hazar  言の葉の林を抜けて、有明の道  風の音

細々と書きためたまま放置していた散文を、少しずつ書き上げ、楽しみにしてくれていた母に届けたい

伊豆の長八

2015年10月20日 | 絵画について

入江 長八 (1815-1889) の 展覧会 に 行くことが できた
伊豆に生まれ、江戸で修業、独立して活躍、弟子を育て、明治に亡くなる
漆喰による 装飾彫刻 の名手で、江戸の 伝統を引き継ぎ、
鏝(こて)絵 と 呼ばれる、独特の 浮彫り絵画の世界に
神神しいばかりの 気と 生き生きとした 命を 吹き込んだ
左官職人の 技と気概に 陶然とし、夢のような ひとときを過ごした

入江 長八 Chohachi Irie (1815-1889) 龍 Dragon
明治九年七月 July 1876 漆喰彩色 Stucco Painting 33.5 × 51.0 cm
個人蔵 (伊豆の長八 美術館) Private Collection in Izu no Chohachi Museum

入江 長八 Chohachi Irie (1815-1889) ランプ掛けの龍 Dragon (ceiling holder
for the hanging lamp) 明治八年 1875 漆喰 Stucco 径 85.0 cm (diameter)
個人蔵 (伊豆の長八 美術館 保管) Private Collection in Izu no Chohachi Museum

なにが 茫然とした といって、行く 前の日まで
この人のことも 展覧会 のことも、なにも知らなかった ことだ
伊豆に 美術館 は あるらしいが、 都内で初めての展覧会
会期中 休みが 一日あるばかりで、夜の七時半まで、百円にて 開催されていた

母や の木工職人だった 母方の祖父なら 知っていたはずだ
きっと 教えてくれたのだろう
夢中で 気づかなかったが、 一緒に 観てくれていたのだと想う

入江 長八 Chohachi Irie (1815-1889) 二十四孝 24 Stories of Filial Piety
明治七年二月 February 1874 漆喰彩色 Stucco Painting 40.4 × 63.3 cm
個人蔵 (伊豆の長八 美術館 保管) Private Collection in Izu no Chohachi Museum

土砂降りの水しぶきの中、思いがけぬ再会に
我を忘れ、雨中に たたずみ 笑みほころぶ
人々の 蓑や衣に切り込む水柱を見て
ふと ボルヘス幻獣辞典 に 編纂した ポー
細長い筋に分れていて、虹色にきらめく
生きているがごとき 水についての詩を 想い起した

ボルヘスは言う ―― 1838年出版の
『ナンタケットのアーサー・ゴードン・ピムの物語』 で
ポオは 南極の島々の驚くべき、信ずべき動物誌を書いた
なかでも特異なのは、その南部にみられる水である

…… 水瓶に これを汲んで、すっかり沈殿させておくと
この水全体が それぞれ違った色の 別々の筋から
成っていることに 気付いた
それらの筋は 混じり合わないのだ
そして 同じ粒子どうしでは 完全に結合しているが
隣り合わせの筋では そうでは なかった

そうした筋を 斜めに ナイフの刃で切ってみると
水は ごく ふつうに すぐさま その上に かぶさってしまい
それに また 引き抜くと、ナイフを走らせた跡は
すべて たちまちに 消えてしまった
ところが 正確に ふたつの筋の間に 刃を入れると
完全な分離が生じ、すぐには 元どおりに
結合する力が なくなるのだった

なんだか 目の前に 見るようで 不思議だが
ここに 鏝(こて) で 描き出された 雨水も
似たような 状態とも いえるが、たしかに水であって
重さと 温度と 音を 伴い、滔滔と 流れ落ち 続ける
兄弟だろうか 親子だろうか、ポーやボルヘスの語る
冒険と探検の旅を終え、故郷の家へ戻ってきたのだろうか

篠つく白雨 驟雨の音に かき消され
鎖され 幾重にも 分け隔てられた 冷たい世界で
温かな血の とくとくと流れる 命が おぼろに動き
温かな 血のつながりが 時を超え 湧出し 立ち籠める

