よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

船を待つ間に-香川県小豆島町:福田港

2013年08月27日 | 香川
Shoudoshima Island, Kagawa Pref.

さてさて、香川県小豆島で過ごした職場の親睦旅行もあとは大阪に帰るのみとなりました。
二十四の瞳映画村を出発したバスは小豆島町の福田港に到着したのですが、予定よりも少し早く港に着いたので、フェリーが来るまで少し時間がありました。
そうなるとバスの中でじっとしているワタクシではありません。港の周辺をちょっとばかり散策してみることにいたしました。
ワタクシ、仕事に対する熱意は人並み(以下かも)ですが、自分の趣味に対する熱意は人の何倍もあるんですな


福田港は港といっても漁港ではなく、フェリーが発着するための港です
ですので、福田の町には漁港らしい佇まいは残念ながら感じることはありませんでした。


しかししかし、海に近い古い街並みはなかなか趣ある佇まいでありました


有名な観光地でなかろうが、名もなき町であろうが、歩いてみれば自分の心に染み入るような光景があるのです。
そういう光景を探して歩くのが、ワタクシにとっては町を歩く大きな楽しみであり魅力なんですよね


真夏の日差しが静かな町に差し込んできます。静かな町は歩く人もおらず、トンビの声が聞こえてくるだけでした。


港の側にある食堂は、フェリーを待つ運転手たちがお客さんにやって来るのでしょうか?
この日はどう考えてもお客さんがいる気配はありませんでした。ただ、ワタクシには黄色いビールの幟が目について仕方がありません。あぁ、我慢我慢。


そうこうしているうちに、ワタクシたちが乗船するフェリーがやってまいりました。
たった一日の短い滞在でありましたが、小豆島は機会があればまた個人でやって来たいと思う土地でありました。
穏やかな瀬戸の海、明るい陽光…瀬戸内はいつ訪れても優しく迎えてくれるんですよね


姫路に戻ったワタクシたち一行は姫路市にある「灘菊酒造」に立ち寄りました。
ここには酒蔵を改造した食事処があって、そこで昼食を食べようというのが幹事さんの企画でありました。


「タイのアラ炊き」「寄せ豆腐」「麦とろご飯」などを美味しくいただきまして、今回の旅行は最後となりました。
幹事さんに感謝しつつ、一方で「やっぱり団体旅行は苦手かなぁ」とも思いつつ、でも楽しい気分で自宅に帰ったワタクシでありました。

使用したカメラ:FUJIFILM X-E1


最近は職場の親睦旅行というのも、どんどん減っているようですね。
確かに昔のように、パブリックでもプライベートでも付き合う相手は仕事関係の人間ばかりというのは、私も望みません。
ただ職場の潤滑油として、親睦会や親睦旅行などがあるのも、悪くはないかなぁと思うんですよねぇ



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木造校舎-香川県小豆島町:二十四の瞳映画村

2013年08月26日 | 香川
Shoudoshima Island, Kagawa Pref.

さてさて、職場の親睦旅行で香川県小豆島町の「二十四の瞳映画村」へとワタクシはやってまいりました。


いつ見ても瀬戸内の海は穏やかで、優しい印象を受けるんですよねぇ。

そしてそして、なんといってもこの映画村のメインになる建物は、映画の舞台となった小学校の校舎です。
旧苗羽小学校田浦分校(旧田浦尋常小学校)は1902年の開校から1972年の閉鎖まで70年間、村の小学校として使用されました。
その校舎を再現した建物がここの映画村にあるんですよね


ワタクシは昔の学校というか、木造校舎が大好きでありまして、これまでもこれまでも京都府南山城村の旧田山小学校京都市中京区の旧明倫小学校
長野県松本市の旧開智小学校三重県伊賀市の旧小田小学校などをこのブログで紹介させていただきました。


昔の校舎へ行くと、よく標語や格言などが書かれてあります。それは道徳観や倫理観を教えるうえで大切なことだったのでしょう。


「ヨクマナビ ヨクアソベ」「トモダチハ タスケアヘ」…
こういう言葉はいかなる時代であっても、大切な教えのようにワタクシは思います。
ワタクシは戦前の教育が正しかったとは思いません。しかしながら、戦前の教育をあまりにも否定してきたことが
日本人の道徳観や倫理観を欠落させてきた要因の一つにはなっているような気がします
(個人的には核家族の増加と、伝統的な地域の結合が無くなったことが最大の要因だと思っています)


