よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

気動車が似合う駅-島根県津和野町:JR津和野駅

2024年10月08日 | 島根
Tsuwano Station, Tsuwano Town, Shimane Pref.

さてさて、津和野の町の散策を続けてきたワタクシ達ですが、列車の出発前に津和野駅近くで昼食を食べようと思いました


思っていたよりも津和野の町には飲食店が少なかったのですが、駅の近くに「みのや」というお店がありました。
見るからに観光客向けのお店のようですが、他にこれというお店も無いので入ってみることにしました


ワタクシは冷たい蕎麦を食べたかったので、「冷やしぶっかけ肉玉そば」というのをオーダーしました


列車の旅です。車を運転する必要がありませんので、昼間からビールを飲むことが出来るのです。
蕎麦を食べ、ビールを飲んでワタクシ達は津和野駅へと向かいました


昔の国鉄を知る人ならわかってもらえると思うのですが、津和野駅って国鉄時代の雰囲気を強く感じます。
かつてこの駅に多くの駅員が働き、多くの乗降客がホームに溢れ、長い編成の客車列車を蒸気機関車が牽引していた風景が、
ワタクシには目に浮かんでくるような気がしたのでした


アンノン族が萩や津和野にやって来ていた1984年、津和野駅の一日平均乗車人数は873人でした。
しかし、2020年には140人までその数字は落ち込んでいます。長いプラットホームがどこか寂しげに感じられました


それでも「特急スーパーおき」が上り下りともに一日に3本やって来るのですから、まだマシなのかもしれません


ワタクシ達が乗る12:13発の普通列車です。国鉄時代の気動車がこの駅にはよく似合います。
ちなみにこの色合いなのですが、正式名は朱色5号というそうなんです。
ただ、この塗装は乗客や趣味者の間での評判は決して良くありませんで、卑称として「タラコ色」とも呼ばれたんですよ


13:29に山口駅に到着。山口駅は県庁所在地のメイン駅とは思えない小じんまりした駅で、
都道府県庁所在地のJR代表駅としては乗降人員数が最も少ない駅となっています


駅の外に出てみると、外国人観光客達がいました。今では有名観光地のみならず、どんな町にも外国人の姿を見るようになりましたね。
ではでは、まずは予約しているホテルまで行って荷物を預け、それから山口市内の散策に向かうとしましょうか

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


私は鉄道はおろか、バスですらあまり来ないような場所に旅行に行くことが多く、車で旅行に行くことが多かったんです。
しかし、ここ数年は鉄道で旅をする機会が増え、あらためて鉄道旅の良さ、楽しさを感じるようになりました。
今やってみたい鉄道旅は、北海道の稚内から鹿児島の枕崎まで各駅停車に乗って旅をすること。
完全に仕事をリタイアする時に、真っ先にやりたい旅なんですよ。



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クリームソーダ-島根県津和野町

2024年10月07日 | 島根
Tsuwano Town, Shimane Pref.

さてさて、ワタクシ達は津和野の町を訪れ、重要伝統的建造物群保存地区に選定された地域をウロウロと歩いていました


時刻は午前10:30頃になりました。太陽が高くなってくると、この日も猛烈な日差しとなりました


この日の津和野は最高気温が36℃。10時30分でもすでに34℃になっていました。
内陸部の盆地ですので冬は寒く夏は暑い気候なのでしょうが、今年の夏は特別に暑かったようです


水の中で悠々と泳ぐ鯉が羨ましくも思えますが、この子達は狭い水路の中でしか動くことが出来ません。
本当はもっと広い場所で泳ぎたかったのかもしれません


とにかく暑い津和野です。ワタクシ達は「冷たいものが飲みたい」とカフェや喫茶店を探していたのですが、
「沙羅の木」という昭和っぽい雰囲気の喫茶店がありましたので、中に入ることにしました


内部もまさに昭和レトロ。最近は昭和時代、特に高度経済成長期の温かみのある雰囲気やノスタルジーが再評価され、
昭和の映画、音楽、建物、ファッション、雑貨、デザインなどが再び注目を集めているそうです。
このお店なんて、昭和レトロが好きな人にはいいんじゃないですかねぇ


そして、ワタクシは数十年ぶりに「クリームソーダ」をいただきました。
懐かしい味はもちろんですが、このグラスやコースターも「ザ・昭和」です。
ワタクシは、子どもの頃によく祖母と一緒に行った喫茶店を思い出していたのです


