最近、フリーターという言葉を言わんとして、その言葉が出てこなかった。今日の昼、何を食べたかが思い出せないが、三十年も四十年も以前のことは鮮明に覚えている。その思い出の世界を現実に彷徨いはじめることを「徘徊」と言うらしい。
中学生の頃から、言い知れぬ不安を感じていた。自分はこのまま大人になると、必ず犯罪者か精神病患者になるのではないか。高校生の頃に、ますますそれを確信した。
このままでは、いずれにしても鉄格子の中なのではないか。大学1年の冬、焦燥感に煽られるように、断食道場に向かった。このことは以前も書いた。あらゆる悩みから解放されたい。落ち着きたい…。
奈良の生駒山の中腹にある静養院という、医学博士の寺井崇雄が開いた断食道場である。傲慢にも私は悟りを開かんと思っていたのだ。院長の寺井と面接した折り、断食の目的を聞かれ「悟りを開きたい」とほざいた私を、彼は鼻先でせせら笑った。寺井は当時86歳で、眼光鋭い本物の仙人であった。
聞くところによると寺井は子どもの頃、身体が弱く、医者から二十歳までは生きられまいと言われていたそうである。また極度の神経衰弱に悩まされていたそうである。
食事は数日かけて粥から重湯となり、そして水以外は一切摂らぬ断食がはじまる。数日もたつと寝ても起きても考えることは食べ物のことばかりで、浅ましいほどに頭から離れない。人間は飢えの極限状況で、浅ましいまでに喰らうことしか思い浮かばぬ。生命の本質は食らうことなのだ。やがて食べ物のことが頭から消える。感覚が研ぎ澄まさ頭の中が妙に明晰になる。
道場の日課は早朝に起床し般若心経を唱えることで、他にすることは何もない。図書室には仏教書や歴史書、歴史小説しかない。することもないので仏教書を片端から読む。ほとんど理解できないのだが、この時が私が仏教書に最も接した時期なのである。
道場の近くに修験道の行者たちが打たれる滝があった。冬場なので滝は半ば凍っており、水量は夏の半分しかないという。私は他の二人と共に水行を始めた。同行の一人は中学3年生の少年で、もう一人は中年の男性だった。
早朝滝に出かける。滝の高さは15、6メートルはあっただろうか。行者の白装束を借り、滝壺を渡り滝の真下の岩によじ登る。瞬間、凍てついた巨大な鉄の塊が、うなじから背中にかけて打ち下ろされる。頭頂部で水を受けると滝壺に叩き落とされそうになる。冷たさに、がたがたと震えがとまらない。
肩に水を受けながら般若心経を唱える。やがて身体の震えがびたりと止まる。全く冷たさを感じなくなる。そのうちに頭の中から言葉が消える。想念が消える。後から思えば、あれが無になるということなのだろう。
滝から上がると身体が火照り、全身から湯気が立つ。清々しい。この時の清々しさを忘れることはないだろう。この水行は一月半も続いた。
二十代半ばの頃、モロッコのカサブランカから長距離バスに乗ってマラケシに向かった。サハラ砂漠の端を延々とバスは走る。砂漠は何処までもベージュ色で、所々に枯れたような矮小な草を見かけるばかりだ。バスは揺れ地平も陽炎に揺れていた。
数時間も走った頃、陽炎の彼方の前方に木々が見えた。建物らしきものは見えない。バスはそのナツメ椰子やビンロー樹の近くに停まった。運転手が「休憩だ」と客席を向いて怒鳴った。運転手は唯一の外国人旅行者である私に「オアシス!」と怒鳴った。
ふと気付くとバスは襤褸(らんる)の群衆に取り囲まれていた。この一群の人々は、どこから湧いて出たのか。
それは乞食、物売り、水売りの襤褸の群れである。彼らは目敏く外国人旅行者の私を見つけて、窓の下に殺到した。彼等はバスの中にも乗り込み、私を目がけて押し寄せてきた。片目が黒い穴だけの男、鼻が溶けた男、彼等の誰もが手も腕も顔も溶けたケロイド状態の肉が、滴るようにぶら下がっていた。
彼等は砂漠に打ち捨てられたレプラ患者なのだ。押し寄せる襤褸は「金をくれ」「水を買ってくれ」と私に手を伸ばした。「神よ、我に火炎放射器を与えよ。こんな命に何の価値があるのか、こんな命に何の意味があると言うのか。俺が全て焼き尽くしてやる!」…。瞬間、私は凶暴になり、続く瞬間、この世界の全ての人々の顔と情景が飛び、唐突に「大悲(だいひ)」と言う言葉が浮かんだ。私の身体は襤褸のレプラ患者たちに、引っ張られたり触られるままであった。
やがて他の乗客や運転手が、これらの襤褸の物体を蹴り上げながらドアに向かい、罵声を浴びせて車外に蹴落とした。
バスは再び砂漠の中を走り始めた。砂漠には置き去りにされた襤褸の群れの、精一杯の営みが続くのだ。
…そう言えば、これも以前書いた。歳を取ると同じことを繰り返すようになるらしい。
「大悲」は生駒山で読んだ仏教書の中にあったのだ。全てこの世に生を受けたものは、その誕生の時から大いなる悲しみの中にあり、だからこそ大いなる慈しみに抱かれている。全ての生命は根源的な悲しみの中にも懸命に生きんとする。それを愛おしく想う心が慈しみだ。大いなる慈悲、大悲である。
この若い頃の二つの小さな体験は、その後の私の人生観を変え、思想の方向を決定づけたと思われる。私に思想などというものが、あればの話だが。
最近、偶々何冊かの仏教書を繙く機会が増えた。親鸞である。禅は自力本願、親鸞は他力本願とされる。さあ阿弥陀様にその身を全ておまかせしなさい、大丈夫、阿弥陀様はお前を救って下さるから、安心なさいと親鸞は言うのである。
ふと気づいた。禅も親鸞も「捨てなさい」と言っているのだ。違いは禅が「他人様を救済することはできぬ」とし、親鸞は「他人を救済せん」と思い定めているのである。
これは2006年12月12日に書いた一文である。