入江 長八 Chohachi Irie (1815-1889) 森家の家族 Family Portrait of Mr. Mori
明治九年八月 August 1876 漆喰彩色 Stucco Painting 28.0 × 58.5 cm
個人蔵 (伊豆の長八 美術館 保管) Private Collection in Izu no Chohachi Museum

群青 に かすかに も 感ぜられる やり霞 の漂う中
江戸鼠 に ふっくらと染め上げられた 着物や敷布
慣れ親しんだ 気品あふれる 紋付を
ゆったりと背筋を伸ばし 自然に着こなす
呉服商のご隠居夫婦と 妹御 あるいは 娘御だろうか

魔法の絨毯の上に 絨毯商の家族が ふさわしく
くつろぎ、いつくしみ染め上げ 織り込まれた
夢幻 無窮の時を過ごす ように

いつか観た 桜の園 の舞台で
観る者の ざわめき 去来する 異空間の 薄暗がりに
思いもかけぬ 満開の桜のうち続く川の辺の園を
呼び起こし 瞳に映し 流れぬ涙へ宿らせ
観る者の裡に 湧き出させる ように

画面の外に そこにない 満開の山桜の
そこかしこに交じる 山々に照り映える月光を
よぎり谺する 杜鵑の声 や 色づくナナカマドや
ハゼの木の間を 溪流がきらめき走る 薄暮を
うち眺めつつ おりふし眼を転じ
仙境より 子孫の家の内を見守る ご先祖様

入江 長八 Chohachi Irie (1815-1889) 女人図 Portrait of a Woman
明治九年七月 July 1876 漆喰彩色 Stucco Painting 径 23.0 cm (diameter)
個人蔵 Private Collection
朱塗りの丸盆に 描き出された 若い娘の
ふっくらと顎をひいた口元 目元 衿 鬢の毛が
手にした水鏡の中に 想いを凝らす と
薄暗がりから ゆらめき立つように
大切な人の面影は そこに しずまり返っている

光の差し具合で 切れ長の伏せた
眼差しは たしかに たゆたう
見ていない、心そこに在らぬ時には いつも
ひっそりと 見守って 居てくれる

声には出さずとも その名を 心を込めて
呼びかければ いつか 眼差しを 上げてくれる
目が合えば、そのまま そらさず、手を伸べ
歩み入れば 見えぬ手が 掌へ滑り込んで 温かく
自分の手が 冷たい ことに気づくが
もう どうでもよい、その世界へ ゆける から
大切な人の 待つ 世界へ
そこへの 入り口を 自らの手で つくり出し
傍らへ置く 人の 幸いなるかな

クエンティン・マサイス Quentin Matsys (1466-1530) 婦人像 Portrait of a Woman
油彩・板 Oil on Wood c.1520 年頃 48.3 x 43.2 cm
ニューヨーク、メトロポリタン美術館 The Metropolitan Museum of Art, New York

他人の空似 という程でもなく、年齢も 隔たっているが
妻として 母として 生き 世を去りし 婦人の
眼差しは ここでも とどめられている
額縁は 窓枠のように 時祷書を読む 手指に ふれ
時折 風に 頁は めくれ、いま 見知らぬ物語から
目を上げた 眼差しが あなたを はるかに 眺めやる

ペトルス・クリストゥス Petrus Christus 若い女性の肖像 Portrait of a Young Girl
油彩・板 Oil on Oak c.1465-70 年頃 29 cm × 22.5 cm
ベルリン国立絵画館 Gemäldegalerie Staatrische Museen zu Berlin

長八の 朱盆の 女人図 から 振り返ると
神功皇后像 などの 小ぶりな彫像が
ずらりと こちらを向いていて
女性は この二人だったことから
帰ってから 久方振りに
クリストゥス の この小さな像を 想い返した

見るたび 少女のことは なにも
知ることは かなわず
いかに 自らが 少女の眼差しに
ふさわしくない と 想わざるを得ない
がっかりさせてしまった
母を 妹を 娘を
そう想わぬ者が いるのだろうか
この像に 微笑みかけられている
と感じる者が いるのだろうか