今の若者には「昭和」という時代が、どんな風に思えるのでしょうか。
年功序列、精神主義、終身雇用、粉骨砕身など、今の若者には否定したくなることが山ほどあった時代かと思います。
でも、「努力すれば報われる」「頑張れば評価される」と信じることが出来た時代だったように思うんです。
私はいい時代に生まれ、いい時代に学生生活を送り、いい時代に働くことが出来たと感じています


津和野の散策もそろそろ終えなくてはならない時間が近づいてきました。津和野駅に向かうとしましょうかね

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


時代は令和になり、テクノロジーの進歩には驚くばかりです。でも、私はテクノロジーの進歩、とりわけAIの普及には危機感を感じています。
AIが攻撃的な思想を持ち始めたり、人間が悪用するようになると、人間に偽装した犯罪が増加するのは間違いありません。
何よりも「人と人とのつながり」「義理と人情」などが薄れていくのは確かでしょうが、それを残念がるのが古い人間なのでしょうね。



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商人の町-島根県津和野町:本町通り

2024年10月06日 | 島根
Honmachi Street, Tsuwano Town, Shimane Pref.

さてさて、重要伝統的建造物群保存地区である津和野の町を歩くワタクシ達は、
殿町通りを抜けて、次は「本町通り」へとやって来ました


殿町通りが武家町であったのに対して、ここ本町通りは商人町として栄えました。
この建物は「分銅屋七右衛門」というお店で、建物は国の登録文化財になっていました。
江戸時代は髪付けや和蝋燭を製造販売していましたが、最近では文香、線香、匂袋、便箋、絵葉書、熨斗袋、和蝋燭などの
和小物を販売しているそうです。女性の観光客には人気でしょうね


こちらは明治時代の初めから、農機具や種苗を販売しているお店だそうです。
この辺りの建物の屋根は、赤茶色い石州瓦が使われていました


こちらは古民家を利用したイタリア料理店でした。なかなか人気のお店だそうですよ


この通りは旧山陰道になります。「さゝや」と書かれたお店がありますが、こちらは安政元年(1854年)に創業した呉服屋さん。
創業170年ですから、立派な老舗ですね


こちらの酒蔵も創業は江戸時代中期。300年近い歴史を持つ酒造でした。
城下町に行くと必ずといっていいほど古くからの酒蔵があるのですが、ここ津和野は青野山の伏流水に恵まれており、
美味しいお酒が造られるようです。ただ、ワタクシは日本酒は飲みませんので地酒を買うことはありませんでした


ビールを筆頭にワイン、焼酎、ラム酒、ウォッカ、ジンなど、大概のお酒は好きなのですが、
なぜか日本酒はダメなんです。我ながら不思議でなりません


表通りもいいのですが、ワタクシはこういう裏通りを歩くのが好きです。
特に観光名所でもない場所が、ワタクシには魅力的であることが多いのです。
そこで暮らす人々の生活感が感じられるような場所が、ワタクシは大好きなんですよ


思えば日本各地、いろんな町を歩いて来ました。この日も猛暑の中を汗まみれになりながら、よく歩きました。
歩く速さじゃないと見落としてしまうこと、気づかないことってたくさんあると思うんです。
ですので、ワタクシはこれからも「歩く」ことにはこだわっていたいのです。そのためには元気でいないとダメですね

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


私が40数年前に津和野に来た時は、大阪駅から「急行だいせん」という夜行急行列車で終点の出雲市駅まで行き、
そこから列車を乗り換えて津和野までやって来たんです。
当時はまだ夜行急行、夜行寝台特急が数多くあり、私は特に大阪から長野に行く「急行ちくま」という夜行列車には何度も乗りました。
今はもう夜行列車がありません。列車の中で目を覚まし、車窓に夜が明けていく様子を眺めるあの楽しさをもう一度味わいたいのですが、
JRは夜行列車を復活してくれないですかねぇ。



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悲しい歴史-島根県津和野町:津和野カトリック教会

2024年10月05日 | 島根
Tsuwano Catholic Church, Tsuwano Town, Shimane Pref.

