こんにちは🌞今日は、気持ちよく晴れましたね☀️
あまりに気持ちがよかったので、春に向けての土づくり
をしました😊春になったら何を植えようか楽しみです😊
毎週日曜日は、院長の自伝です。
陽気は腠理(肌表)の開闔(かいごう)を司り、体温調整を行います。
体表に陽気が多くなれば汗を出し、少なければ腠理を閉じて陽気の発散を少なくします。
陽気が虚(不足)し、腠理の開闔(皮膚汗腺の開閉)が出来ないと、熱が停滞
して急性熱病になります。これを陽道は、実(過剰)すと表現します。
陽気は盛んに成り過ぎると少気と成る、従って補い過ぎると陰気が多くなり寒となります。
例えば、お酒を適度に飲めば暖まるが、飲み過ぎると寒くなる。
陽気は腠理(肌表)の開闔(かいごう)を司り、体温調整を行います。
体表に陽気が多くなれば汗を出し、少なければ腠理を閉じて陽気の発散を少なくします。
陽気が虚(不足)し、腠理の開闔(皮膚汗腺の開閉)が出来ないと、熱が停滞
して急性熱病になります。これを陽道は、実(過剰)すと表現します。
陽気は盛んに成り過ぎると少気と成る、従って補い過ぎると陰気が多くなり寒となります。
例えば、お酒を適度に飲めば暖まるが、飲み過ぎると寒くなる。
(壮火は衰え、少火は盛んとなるの原則)したがって陽気が少ないからといって補い過ぎると、逆に冷えて来ます。
一方、陰はあらゆる機能の原動力であり、陽気が働くのも陰の精気があるからです。
一方、陰はあらゆる機能の原動力であり、陽気が働くのも陰の精気があるからです。
「陰は内に在りて陽の守りなり、陽は外に在りて陰の使いなり」(素問・陰陽応象大論篇第5)
「病は五臓精気の虚より発生する」(素問・調経論篇第62)
陰道は虚しやすく、陰の精気が虚すから陽に病変が現れるので、陰主陽従が東洋医学の基本となります。
陰は気よりも物や形を有すると表現するのが適切になりますが、その働きを重視する場合は、やはり陰気と表現します。
それでは、人体の陰陽についても箇条書きに記してみます。
① 前後の陰陽では、背腰部は陽、胸腹部は陰です。
人間も四つ足動物が進化したものだと言われているので、動物の背は天に向かい
陽となり、腹は地に面しているので陰となります。
② 男女の陰陽は、男は陽、女は陰です。
男性は動的で外で働き経済活動を行い食料・給料などを内に運びます。
「病は五臓精気の虚より発生する」(素問・調経論篇第62)
陰道は虚しやすく、陰の精気が虚すから陽に病変が現れるので、陰主陽従が東洋医学の基本となります。
陰は気よりも物や形を有すると表現するのが適切になりますが、その働きを重視する場合は、やはり陰気と表現します。
それでは、人体の陰陽についても箇条書きに記してみます。
① 前後の陰陽では、背腰部は陽、胸腹部は陰です。
人間も四つ足動物が進化したものだと言われているので、動物の背は天に向かい
陽となり、腹は地に面しているので陰となります。
② 男女の陰陽は、男は陽、女は陰です。
男性は動的で外で働き経済活動を行い食料・給料などを内に運びます。
女性は静的で内で働き家庭を守り保育をなし、社会に貢献します。
③ 内外・表裏の陰陽
外と表を陽、裏と内を陰とします。
④ 左右の陰陽は、左を陽、右を陰とする。
天子(皇帝)は南に向かって座り、民衆から顔が良く拝見できる様に座ります。
その姿勢においては、太陽の昇る左は東、右は西になります。太陽の昇る東を陽とするので左側が陽となります。
※易経の「説卦伝」には次の様に書かれています。
「聖人南面して天下を聴き、明に嚮いて治む」
「聖人は南に向かって政治をとる」ということですが、「聖人南面」という言葉はここから出ています。
③ 内外・表裏の陰陽
外と表を陽、裏と内を陰とします。
④ 左右の陰陽は、左を陽、右を陰とする。
天子(皇帝)は南に向かって座り、民衆から顔が良く拝見できる様に座ります。
その姿勢においては、太陽の昇る左は東、右は西になります。太陽の昇る東を陽とするので左側が陽となります。
※易経の「説卦伝」には次の様に書かれています。
「聖人南面して天下を聴き、明に嚮いて治む」
「聖人は南に向かって政治をとる」ということですが、「聖人南面」という言葉はここから出ています。
鍼灸医学の本では方位をあらわす時に「南」を上にしますが、「聖人南面」だからです。
では、何故「南面」なのかというと、大事なのは「南」という方角なのではなくて「南が明るい」ため
その「明るさ」が大事なのです。「明」とは「物事の道理があきらかであること。また,道理を見分ける
力」のことです。この反対で「北」に向かうと「暗愚」となります。
力」のことです。この反対で「北」に向かうと「暗愚」となります。
「南」という象徴にはそういう意味があるのです。日本の白河上皇は「南面」して院政をは
じめ、その護衛に当った武士の詰め所が北に面していたので、「北面武士」と言われたのです。
さて、「明に嚮いて治む」の「明」と「治」は、年号の「明治」の起源となりましたよ。
じめ、その護衛に当った武士の詰め所が北に面していたので、「北面武士」と言われたのです。
さて、「明に嚮いて治む」の「明」と「治」は、年号の「明治」の起源となりましたよ。
次週に続く
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