レオナルド の モナリザ は
この像から 生まれたのか
とも いまにして想う
母なる 娘が 女人として 愛し愛され
子を産み育てる 謎が 神秘が
歳月とともに 不思議な風景を 背後に連ねゆく

フェルメール は 真珠の耳飾の少女 で
その想いを 払拭させようとした のかも知れぬ

入江 長八 Chohachi Irie (1815-1889) 神功皇后 像 Portrait of Empress Jingū
明治九年八月 August 1876 漆喰彩色 Stucco Painted Scurpture 像高 37.0 cm (height)
松崎・伊那下神社 Ina Shimo Shurine, Matsuzaki-cho (town)

神功皇后 陛下に ついては 畏れながら 初めて知り
ギリシャ神話 の アテーナー 女神 の ようにて
あらせらるるも 亡き帝の皇子を宿されながら
石を以て 御身体を冷やされ 月延べての
ご行軍とは まことに 畏れ入り奉り

木目込人形 に似るが 御髪 玉眼を除き
金襴緞子の刺繍にいたるまで 漆喰によるもの
隣りに 皇子を抱いた 武内 宿禰 が 居られるので
御出産後と知れるが ふくよかな頬の 御尊顔は
ただただ 神神しく 宿禰が 御高齢のこともあり
和の 聖家族 のごとくにて

月岡 芳年 Tsukioka Yoshitoshi(1839-1892) 第十五代 神功皇后「大日本史略図会」
Empress JingūIllustrated History of Great Japan ) 三枚続 大判錦絵
Triptych of multi-colored woodblock prints 明治十二年 1879 35.4 × 71.6 cm

ということは、これは 長八の像よりも 後のもの なのだ
しかしながら その御雄姿は 御出産前のもの
波はうねり 雲は舞い 列をなし 進む鳳凰のごとく
遠く 岩の上に 海鳥も群れ集う
神功皇后 陛下は 御出陣の際、播磨で採れた
赤土 にて 天の逆矛や軍衣を染められ
平定後 その神を 紀伊の管川の藤代の峯に祭られた
と 播磨国 風土記 逸文に あると され
御帰国後 間もなく 九州北部にて 応神天皇 陛下を
御産みになられ、因む地名を 残されている

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール Georges de La Tour (1593-1653)
悔い改める マグダラのマリア The Penitent Magdalen c.1640 年頃
油彩・カンヴァス Oil on Canvas 133.4 x 102.2 cm
ニューヨーク、メトロポリタン美術館 The Metropolitan Museum of Art, New York

赤と白の衣に 陶器のような肌の
聖女の御尊顔が よく見えない
この絵も 想い出される

無常をあらわす 髑髏の載る 赤い布の
垂らされた下に 跪拝する 胸より下の
半身は 闇に埋もれ 神の御手により 鎖された

人魚であった とて 見ることは かなわぬ
鏡に映るのは ゆらめく 蝋燭の炎ばかり

 下図 部分 detail of the lower painting

右手を下げたとき、肩へ上げておいた袖が
落ちぬよう くわえていたのだろうか
この若き人は 采女 だろうか 巫女 だろうか
御簾、衣、廊下、肌の質感が
花びらと 差し初める 光を運ぶ
朝風に ふれている

御簾の 巻き上げられる 動きと
清清とした 衣に包まれた
温かな 肌の馨の立ち昇る 動きに 添って
そよそよと 螺旋を描き
花びらは また 出てゆく

三重采女 の盃に入った葉が 想い起こされる

 入江 長八 Chohachi Irie (1815-1889) 春暁の図
Spring Dawn 明治八年 1875 土壁 ・漆喰彩色 Stucco Painting on the wall 
173.0 × 76.0 cm 旧 岩科村役場 松崎町 Matsuzaki-cho (town) 

