※この一文は、2006年8月16日に天野雀空の筆名で書いたものである。
加藤紘一の地元事務所と実家が右翼に襲われて焼かれた。この愚劣な犯人は時代錯誤の割腹自殺を図って果たせず、治療を受けている。
この朝、加藤紘一は東京の民放テレビ各局の報道もどき番組をハシゴし、小泉首相の靖国参拝を批判し、靖国問題を真剣に考えるべき時期だと意見を述べていた。たったその程度の発言に対し、暴力をもって言論を封殺しようとは、右翼(尊皇ナショナリスト)というものは、全く度し難い存在である。犯人は尊皇ナショナリストという点で、安倍晋三らと全く同根の輩である。
昭和天皇にも戦争責任はあると言っただけで、長崎の本島市長は執拗に命をつけ狙われ、警察もあえて彼の警備を疎にし、右翼が至近距離から発砲するに任せた事件があった。かつて私はそのことに触れ、日本の警察は戦後無くなった「不敬罪」の代替装置として右翼を野放しにし、彼等の天誅、制裁という暴力で、天皇制批判者の言論を封殺してきたと書いた。
各メディアはその暴力装置を恐れてか、有力な新聞も週刊誌も月刊誌もTV各局も、程度の差こそあれ一斉に右傾化を進め、禁忌に触れることを避け、ジャーナリズムとしての真の批判精神を失った。
友人から電話があった。彼は唐突に芝居がかった口吻で「職業軍人は…」と言った。聞けば彼の父上は、応召されて戦地に赴いた自分たちと職業軍人の間に、画然とした線引きをしたと言う。
彼の父上は応召されて戦地に行った。応召された兵士とは言え、「お国のために」と言う愛国的な義務感を持っており、戦後も彼はそのナショナリズムを持ち続けたが、職業軍人に対する不信感を隠さなかった。
「職業軍人というものは、お国のためにではなく、自分のため(生活のため、お金のため)に働いているのだ。彼等は駄目だ」と常々言っていたらしい。
学徒動員や赤紙で応召された俄兵士たちは、いわば「アマチア軍人」である。彼等はまさに愛国的ボランティア精神や義務感もあったろうが、「職業軍人」は生活の資を得るため、軍隊に就職したのである。その国民を守るべき職業軍人には「国民を守る」意志は全くなく、上級軍人は国民に威張り散らし、兵士を消耗品としか考えていなかった。彼等が守るのは国民ではなく、「天皇を守る」こと、「天皇=皇国=国家」と考えていた。職業軍人は武士に擬せられるが、それは幻想に過ぎない。
彼等の一群は敗戦差し迫る中、中高年や少年の義勇兵を徴募して俄軍として最前線に貼り付かせ、その間に自らの家族を密かに逃し、そして自らも密かに撤退した。関東軍の職業軍人たちの話である。職業軍人は卑劣なのである。
最前線に置き去りにされた俄兵たちはソ連軍に殲滅され、生き延びてもシベリア抑留が待っていたのである。彼等の家族は逃げ遅れ、悲惨な逃避行の中で命を落としていった。シベリアに抑留された者たちも、何とか生き延び帰国してみれば、「アカ」と呼ばれて就職もままならなかったのだ。
靖国神社には、応召されたアマチアの俄兵士も、威張り散らした「職業軍人」も一緒に祀られている。しかし「お国のために」戦って死んだアマチア軍人と、「お金のために」軍隊に就職した職業軍人を一緒にしないでいただきたい。アマチア軍人と職業軍人は分けていただきたい。「職業軍人は…彼奴等は駄目だ」
アジア太平洋戦争で死んだ兵士の85%は餓死、病死であり、直接的戦闘で死んだ兵士は15%に過ぎない。ろくな武器弾薬を持たされず、食糧もなく、薬も包帯もなかった。恩賜の酒は職業軍人が飲み、少ない白米等も職業軍人に優先された。