ワタクシが通った小学校は、木造校舎ではなく鉄筋校舎でした。しかししかし、こういう机と椅子で学んだことは覚えております。
掃除をさぼっては怒られ、女の子にちょっかいをかけては怒られ、授業中にいらんことを言っては怒られたアホな子供でした


もしあの頃のワタクシがこの教室で勉強していたら、毎日窓から飛び降りて砂浜へ走って行っていたでしょう。
そして、毎日のように廊下に立たされたり正座させられたにちがいないですね


そろそろ出発の時間が迫ってきました。喉が渇いたので売店に行くと「醤油サイダー」という面妖な飲み物が売られておりました。
興味本位で飲んでみたのですが、昔あった黄金糖という飴チャンをサイダーに溶かしたようなお味でございました


ではでは、そろそろ帰路につくとしましょうかね。

二十四の瞳映画村…香川県小豆郡小豆島町田浦

使用したカメラ:FUJIFILM X-E1


古い校舎を訪ねるたびに、自分が小学生だった頃の記憶が鮮烈に蘇ってきます。
普段は思い出すこともない友人の名前も、担任の先生の名前も、はっきりと思い出すんですよね。
我ながら悲しいのは、思い出す場面の大半が先生に怒られている姿であることなんです



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二十四の瞳-香川県小豆島町:二十四の瞳映画村

2013年08月25日 | 香川
Shoudoshima Island, Kagawa Pref.

さてさて、職場の親睦旅行で香川県小豆島を訪れたワタクシでありますが、宿の夜は飲めや歌えの大騒ぎでありました
深夜の2時過ぎに布団にもぐりこんだワタクシでありますが、朝の5時には目が覚めてひとっ風呂浴びたのでありました


部屋から外を見るとどんよりと曇っておりまして、天気予報もあまり良くはないんですよねぇ
まぁ、天気だけはどうしようもありませんし、ワタクシたちは朝食をいただいた後、宿を後にすることとなりました。

幹事さんが計画してくれたプランでは、この日は小豆島町にある「二十四の瞳映画村」を訪れることになっておりました。
ワタクシたちの乗ったバスは映画村を目指して行ったのですが、その途中「苗羽」という集落がありました。
ここには醤油の醸造所が軒を並べ、白壁の蔵や煙突が並ぶ素敵な光景が広がっているのです。
ワタクシ、「ここで降りたい」と思ったのでありますが、そこまで団体旅行でわがまま勝手を言うわけにはいきませぬ。
ワタクシ、断腸の思いで映画村へと向かったのでありました。あぁ、団体旅行は辛いのぉ


ワタクシたち一行は「二十四の瞳映画村」に到着いたしました。
この映画村はは、1987年に公開された映画「二十四の瞳」(田中裕子が主演で、高峰秀子ではありません)のロケ用オープンセットを改築したものなんです。
ちょうどワタクシたちがここを訪れた前日、テレビの2時間ドラマで松下奈緒さんが主演の「二十四の瞳」が放映されたんですよ


映画村内の土産物屋のおばあちゃんが「田中裕子さんはなぁ、ここで長い間ロケしとったんや。可愛い人やったでぇ。
松下奈緒さんもキレイな人やったけどな、ロケの時間が短すぎる。もっと撮影に時間かけなあかん」と
おばあちゃんは一般の視聴者とは違った視点で、今回の2時間ドラマを辛口に批評されておりました


ところでところで、壺井栄の「二十四の瞳」なのですが、ワタクシは高校の時に読んでいるんですよ。
しかしながら、もう一つ印象が強くないというか、あまりこれという強烈な記憶がないんですよねぇ。
今の年齢になって読んでみたら、また全然違う印象を受けるかもしれないので、機会があれば読んでみたいなと思ったのでありました。