三重采女も そうだが、この人もまた
物に動ぜぬ 天晴れなる 乙女御

 下図 部分 detail of the lower

近江の海の水紋か 花火か、 藍染め 絞り の浴衣に
前結びにした帯は 群青 手に団扇
力自慢の 色白で ふくよかな娘は
高下駄で 暴れ馬の手綱を 踏んまえながら
涼しい顔で 頭上の千鳥を 仰ぎ見る

入江 長八 Chohachi Irie (1815-1889) 近江のお兼 O-Kane, the brave woman of Omi
明治九年六月 June 1876 漆喰彩色 Stucco Painting 45.7 × 63.7 cm
個人蔵 (伊豆の長八 美術館 保管) Private Collection in Izu no Chohachi Museum

お兼 といえば、当時も いまも この二つ
近江の海の 上に舞う 千鳥を見ている
画面 右手に立つ 後ろ姿の 北斎の と

歌川 国芳 Utagawa Kuniyoshi (1798-1861) 近江國 勇婦 於兼
O-Kane, the brave woman of Omi 錦絵 multi-colored woodblock prints

画面 左手で 雲湧き立つ
近江の海より 馬を顧みる 国芳の と
有名かつ対照的な お兼像を 併せ持ち

巨大な花魁でも 女力士でもない
愛らしい 働き者の娘にした 長八は
暴れ馬も 歌舞伎 の馬か 絵馬のように
後脚を蹴上げる のでは なく
思い切り 跳び上がらせた

お兼は 団扇を持った 左手と
対角線上へ 高く ぴんと張った 手綱を
踏んまえた 左足を 下げ
右手を額の前へ 右足を後ろへ 軽く曲げ上げ
体重を 手綱を踏まえた 左足へのせて
力足 遊足 釣合いよく
しっかりと立つ

馬も鳥も空へ 後脚見せず
見苦しくなく 危なくもない
生娘の 眼差しは 天翔り
身も心も 楽しく軽く 健やかに
しっかりと 足は地に
天晴れなるかな

海は 画面左から 手前外の こちら側か
画面右から 裏の あちら側か
または そのどちらも
潮風が 娘の顔に まぶしく
馬の たてがみを 吹き散らすように 当たっている

入江 長八 Chohachi Irie (1815-1889) 清水次郎長 肖像
Portrait of Shimizu-no-Jirocho 漆喰彩色 Stucco Painting 90.0 × 69.8 cm
磐田市 塩新田 自治会 Iwata-city Shioshinden Residents' association

長八が 五歳年長という 両者は
ともに さらに一回り以上も 若い
山岡 鉄舟 と 交流していたという

紬の藍紫紺の色合いと 細縞の光沢
空気を含んだ 髪、潮風に 鞣されたような膚の
目の周りや 口元の皴が ふと ほころびたり
さらに深く 翳ったりする かのように
懐の深い 男気の篤い 血潮が
静かに 漲り 迫ってくる

油断なく 怠けず きちんと心配りをして
御先祖様に恥じぬ 生き方をしているか

まったく不甲斐なく 申し訳なく
心を入れ替え 改めますので
お見限りなく どうか お見守りください
と 頭を下げて お願いいたしたくなり

 下図 部分 漣
detail of the lower, Ripples

入江 長八 Chohachi Irie (1815-1889) 漣の屏風 Ripples' Folding Screen 
明治十一年頃 c.1878 漆喰彩色 Stucco Painting 82.9 × 106.7 cm
三島 歓喜寺 Kanki-ji Temple, Mishima-city

福田 平八郎 Heihachiro Fukuda (1892-1974)  Ripples 絹本着色 二曲一隻 屏風 Japanese Painting on Silk Folding Screen 昭和七年 1932 157.0 × 184.0 cm 
大阪市立近代美術館
 Osaka City Museum of Modern Art
平八郎 の 作は、昭和天皇 陛下と
釣りに 行かれた 折の 水面を 描いたことで
知られるが、大分に生まれ 京都に暮らした
画家は、安心院 を はじめとする 大分県内に
一千か所以上も 生まれていた
伊豆の長八 に 学び 帰郷した 左官 絵師たちに よる
鏝(こて)絵 に 幼い頃より 親しんでいただろう

