Spinning Toe-Hold
先日、BLUES CREATIONをとりあげたので、ここでぜひCREATIONの名曲『スピニング・トーホールド』を。前々回の記事に書いたアルバム『カルメン・マキ&ブルース・クリエイション』を1971年にリリースした後、BLUES CREATIONは解散してしまう。それから紆余曲折を経て翌年にCREATIONとして活動を再開する。1977年に発表されたサード・アルバム『PURE ELECTRIC SOUL』にこの『スピニング・トーホールド』が収録されている。
この曲を知ったのはもちろん当時の全日本プロレス中継。ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク兄弟タッグチーム、ザ・ファンクスの入場テーマとして使われていた。バンド側も彼らの必殺技「スピニング・トーホールド」をイメージして作ったそうで、彼らの入場テーマとして採用されたのは相思相愛の関係!?とにかく当時のザ・ファンクスの人気は絶大で、若い女性のチアリーダー応援団がプロレス会場に出現したこともあった。今となってはプロレス会場に見に行く女性ファンは当たり前のように存在するが、当時はまだ珍しかったのでは。ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田など主役の日本人レスラーが完全に霞んでしまうほどすごかった。悪役レスラーのアブドラ・ザ・ブッチャー&ザ・シーク組との死闘はプロレスの歴史に残る因縁の対決であった。特に1979年12月に行われた世界最強タッグリーグ戦の最終戦は凄まじかった。リアルタイムでテレビで見ていた。フォークでテリーをめった刺しの血まみれにして有利に試合を進めていたブッチャー・シーク組。シークがドリーを後ろから羽交い締めにする。ブッチャーが止めとばかりに凶器で刺そうとドリーに向かっていく。とっさにドリーは羽交い締めから脱出。ブッチャーの凶器はシークを刺す。のたうち回るシークをそのままドリーがフォールしてカウントスリー!超満員に膨れ上がった蔵前国技館はザ・ファンクスの勝利にお祭り騒ぎ。怒ったシークは火炎殺法でブッチャーに報復。ブッチャー・シーク組は場外乱闘で仲間割れの醜態。この試合の結果ザ・ファンクスが大会の優勝を決める。確かスポーツ雑誌の『ナンバー』に作家の椎名誠氏が寄稿したこの試合の観戦記は手に汗握る傑作なので、ぜひ多くのプロレスファンに読まれて欲しいものだ。
話を音楽に戻すと、当時『スピニング・トーホールド』のシングル盤を買いましたね。とてもかっこいい曲で毎日のように聴いていた。今聴いてもぜんぜん古くなっていない。
Spinning Toe-Hold No.2 - CREATION
B面の『スピニング・トーホールドNo.2』は、よりアップテンポでフュージョン色を強めたナンバーでこちらもかっこいい。
というわけで、音楽よりも伝説の一戦に熱くなってしまった感がある。まあ、大目に見てください。祖父がプロレス大好きだったので、よく一緒にテレビにかじりついていたのを思い出した。古き良き昭和の1ページ。
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