ここの映画村は小豆島内でも人気の観光施設であるため、相当の賑わいでありました。


訪れている若い人たちの会話を聞いていると、「二十四の瞳」というものがどういう作品であるかも知らないというか
あまり興味も無いようでした。うーん、ちょっと大まかなあらすじくらいは知ってほしいなぁと思うのは、いらぬお節介ですかね


懐かしい飲み物をみかけました。こういうものを駄菓子屋さんで飲んでいたんですよねぇ。
真っ赤になった舌を見せ合いしながら「俺の方が赤いぞぉ」と喜ぶアホな子供でありました


ではでは、もう少し映画村を楽しんでみるとしましょうかね。

二十四の瞳映画村…香川県小豆郡小豆島町田浦

使用したカメラ:FUJIFILM X-E1


小説の「二十四の瞳」は戦前から戦後にかけての小学校を舞台にした作品でした。
高校生の時の私が持った印象は、戦前の先生というのは当然ながら軍国主義教育を行っており(一部の先生を除いて)
「お国のために死ぬことは素晴らしい」「米英は敵だ」ということを教えていたのでしょう。
戦後になってアメリカの民主教育が導入されると、学校教育は180度変わったはずです。
今度は「自由と平等と民主主義は素晴らしい」「戦争は絶対に許されないことだ」と教えるのですから
自分の中でその矛盾というか、相反する言動にどう向き合っていたのかなぁということでした



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瀬戸内の恵みを食す-香川県土庄町:「ホテル オリビアン小豆島」

2013年08月24日 | 香川
Shoudoshima Island, Kagawa Pref.

さてさて、香川県小豆島の土庄町に職場の親睦旅行にはあるまじき行為として
折りたたみ自転車に乗ってやって来て「迷路のまち」を散策したワタクシでありますが
ちょっとというか、かなり惹かれる光景に出会いました


「迷路のまち」の奥に西光寺という立派なお寺がありました。


ワタクシ、関西に住んでいますので京都や奈良に出向く機会が多いんですよねぇ。
大学時代を京都の町で過ごしたのに、その当時はお寺の良さななんて何もわかりませんでした
それ以上に、京都の町並みの素晴らしさなんて何も気がつくことがありませんでした


今は心からこういう光景を美しいと思います。こういう光景を多くの人に見てほしいと願います。
こういう光景を次の世代に残していきたいと思います。
ワタクシの拙いブログなのですが、ワタクシは少しでもこの国の美しい自然を、この国の先人たちが作り上げてきた素敵な街並みを
一人でも多くの人に伝えたいなぁという思いでこのブログを続けております
最近になって、ブログへの訪問者数が増えたことはワタクシにとって大きな喜びなんですよねぇ

そんなことを思いつつ、土庄の町の散策を終えることになりました。
散策を終えるとワタクシは宿に戻らなくてはならないのですが、ワタクシたちが今回泊まったお宿は
「リゾートホテル オリビアン小豆島」というお宿でありました。
この宿が結構高い丘の上というか、山の上にあるんですよねぇ

土庄に行くときは自転車で快適に坂道を下って行きましたが、宿に帰るときは強烈な坂道が待っておりました。
ふくらはぎが痙攣するかと思いつつ、ワタクシは宿に戻ったのでありました


宿に戻れば…当然ながら宴会ではあーりませんか。お風呂に入って汗を流せば、ビールがワタクシを呼んでいるではあーりませんか


さすがに瀬戸内海ですなぁ。新鮮なお刺身が美味しいのは言うまでもありません。
小豆島は醤油の醸造が盛んなので、醤油も二種類が用意されてありました。


大阪に住むワタクシは子供の頃、赤身の魚というのをほとんど食べた記憶がないんですよ。
日常的にはアジ、サバ、イワシ。ちょっと豪勢な時はブリ、サワラ。かなり豪勢な時は当然ながらタイ、ヒラメでありまして
常に白身の魚を食べていた気がするんですよねぇ。(サケは例外ですが…)


