に乗りに行く」ことなんです。
特に東北地方には乗ったことがないローカル線が多いので、是非とも鉄道旅をしたいんですよ。



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関の地蔵さん-三重県亀山市:関宿・地蔵院

2024年11月14日 | 三重
Jizouin Temple, Old Seki Post Town, Kameyama City, Mie Pref.

さてさて、関宿の旧東海道を西に向かって歩いて行くと、街道沿いに立派なお寺が見えてきます


このお寺は地蔵院というのですが、正式な名前は宝蔵寺地蔵院。地元の人や昔の旅人からは親しみを込めて、
「関の地蔵さん」「関の地蔵院」と呼ばれてきたそうです


お寺の歴史は非常に古いものでして、創建は詳らかではないのですが、天平13年(741)奈良東大寺の僧行基が、
諸国に流行した天然痘から人々を救うため、関の地に地蔵菩薩を安置したと伝えられています


お地蔵様というのは、この世でもあの世でも、あらゆる苦しみから人々を救ってくださる菩薩だと言われています。
地蔵院の本尊である地蔵菩薩は数あるお地蔵様の中で、古くから東海道を旅する人々の信仰も集め、多くの人々に敬愛されてきました。
旅人たちは旅の安全を願い、お地蔵様に手を合わせたのでしょうね


この地蔵院は行基によって創建されたと伝えられているのですが、関西ではあちらこちらに「行基ゆかり」という場所があるんです。
行基とはどんな人物だったかというと、これがなかなか興味深い人物なんですよ。
当時の仏教界においては、「僧侶は寺院の中にこもって、仏が国を護ってくれるように祈る」というスタイルが一般的でした。
これに対して行基は、寺院から外へ出て、民衆に対する布教を積極的に行っていきました。
また、貧しい人々に宿泊と食糧を提供するための布施屋を建設したり、橋や道路、新田開発などの土木工事にも携わりました。
こうした行基のやり方は異端であるとして、朝廷は弾圧に乗り出すんです


やがて時を経て罰を解かれると弟子を率いて諸国を巡り、橋を架ける、道を作り池を掘る、寺を建てる等、社会事業に力を注ぎます。
その後、東大寺大仏造立に際し、弟子をと共に協力し、その功績が認められて745年にわが国最初の大僧正に任命されました。
聖武天皇にも深く尊敬されたということです


いつの時代においても皆と違う行動をとると異端児と称されます。「出る杭は打たれる」というのは世の常です。
悲しいくらいに同調圧力が強いのが日本人の欠点ですが、もうそういう因習は断ち切ってほしいものです


久々に訪れた関宿。子どもの頃に大好きだった『東海道中膝栗毛』の弥次さん、喜多さんが歩いているかのような気がしました


ワタクシはこれからも旅人でいたい。出来るだけ自分の足で歩く旅人でありたいと思うのでありました

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30


『東海道中膝栗毛』は私にとって愛読書以上の存在でした。もちろん子ども向けに書かれたものですので、
全八篇もある原本からは内容も精選されており、子どもにふさわしくないような箇所は割愛されていたことでしょう。
表紙がボロボロになるまで何度も何度も読み返した『東海道中膝栗毛』。旅好きな私の原点は、この本にあるのかもしれません。



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高札場-三重県亀山市:関宿

2024年11月13日 | 三重
Old Seki Post Town, Kameyama City, Mie Pref.

さてさて、ワタクシは関宿の町並みを、さらに西へ西へと歩いて行きました


街道脇に「高札場」がありました。高札とは、幕府が定めた法度や掟書などを板に記したもので、高札を掲げた場所が「高札場」です。
人々に周知徹底することが目的ですから、宿場の入口や中心部など、往来が多く目立つ場所に設けられました


もともと江戸時代にあった高札場は、明治10年に取り壊されたしまいました。
現在の高札場は平成16年3月、関宿が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されて20周年の記念として復元されたものです


『東海道宿村大概帳』によると、関宿高札場には八枚の高札が掲げられていたそうです。
その内容は、生活にかかわる様々な規範、キリシタン禁令や徒党・強訴などの禁止といった幕府の禁令、
隣接宿場までの人馬駄賃の規定だったということです


高札で一番有名なのは、徳川家光が出した「慶安の御触書」ではないでしょうか。
農民の生活を統制するために書かれたものですが、これがまぁ面倒くさい内容なんですよ


主な内容は、「幕府の出す法令を守り、役人に従うこと」、「朝から晩まで、常に気を抜かないで仕事に励むこと」、
「麦・粟・稗(ひえ)などの雑穀を食べて、米を食いつぶさないようにすること」、「衣服は、麻と木綿に限ること」などです