糧秣等の物資は「現地調達せよ」と命じられて進軍した。当初は紙切れに過ぎぬ「軍票」(地域通貨ならぬアーミーマネーだ)で物資を「購入」していたが、軍票での支払いを断られると殺して略奪した。それを日本軍は「徴用」と称した。「現地調達」「徴用」とは「略奪」と同義である。だから日本軍、日本は憎悪されたのだ。それらを命じた無責任な職業軍人、戦争責任者と、アマチア軍人を一緒にしないでいただきたい。彼ら職業軍人の戦争責任者は未来永劫、断罪していただきたい。それが友人の父上の思いだったのだとか。彼は「職業軍人は…」と腹立たしそうに言っていたという。
戦争責任者の頂点にいたのは唯一の「大権」保持者である天皇である。日本は自らの手で戦争責任者を断罪せず、曖昧にした。曖昧にせざるを得なかった最大の理由は天皇の存在である。天皇を守らんがために、戦争責任も戦後処理も曖昧にした。それが今日の靖国神社問題として露出しているのだ。靖国神社の何が問題なのか。
靖国神社が運営する遊就館の展示は「靖国史観」と呼ばれている。靖国神社はその創始から「皇国史観」に貫かれている。遊就館の靖国史観とは皇国史観と同義なのである。つまり戦後の靖国神社の有り様を曖昧にしたのも、皇国史観、天皇=皇国への禁忌が存在したためである。
日本は終戦時に、この時代遅れの骨がらみの禁忌を葬り去る「千載一遇のチャンスを逸したのである」と、歴史学者ジョン・ダワーは言った。
※つい最近「宮廷の孤立」という一文にも書いたが、天皇皇后ご夫妻の平和や護憲的な発言に対し、安倍首相のブレーンの八木秀次は、改憲の邪魔をするなとお二人を批判し、宮内庁に「黙らせろ」と非難している。さらに政権の走狗ネトウヨは、天皇皇后を「在日認定」とまで言って非難している。
今上天皇と皇后の平和と平和憲法への強い想いと、かつての激戦地の戦争で亡くなった現地の人々と日本の兵士たちへの慰霊の旅や、被災地への慰問と祈りには、まことに頭が下がり、私はおふたりを敬愛している。
加藤紘一の地元事務所と実家が右翼に襲われて焼かれた。この愚劣な犯人は時代錯誤の割腹自殺を図って果たせず、治療を受けている。
この朝、加藤紘一は東京の民放テレビ各局の報道もどき番組をハシゴし、小泉首相の靖国参拝を批判し、靖国問題を真剣に考えるべき時期だと意見を述べていた。たったその程度の発言に対し、暴力をもって言論を封殺しようとは、右翼(尊皇ナショナリスト)というものは、全く度し難い存在である。犯人は尊皇ナショナリストという点で、安倍晋三らと全く同根の輩である。
昭和天皇にも戦争責任はあると言っただけで、長崎の本島市長は執拗に命をつけ狙われ、警察もあえて彼の警備を疎にし、右翼が至近距離から発砲するに任せた事件があった。かつて私はそのことに触れ、日本の警察は戦後無くなった「不敬罪」の代替装置として右翼を野放しにし、彼等の天誅、制裁という暴力で、天皇制批判者の言論を封殺してきたと書いた。
各メディアはその暴力装置を恐れてか、有力な新聞も週刊誌も月刊誌もTV各局も、程度の差こそあれ一斉に右傾化を進め、禁忌に触れることを避け、ジャーナリズムとしての真の批判精神を失った。
友人から電話があった。彼は唐突に芝居がかった口吻で「職業軍人は…」と言った。聞けば彼の父上は、応召されて戦地に赴いた自分たちと職業軍人の間に、画然とした線引きをしたと言う。
彼の父上は応召されて戦地に行った。応召された兵士とは言え、「お国のために」と言う愛国的な義務感を持っており、戦後も彼はそのナショナリズムを持ち続けたが、職業軍人に対する不信感を隠さなかった。
「職業軍人というものは、お国のためにではなく、自分のため(生活のため、お金のため)に働いているのだ。彼等は駄目だ」と常々言っていたらしい。