もうこの頃になると宴席も乱れてまいりまして、ワタクシもぐでんぐでんに近い状態だったような気がします。


それでもそれでも、このアナゴのにぎりに関しては絶品だったことをしっかりと記憶しておるのですね。ワタクシ、そうとう食い意地が張っているようですな。

かくして職場の宴は楽しく過ぎていきまして、その後もラウンジで飲めや歌えの大騒ぎでありまして…
ワタクシは深夜2時過ぎに布団の中に入ったのでありました。

ホテルオリビアン小豆島…香川県小豆郡土庄町屋形崎甲63-1

使用したカメラ:FUJIFILM X-E1


最近は流通機構の発達や食生活の変化で、大阪でも回転ずしの人気メニューは「サーモン」「マグロ」などだそうです。
祝い事にタイを食べたりする習慣も、かなりなくなっているようですね。
食文化が全国均一化されていくのは、本当に寂しいと思う限りなんですよ。
皆さんはどうでしょうか



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郷愁感じる路地裏-香川県土庄町:迷路のまち

2013年08月23日 | 香川
Shoudoshima Island, Kagawa Pref.

さてさて、職場の親睦旅行で香川県の小豆島を訪ねることになったワタクシは
宿から自転車に乗って土庄町へやって来て「迷路のまち」と呼ばれる一画を散策することにしました。

南北朝の内乱の時代、備前児島の佐々木信胤が南朝方に寝返り、小豆島へと押し入り星ケ城を拠点に構えていました
これを討ち取るため北朝方の細川氏の軍勢が小豆島に攻めこみ、南北両朝の軍勢が陸海での総力戦となったんですね。
その際に佐々木勢が攻防に備え路地を複雑に入り組んだものにした、というのが土庄町に残る迷路型路地の起こりだそうです。


ではでは、どんな街が広がっているのか歩いてみるとしましょうかねぇ


迷路のまちにはこのような手作りの案内板がたくさんありました。
どうやら地元の高校生が作っているようですね。手作り感がいっぱいで、なんとも微笑ましいではありませんか


歴史を感じる古い民家が数多く残っています。ワタクシがカメラを持って歩いているとお婆さんが井戸端会議に興じておられました。
「どこから来なさった?」と声をかけられたので、「大阪からなんですよ」と答えました。
そこからしばしの間、地元のお婆さん二人といろんな話をさせていただきました。
ワタクシ、若いころから旅先でお婆ちゃんとは仲良くなるのですが、お姉ちゃんとは仲良くなる機会がありません


なんともノスタルジックな路地が続くこのエリアは、ワタクシの好みなんですよねぇ。


こんな場末のスナックも、どこか郷愁と切なさを感じます。
そういえば別の場所で話をしたオッチャン達が「スナックにおる中国人の女の子も気が強いわぁ」と言っていましたが
もしかしたらここのお店なのかもしれませんね


この可愛いオブジェ(?)は、迷路のまちのいたるところに置かれてありました。

ワタクシはぶらぶらと歩いていると、昔ながらの駄菓子屋さんを見つけたので中に入ってみることにいたしました。


いやぁ、懐かしい駄菓子の数々。ワタクシ、思わず子供の頃に戻ったような気持ちになりましたよ。
子供の頃って毎日のように駄菓子屋に行っていた気がします。それでも飽きることはなかったなぁ


これこれ、このすっぱいイカも駄菓子屋さんにしか売っていなかったんですよねぇ。
今にして思えば合成着色料だとか防腐剤とか、身体に悪いものがいっぱい使われていたんでしょうが
そんなことを知るはずもなく、ワタクシたちは駄菓子屋に通いつめたものでした


おお、懐かしい「オリエンタルのカレー」と「オリエンタルのハヤシ」ではあーりませんか。
テレビのCMで、確か南利明という人が名古屋弁で『ハヤシもあるでよぉ~』と宣伝していたのを覚えております。
ワタクシ、そういうくだらんことはよく覚えているんですよねぇ

使用したカメラ:FUJIFILM X-E1


大阪人である私から見ると、名古屋の食文化というのは非常に興味深いというか、時には摩訶不思議な食べ物があるんですよね。
「味噌煮込みうどん」「味噌カツ」「手羽先唐揚げ」「天むす」などは私も美味しいと思います。
しかしながら「小倉トースト」「あんかけスパゲティ」などは、どうも食指が進みません。
ちなみに私の職場にいる愛知県出身者は「関西にいるとスガキヤラーメンが食べられない」と嘆いています



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