hazar  言の葉の林を抜けて、有明の道  風の音

細々と書きためたまま放置していた散文を、少しずつ書き上げ、楽しみにしてくれていた母に届けたい

天つ風

2014年02月20日 | 散文詩
いつもその時刻に見舞いに来てくれる友が、此方を見ながら歩いて来るのが見えた
常夏の午後。 二時半から三時の間に、渡り廊下の曲り角の柱の処で姿が消えて、
もう入り口に着く頃だなと思ってみても、一向に現れない

曲り角の向うと此方の間を、一群れの白い草の花が揺れ動き、小さな蝶が飛び過ぎていく
潰れた枕の上で、渡り廊下と病棟の入り口を見比べて居る裡、日が暮れた

夢の薄膜の靡く中、白い花が一群れの蝶になって、一齋に飛び立つ
また戻って来る。 未だ待って居る。 常夏の午後
行き交う白い服や、浅黒い腕の突き出たシャツが、不意に翳り、動きが鈍くなる
睫の隙間で、友だけが半ば透き通るように薄明るく、人々の間を、すいすいと通り抜け

ふと目覚めると、もう暗がりで、遠く近く、虫の音が幽く渡り来ては返っていく
星の光が細かく細かく挽かれていく。 未だ草の花は揺れている。 螢がすいと光って、
消える。 それとも、あの蝶だろうか。 海原に消えていく航跡のように、誰かが
立ち去った気配ばかりが漂い、どちらが夢だったのか、その日その時刻に、微かに
風の吹き込む寝台で、手入れを怠ることなく使う機会もないまま、いつしか遠く離れた
骨のようになった銃剣を、楽器のように抱えた友が、足下に開けていく奈落を亘る風に
耳を傾けるように、銃口を銜え、素足の指で引き金を下ろしたことを知ったのは、
病が癒えてからだった

生は、死の数多ある仮面に過ぎない。 それともその逆だろうか。 それともどちらも仮面で
己のような己でない誰かが被ってみたり外したりしているのだろうか。 降り頻る死を
かい潜り熱に歪んだ狭間へ降り立って、友は援護してくれようとした。 もはや思い出せぬ
顔を探して彷徨い続ける死が、不意に行き止まりになる隘路で、最後の角を廻り込んで来る
此方だ、友が呼ぶ。 だがもう追い詰められた。 堂々巡りが始まっている。 己が顔をした
死のようなものと争うのも、追われるのも御免だ。 終いにしよう。 斃れ臥したまま
重く渦巻き始めた水に面を浸けて居ると、気の遠くなるような腐臭と冷気の間に立ちはだかる、
友の素足を間近に見た。 靴はどうした、俺の靴を履いて行け、死人に靴は要らぬ。 足下の
水溜りに剥がれ沈みかける映像の陰から、去れ、と執拗に念ずる、友の面影が閃き、浮び
上がっていく。 その時は、何処へ向っているのか気づかなかった。 生と死の狭間で揺らめき
立つ如く、挑み呼び掛ける友の聲は、熱く塞がれた瞼に茫洋と影を落として、形の無い巨大な
指が通り過ぎ、不意に逸れて、水面から友の面輪を掬い上げ、虚ろな眼窩へ宛がう迄続いた

全てが砂のように崩折れ、影が延びては解け、棚引いて、寄せては返す波になる。 視野の隅で
傾き揺れている、毀れた小舟のような、臥した仮面のようなもの。 誰かが、立ち去った
気配がして居た。 彼処に未だ残って居る、小さく渦巻き続ける、灰のような、風のようなもの
退いて行った熱の残した、頭蓋の内に細く刻まれた縁に、置き去られた貝が開くと、零れ、掻き
消えた。 失われた面差しがいつしか水底で貝になり風の谷間で花になる。 どの貝にもどの花にも
友の顔が閃き、直ぐに消え失せた。 何処へ向おうとしているのか。 どうすれば取り返せるのか
消えながら、明るく真直ぐな眼差しは、病は治る、生きて帰れ、と呟くのだった。 君は何故、
共に来られないのか。 遙かに永く、共に在る為に、と君は応えた。 今一度、別れる、と