学徒動員や赤紙で応召された俄兵士たちは、いわば「アマチア軍人」である。彼等はまさに愛国的ボランティア精神や義務感もあったろうが、「職業軍人」は生活の資を得るため、軍隊に就職したのである。その国民を守るべき職業軍人には「国民を守る」意志は全くなく、上級軍人は国民に威張り散らし、兵士を消耗品としか考えていなかった。彼等が守るのは国民ではなく、「天皇を守る」こと、「天皇=皇国=国家」と考えていた。職業軍人は武士に擬せられるが、それは幻想に過ぎない。
彼等の一群は敗戦差し迫る中、中高年や少年の義勇兵を徴募して俄軍として最前線に貼り付かせ、その間に自らの家族を密かに逃し、そして自らも密かに撤退した。関東軍の職業軍人たちの話である。職業軍人は卑劣なのである。
最前線に置き去りにされた俄兵たちはソ連軍に殲滅され、生き延びてもシベリア抑留が待っていたのである。彼等の家族は逃げ遅れ、悲惨な逃避行の中で命を落としていった。シベリアに抑留された者たちも、何とか生き延び帰国してみれば、「アカ」と呼ばれて就職もままならなかったのだ。
靖国神社には、応召されたアマチアの俄兵士も、威張り散らした「職業軍人」も一緒に祀られている。しかし「お国のために」戦って死んだアマチア軍人と、「お金のために」軍隊に就職した職業軍人を一緒にしないでいただきたい。アマチア軍人と職業軍人は分けていただきたい。「職業軍人は…彼奴等は駄目だ」
アジア太平洋戦争で死んだ兵士の85%は餓死、病死であり、直接的戦闘で死んだ兵士は15%に過ぎない。ろくな武器弾薬を持たされず、食糧もなく、薬も包帯もなかった。恩賜の酒は職業軍人が飲み、少ない白米等も職業軍人に優先された。
糧秣等の物資は「現地調達せよ」と命じられて進軍した。当初は紙切れに過ぎぬ「軍票」(地域通貨ならぬアーミーマネーだ)で物資を「購入」していたが、軍票での支払いを断られると殺して略奪した。それを日本軍は「徴用」と称した。「現地調達」「徴用」とは「略奪」と同義である。だから日本軍、日本は憎悪されたのだ。それらを命じた無責任な職業軍人、戦争責任者と、アマチア軍人を一緒にしないでいただきたい。彼ら職業軍人の戦争責任者は未来永劫、断罪していただきたい。それが友人の父上の思いだったのだとか。彼は「職業軍人は…」と腹立たしそうに言っていたという。
戦争責任者の頂点にいたのは唯一の「大権」保持者である天皇である。日本は自らの手で戦争責任者を断罪せず、曖昧にした。曖昧にせざるを得なかった最大の理由は天皇の存在である。天皇を守らんがために、戦争責任も戦後処理も曖昧にした。それが今日の靖国神社問題として露出しているのだ。靖国神社の何が問題なのか。
靖国神社が運営する遊就館の展示は「靖国史観」と呼ばれている。靖国神社はその創始から「皇国史観」に貫かれている。遊就館の靖国史観とは皇国史観と同義なのである。つまり戦後の靖国神社の有り様を曖昧にしたのも、皇国史観、天皇=皇国への禁忌が存在したためである。
日本は終戦時に、この時代遅れの骨がらみの禁忌を葬り去る「千載一遇のチャンスを逸したのである」と、歴史学者ジョン・ダワーは言った。
※つい最近「宮廷の孤立」という一文にも書いたが、天皇皇后ご夫妻の平和や護憲的な発言に対し、安倍首相のブレーンの八木秀次は、改憲の邪魔をするなとお二人を批判し、宮内庁に「黙らせろ」と非難している。さらに政権の走狗ネトウヨは、天皇皇后を「在日認定」とまで言って非難している。
今上天皇と皇后の平和と平和憲法への強い想いと、かつての激戦地の戦争で亡くなった現地の人々と日本の兵士たちへの慰霊の旅や、被災地への慰問と祈りには、まことに頭が下がり、私はおふたりを敬愛している。