ご存知のように幕府や藩は、農民が生活のゆとりを残せないほど、厳しく年貢を取り立てました。
「百姓は、生かさぬように、殺さぬように」あるいは「百姓と胡麻(ごま)の油は、絞れば絞るほど出るものなり」という言葉が、
それを物語っていますな。ワタクシの先祖は間違いなく農民ですので、苦しい生活だったことでしょう


「志ら玉」と書かれていますが、志ら玉とは北海道産小豆で作ったこし餡を上新粉の生地で包んだ素朴な生菓子で、
関宿の名物なんですよ。ただ、ワタクシは甘いものに興味が無いので食べたことはありません


ここは「會津屋」というお店なのですが、もともとは東海道関宿を代表する旅籠のひとつだったんです。
現在は「おこわ」と「蕎麦」で人気のお店です。ワタクシ、以前に一度このお店で昼食をいただきました
https://blog.goo.ne.jp/harigatake1961/e/6691cc956adaf1458d6d74f04f6c0800

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30


私は中学校や高校の歴史の授業で、「江戸時代は士農工商という身分制度があった」と習いましたが、今は違うんですよ。
実際は、武士、百姓、町人の3つに分類されていて、百姓や町人でも功績が認められれば武士になることも可能だったそうなんです。
今の教科書からは「士農工商」という言葉が消えたと聞いて、私はびっくり仰天したものでした。



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旅籠-三重県亀山市:関宿

2024年11月12日 | 三重
Old Seki Post Town, Kameyama City, Mie Pref.

さてさて、関宿の散策を続けるワタクシは、かつての宿場町ならではの資料館へとやって来ました


この建物は「関宿旅籠玉屋歴史資料館」と言いまして、日本最初の旅籠資料館なんですよ。
玉屋は関宿を代表する大旅籠で、「関で泊まるなら鶴屋か玉屋」と謡われたほどだそうです。現在は修復され、当時使われていた寝具、
食器などの道具や庶民の旅に関する歴史資料、歌川広重の浮世絵などが見られる資料館になっています


旅籠(はたご)とは本来、馬で旅をするときに馬の餌を入れる籠(かご)を意味する言葉でした。
それがいつしか「人の食事を入れる器」を示す言葉になり、さらに「宿で出る食事」という意味に変わりました。
江戸時代には「旅籠=食事を出す宿」という意味になり、これが定着したんですね


旅籠と並んで、庶民が旅で利用した宿に木賃宿というのがありました。
旅籠と木賃宿との違いは、食事が付いているか付いていないかの違いなんです。
旅籠では夕食と朝食を出し、店によっては昼食の弁当を出すところもありました。
一方、木賃宿は、旅人が米を持参し、薪代を払って自分で米を炊くかまたは炊いてもらったんです。
当然、宿泊代は旅籠の方が木賃宿よりも高いわけですな


旅籠の宿泊費は、1泊2食付きで200文から300文だったそうです。現在の貨幣価値でいうと5000円強になるようです。
これで2食付きならビジネスホテルよりも格安だなぁと感じます。
もっとも、食事と行っても豪華なものではなく一汁一菜が基本で、ここに焼き魚や煮魚が付くとお得だったようですね


ただ1泊2食付きの旅籠と言っても、宿代だけで済まされるものではなかったらしいんです。
宿場には飯盛り女(宿駅の宿屋で旅人の給仕をし、売春も兼ねて行った女)や按摩(あんま)が常駐していることが多かったそうです。
隙を見ては飯盛り女が「給仕はどうか(もちろん給仕だけではありませんな)」、按摩が「腰と脚をもみましょう」とやってきます。
部屋には「土産物はどうか」と饅頭などの売り込みが来ます


もちろん飯盛り女と夜を過ごすことを楽しみにしている旅人にはありがたいのでしょうが、
朝から夕方まで40kmも歩いてきて、疲れた身体を早く寝て休めたいと思う人には迷惑だったことでしょう


また「護摩の灰」と呼ばれた盗人もよくいたようで、大部屋では宿泊客の寝ている間にコッソリ枕元に置いてある金品を盗み取る
枕探しという犯罪行為も多発していたようです。これでは安心して眠ることも出来ませんな


そう思うと、今とは違って「旅をする」という行為は「危険を覚悟」するものだったのでしょうね。
今は安心して旅を出来るのがありがたいです。でも、今の治安の良さはいつまで続くのでしょうね

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30


今の日本で安価に旅を済ませようと思うと、ビジネスホテルに泊まるのが一般的かと思います。
ただ、外国人観光客が高値でもビジネスホテルに泊まってくれるので、東京や京都などでは宿泊料金が相当値上がりしてるんですよ。
このままだと「日本人が日本国内の旅行に行きにくくなる」なんていう事態になりかねないので、
政府には早く手を打ってほしいと願っています。ただ、日本は何をするにも時間がかかりますからねえ。



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