さてさて、「重要伝統的建造物群保存地区」である津和野の町並みを、ワタクシ達は歩いていました


鯉が泳ぐ水路に沿って歩いていくと、日本的な津和野の古い町並みに目を惹く建物がありました


この建物は「津和野カトリック教会」でして、イエズス会のドイツ人司祭パウロ・ネーベル神父によって建てられました


キリシタン迫害、キリシタンの殉教というと長崎や天草が頭に浮かびますが、ここ津和野にも悲しい歴史があるんです。
1867年、大規模な隠れキリシタン弾圧事件が起こり、長崎浦上村の153名が津和野藩に送られました。
津和野の乙女峠にある光琳寺に到着、キリシタン達は本堂に幽閉され、津和野藩により改宗の説諭が行なわれましたが棄教する者はなく、
津和野藩により信徒に対して酷い拷問が行われて、1870年までに37名の殉教者を出しました


1873年の禁教解除により残っていた信徒たちは釈放され、浦上へと帰されたんです。
このようなことが、明治の初め(1868年が明治元年ですね)まで行われていたことに驚きを感じます


この教会はキリシタン殉教の慰霊のために1890年に建てられ、火災により、1931年に再建されました。
教会の隣には殉教資料を集めた乙女峠展示室がありました


教会の内部には畳が敷かれていました。畳が敷かれた教会は珍しいかと思います。
ワタクシは清里の清泉寮にある教会で、畳敷きの教会を見たことがあるのを覚えています


ワタクシは仏教徒であるといっても信心深いわけでもなく、日々の生活を仏教の教えに従って過ごしているわけでもありません。
そんなワタクシには、拷問に耐えてまで棄教を拒むという信仰心を理解し難いのですが、
キリシタン達の崇高な精神には心揺さぶられる気がします


「IHS」はイエズス会の紋章ですね。イグナチウス・ロヨラ、フランシスコ・ザビエル達はこの極東の地に、
今も信仰を守る人たちがいることを、どのような思いで空から見つめているのでしょうか

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


私は宗教というものは、たとえ微力であっても「平和」というものに貢献する存在であると思っていました。
しかし、ウクライナ紛争やイズラエルによるガザへの攻撃などを見ていると、宗教は人類の平和には何ら力を持たないのだと痛感しました。
私はこれからの時代は、宗教を信仰しない「無神論者」が増えるのではないかと思うのです。



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山陰の小京都-島根県津和野町:殿町通り

2024年10月04日 | 島根
Tonomachi Street, Tsuwano Town, Shimane Pref.

さてさて、太皷谷稲成神社の参拝を終えたワタクシ達は、津和野の中心部へとやって来ました


津和野の弥栄神社には「鷺舞神事」というのがあり、その像がありました


津和野も「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されているのですが、この辺りは「殿町通り」と呼ばれる一画です。
「殿町通り」は保存地区の南側にある旧武家町で、白壁の土塀が美しい町並みが広がっています。
ワタクシの記憶と雰囲気が違うなぁと思ったのですが、ワタクシが40数年前に訪れたのは4月初めでした。
イチョウの木には葉が無かったはずですから、ワタクシの印象とは違ったのですね


土塀に面した通りの掘割には、この付近だけで400匹余りの大小様々の鯉が泳いでいます。
観光客が餌をあげるからでしょうね。ここの鯉は丸々と太っていますわ


津和野は幕末の嘉永の大火(1853年)で城下町の多くが焼失しましたが、
城下町として整備された江戸初期からの通りや水路などの地割りは原形をとどめていまして、
現状の街並みは、それ以降の建物で占められ、江戸末期から戦前ごろまでの多様な建築様式が見られます


この建物は「旧鹿足郡会議事堂」でして、現在は津和野町教育委員会の建物として利用されていました


この立派な門は「大岡家老門」で、奥の建物は「津和野町役場」です。この役場ですが、大正8年に鹿足郡役所として建てられました。
その後、一時警察署として使用されるも、昭和30年の町村合併で津和野町役場となり、それ以後外観は大きな変化はないそうです


この津和野の町並みは「山陰の小京都」と呼ばれるのですが、戦国時代に大内氏が京文化を好んで受け入れたようですね。
上に書いた鷺舞も、もとは京都の祇園から山口へ伝わり、山口から津和野へと伝えられたものだそうです


ではでは、魅力に溢れた津和野の町ですが、散策を続けていくとしましょうか

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


以前に津和野を訪れたのは、まだ肌寒い4月の初めでした。ですので、猛暑の津和野の町は、私の記憶とは少し違って見えました。
同じ土地であっても季節が違ったり、天候が違うだけで受ける印象は大きく変わります。
ですので、たとえ同じ場所であっても、私にとってはいつも「一期一会」。行くたびに新しい発見があり、新しい感動があるのです。



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