両者の 目と手に培われた 同じ 和の心と技が
漣という、白と群青の 光と翳の 織りなす
円みを帯びて へこみ、その縁は 立ち上がり
重ねられ 繰り返されて
生まれつつ 消え、消えつつ 生まれていく
形に おいて、表裏一体と なるように
結実したのかも知れぬ

  入江 長八 Chohachi Irie (1815-1889)
寒梅の塗り掛け軸 Midwinter Plum-tree (wall-in hanging-scroll) 明治八年 1875
土壁 Wattle and Daub Wall 185.5 × 70.5 cm 旧 岩科村役場 松崎町 Matsuzaki-cho (town) 
月下の風に馨る 満開の梅の
水墨の掛軸が 漆喰と鏝(こて)で
床の間の壁に 描かれているものもあった

最後の一葉 のように、壁から離れることなく
表具に 虫食い穴まで 描かれている

墨の五彩と同じく 漆喰と灰汁の綾なす 白が
月光に おぼろに耀き 命の限りを尽くし
再生の季節を呼び起こす 老木に
尽きることなき 風と馨を まとわせていた

入江 長八 Chohachi Irie (1815-1889) 望 冨嶽 於 伊豆之奈島 図 Mt. Fuji
viewed from Nashima-Island, Izu 明治十年五月 May 1877 漆喰彩色
Stucco Painting 74.5 × 137.0 cm 松崎町 (伊豆の長八 美術館 保管)
Matsuzaki-cho (town) Collection in Izu no Chohachi Museum
日本一
の 匠に また 出逢えました
ほんとうに どうも ありがとう ございます

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3 コメント

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僥倖 (alterd)
2015-10-21 04:12:34
大変良いものをご覧になりましたね。