パウル・クレーの舟に乗って居たことがあっただろう。 降りて行ってみると、半身の漁師だけが
居て、此方を向くと一本の線になってしまい、話し掛けることも出来ない。 向こうも櫂だか
銛だかを手渡したいらしいのだが、やっぱり出来ない。 宙に挟まったまま膨らんで、落ちて
来ない魚の血。 何かの果実にも似て。 深海魚めいた持ち主のほうは影も形も無い。 違う次元へ
出掛けてしまったか。三匹で一人の裏返しか。 諦めて、ちっとも進まない舟の両側を
上がり下がり滑り広がる、音符の無い譜面のような波を二人して眺めて居た
ベン・シャーンの階段を昇って居たこともあったな。 入り口の無い壁に取り附いた、上って
下りるだけの階段なのに、一歩も譲らず昇り続けて居るから、追い駆けて声を掛けようとしたが、
追いつけなかった。 アキレスと亀のように。 アトラスと天地の間に転がり続ける、巨礫のように

ピエロ・デラ・フランチェスカのキリストの笞打ちの谺が響き続ける、奥の部屋の、壁の背後
源氏物語絵巻の笛の音の消え残る、庭の塀の裏手。 死と別れの瀬戸際で踏み留まり、来るべき
苦難と悲嘆を持ち堪え、やがて運び去る。 煌めき遠ざかる、力の穹窿を亘る風に、耳を澄ませて
居た。 天井を外し、壁をぶち抜いて、其処に降り立ってみると、月の光のような静けさが
あるばかり。 君が其処に居るのなら、君がそれを見るのなら、死と虚無を乗り越え、
輝きと再生へと転ずる力の宿る、全てのものを見続ける。 君の旅を見届ける

マティアス・グリューネヴァルトの聖アントニウスの傍らで、貧しさと麦角菌の劫火に内側から
灼き尽くされ、膨れ爛れた吾身を指差し、嗤う幻のように。 背後で起こった核融合か中性子星の
誕生に吹き飛ばされ、影となって消えようとするかの如く、復活する、復活し続ける救世主の下で
つんのめり、ゆっくりと斃れ伏す動きの最中で凍りつき、斃れ伏し続ける兵士のように
パオロ・ウッチェロの部屋の中、扉の叩かれる音に身を固くする商人の家族のように
それ程遠くない向う側で、のんびりと顔を伏せ手元を見つめる天使たちの集う
庭の輿のようなものの端で足を組んで顔を見合わせる、悪魔たちのように

ノアの方舟。 瓦礫の山。 それともチベットの山奥の岩壁に五色の旗を靡かせる寺院か
攀じ登ってみると誰も居ない。 吹き荒ぶ風に積み上げられた岩がぬめぬめと磨かれ、
襤褸襤褸になった五色の旗が猶も身を捩り黙して、何処にも居られない光のように、
誰にも追いつけない速度で満ち溢れ重なり合い去りゆく神々を称え、呼び掛ける
こんな高い処に、あの地中に埋もれるまで崩折れた摩天楼が凍てついて居る
右手の親指の骨だけが帰って来た息子は何処へ行ったのか。 其処では、右手の親指だけは
無くて。 父母の心は其処に、小さく親指の形に絡まり合い固まっている
海の底に沈んだ船が墜ちた飛行機と共に、雲の峰々の間の広い台地に散らばって、
星座のように休んでいる。 津波が来ます、高台に避難してください、海岸には絶対に
近づかないでください、と殷々と谺する娘の聲が響く。 そして津波が、海が、来た。
海岸が、近づいて来た。 恐るべき速さで。 聲だけが人々の頭上で導いた。 いつまでも

死して猶、人々の夢の中で建てられ続けることを伝えようとする、アントーニオ・ガウディの
寺院のように、アンコール・ワットの石像の側で石組を割り崩したかと思うと、鷲掴みにして
支えながら根を張り、聳え立つ熱帯樹のように。 痛みと苦しみ、悲しみに耐え抜き、引き裂かれ
た深い狭間に結晶のように沸き立つ祈りが、内側から全てを洗い流し、天空の浜辺へ運んでくれる

緑滴る梢が、空襲を免れた古都の小川に沿った石畳に濃い影を落とす。 音もなく繰り返し、
何かを洗っている。 初夏の午後。 二時半から三時の間に、明るい窓の傍らで煙草を燻らせて居る
と、沓音が谺する。 振り返ると、不意に翳った視野の向うへ、駆け抜けて行った
子供のような姿。 沓音がした、と思ったのに、裸足だった。 日差しと煙の煌めく
螺旋の途を、半ば透き通るように薄明るく、細い枝を手に緑滴る彼方へ昇っていった

目を開くと、潰れた枕の上に頭が載っていて、長い患いが癒えたように身体が軽い
目を遣ると、光の溢れる中庭の曲り角の柱の陰から、友が現れる処だった。 胸から息が迸る
あの時からずっと何処かで止まっていた息が。 待ち侘びたような笑顔で、行こう、と言っている
手に、長い草を持っている。 虹のようにも見える。 素足の下に、影になってすっぽりと
収まって居るのは、龍だろうか。 雲だろうか。 君の靴。 世界の記憶の天辺で風化に耐えた
君自身の亡骸のようにも見える。 死を飼い犬の如く影の如く足下に蹲らせ、天翔る大天使
君が住み、独り大きな苦痛と悲しみを運んで帰っていった虚空の廃墟。 君自身の掌の中へ

光が何処までも重なり合うように、君が自らを貫かせた死をしっかりと踏み締めている限り、
絶対零度の凍てつく風の吹き荒ぶ目眩く高みを通り、超流体の劫火の煮え滾る果てし無い深みを
潜って、再生へと吹き抜ける門は開いて居る。 君自身が門となったから

長い間、その門を探していた。 何処に在るのか判らなかった。 インドにもミャンマーにも
なかった。 最期に足を止めた処、帰り着いた家の、家族の集う食卓の椅子の傍らに、それは
開いた。 そして曲り角の柱を廻って、君は迎えに来てくれた。 素足に地面がひんやりし、
光のほうへ一歩踏み出した。 草がざわめいている。 ふと振り返り寝床に目を遣ったが、
もう思い出せぬ長い夢のように白く誰も居なかった

ずっと、聴こえて居たような気もする。 今はもう聴こえぬその聲が、何故なら私自身も聲と
なったから、澄んだ鉦のように響く度、ざわめく生の樹冠から死の水面へ散り落ちる、記憶の
木の葉、ひっそりと沈んでいくと、底にうち重なる数多の仮面の虚ろな眼窩に、泡沫の実が宿り、
煌めいて、細く長い視線のような根を延ばし、遠く運ばれて、芽吹いていく。 静けさの中で、
痛みの記憶が幽かに戦慄く。 それに耐えていく。 皆耐えた。 耐えられるよう、祈ってくれる。
もう一度、一緒に耐えてくれる。 沢山の手、沢山の聲。 すると目の前が開ける。 落ちていない、
浮び上がり、舞い天翔るように飛んで居る。 支え合う掌と祈り励ます聲が押し続けてくれる
翼だ。 何処へ向って居るのか。 透明な力強い幹、天辺の樹冠は渦巻き滴るように眼差しを
漲らせ、数多の星々を実らせていく。 翼の背後に鎖されていく門と、目の前に開けていく、
見たことも無い、懐かしい風景。 白く静かに鎖された広やかな瞼に、別れを告げ、眩い程の光を
背に、向きを変えつつ、手を延べて差し招く、友の方へ翔けていく。 そして今、追いつく
永遠へと続く軌道に入る。 今も未だ広がっている。 私達が脱ぎ捨てた死が重さを集めている
それが、私達を繋ぎ続けているから

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1 コメント

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私達が脱ぎ捨てた死 (alterd)
2014-02-20 15:45:45
最近、亡くなった友人を思い出しました。
その人は2才年上だったのですが
定年間近から病気勝ちになり肺炎で亡くなりました。

若い頃はジャズ喫茶で毎晩のように一緒に飲んでいました。
フランス哲学を勉強していた人で
話し応えのある人でした。

カウンターの端っこで穏やかな表情を浮かべ
超然とした佇まいだったせいか
その店の「象徴」と呼ばれていました。

もっとも、私は最初の頃、やたら賑やかな男で
他の常連とは仲が良かったのですが
その人とは一線を置かれていたように思います。

そこで、ある時、作戦を替え
こちらも静かにしていると
いつの間にか、その店で1番仲の良い間柄になりました。

昔、ダスティン・ホフマンが
「親友が死んでから、死ぬことに親しみを覚えて、さほど怖くなくなった」と言っていましたが
生みの親と兄が共に27才でこの世を去った私にとって
元より「死」はそれほど怖いものありませんが
またしても、親しいものになりました。

そして、
「死んだ人が帰って来ない以上
生きている者は何を分かれば良いか?」
と言う問いの答えがさらに明確になります。
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