当然ながら、これも日頃から美術に並々ならぬご関心がおありだからこそかと。

伊豆の長八、全然聞いた事がないと思いましたが、ひょっとして、つげ義春がマンガの題材にしていたかも知れません。
ここで、また出会うとは。

しかし、それを100円で見せるとは
主催者も余程知名度の低さから
来場者の少ない事を怖れたのでしょうね。

それにしても、漆喰とは到底思えない繊細な描写に驚きます。
これを生で観たらさぞや凄い事だったでしょう。

また、色使いもモダンですらありますね。
長八といういかにも職人らしい名前からかけ離れています。

そういえば、蕪村なども正岡子規だったかが見い出すまで世間ではあまり知られてなかったようですね。

「天才は埋もれない」とは言いますが
出て来るまでそれなりの時間は掛るようです。

後、「漣」の印象派を想わせるセンスも良いです。
洋の東西を問わず繊細なセンスを持った人は居るものですね。
返信する
長骨休めに (マルクーマ)
2015-11-22 09:48:35
今日は。お気休めに為り申すか、いつも私供も控えて居りますぜ。此処はURL入力為れるのかな?
入江長八展、気付いた時は一日遅れで間に合わず、残念!
なまこ壁で有名な、伊豆松崎町に在る土蔵の扉絵などで見知ってましたが、此れ程までとは!。長八どんは精悍で御顔が深い。次郎長以上?
http://www.surugawan.net/guide/10.html 長八美術館。サクラダファミリア」の主任彫刻家「外尾悦郎」氏の作品も在る。
見逃した代わりにこっちに行くか?六本木もサントリも疎遠だなあ
U+25C9久隅守景展。探幽の四大弟子筆頭。此の方の描く人物は、細かいですが墨の線で一人一人表情が豊か、画家は頗る優しい心根の持ち主なのでしょう。狩野派と袂を分かったのも道理か(11月29迄。ETV日曜美で観ました。或いは次の何れか?
U+25C9プラドのスペイン宮廷美、三菱一号館(丸の内。
U+25C9ウィーン美術史美術館の風景画(文化村12月7日まで。
聖カタリナと聖バルバラ。ブリューゲルの聖母子など。参考で、中世のベリー公の時祷書、十二カ月、このカレンダーが欲しいのですが、ミュージアムSHOPには無いのか?取り敢えず何れか行ってみますわ。
返信する
続き、友に誄詠う (マルクーマ)
2015-11-22 10:33:51
済みません、U+25C9は只の丸印が入力為れませんでした。
~さて、長八。雨の描写は外国には有りましたか、広重を模写の、ゴッホ位しか思い浮かばない。日本独自か。
その中でも凄まじき驟雨だ、空気を切り裂くのは、雹でも降ったか、日本刀か、それとも鏝その物の痕跡を遺したかった自負でしょうか?
○茫洋の空の家族。浮かぶ絨毯の、背景の色は、清朝初期の青磁でもて囃された、天青釉。或いは李朝盛期の角瓶に在る、総瑠璃。瑠璃と云っても斯く如此、薄いのが一級品と為れます。何れ土の胎には合う色。
確かに白き山桜の、花の散るらん仙境界か。聖蒼家族、見護る。
U+1F443女性の肖像イマージュ。〈女性とは、隠れる者〉と書いたのは、Jデリダ。お伝えしました、大竹しのぶ様のヘアNUDEの帯に。全て脱ぎ去っても、視線から逃れ秘めたるモノがあるのだろうか。~女性の逝去は、何か収まりが着かない、男人を途方に暮れさす処が在るようです。
9歳のベアトリーチェを見初めたダンテが、再会するのは9年後、その二度だけの出会いが永遠となる。彼女は二十四で他界し、風のように去って逝く、、心臓の赤いアモールを惹き攫って、、途方。捜索、追跡、嫉妬、悲嘆、ダンテの日月の地獄巡り、抜けるのに困難な道ですが、光明はある。其れもあの小さな震えるアモール、あの愛だけが、肯定に至る道標なのか、魂が浄化され天に至るには、愛が必要なのだと、出会いの絵を描いたプレラファエル派も云う。
http://art.pro.tok2.com/R/Rossetti/Rossetti.htm
男の試練、仮死と新生、スーパーVITAノヴァNUOVA。其処では既に愛は対象に限定され得なく為るでしょうが、至る道程では、リーチェの魂が導師なのですね、人への愛だけが階しと為る。忘れ得ぬ人、その眼差しを通ってこそ到達できる天界なのでした。
神曲はコメディア、身体は軽やかに、喜びの器械と成り、もはや愛が執着する事もない。隔てる距離の意識も消し飛んだ。痛みは有っても一切のペシミズムの入る余地が無い。至福BEATITUDE、UNE VIE。拙い私の実感でも確信する処です。宮本武蔵書の独行道二十一ケ条にも、愛別離苦に藻掻いて自然法爾に至る跡が有りますね。
さて比べて男性の死歿は、納得し諦め受け容れ易いと云われる。謎と為り残る事はそうは無いと。~学生時代から家族ぐるみで付き合いのあった、信州の半農半漁半芸の仏画家が一年の闘病の末に今月身罷った、
仏画夢窓 望月玄汪ブログ。私達と同年です。
http://blogs.yahoo.co.jp/gwanaou U+A0中で桜花観音図など此処二年の作は、漸く入魂為れたと見える。金春禅竹など研究し以前より迷いが消えTONEは穏か且つくっきりしました。埋もれるのは惜しい気も。国内は疎か現代チベット中国にも無い達成かも知れない。他に数点遺しましたが、地元上田市の寺に収めたようです。
本人は私以上にPCが不得手でコメント少ない。アップも間に合わず、周囲も迂闊でパスワード聞いておらず、ブログは暫く此の侭。其の内に有志がコメント出すはずです。ムサビ時代はコルトレーンに狂いシュールレアルな絵も描いてましたが、美術院入選で院友にも。事情あって帰農。係累も無し。それでも最期は他人の慰めにも為りおおせ納得の人生だったよう。悔いの無いよう私も父の最期には戦争の話等聞けました。
皆様も御看病でお疲れでしょう。亀次様も心配為れてた。どうぞあまり根を詰めずに、吐息も抜いて御自愛下さい。又の交友楽しみにします。
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