今から9年前に書いたコラムを見つけた。2011年3月11日の大震災のより年も前である。時の移ろいは早い。たちまち古い話になるが、いまもまだ語る価値のある話もある。
イエス・キリストは「人は麺麭のみにて生くるにあらず」と教えた。パンのみ=つまり物質至上主義を諫め、精神性(芸術や思想、信仰等)の大切さを語った。かつてサルトルは「文学は飢えたアフリカの子どもを救えるか?」と問うた。つまり文学(芸術や思想、信仰等)に何ができるのか、それは本当に必要なものなのか、「文学者」は何をすれば彼等を救えるのかと言う設問である。サルトルは「政治参加」を示した。
「松坂大輔60億円でレッドソックスへ」「ベッカムが300億円でアメリカに移籍」…彼等スターは世界中の子どもたちに夢を与えると言う。努力し、有名になれば使い切れぬ程のお金が稼げるという夢を。世界中には、ベッカムらが与える夢より、今日の食べ物や、学校に行くことや、医薬品が欲しい子等がたくさんいる。これほどの格差と不必要なほどの富を夢というのか。これは経済システムの問題である。
竹中屁蔵という経済学者は「努力した人が報われる社会」の実現を標榜した。それは市場原理主義によって実現するものなのである。市場原理、経済原理にのっとれば、年俸や契約金が60億円でも300億円でも可能なのである。それが「努力した人が報われる社会」だと言うのである。ホリエモンや村上世彰も、そして三木谷も努力したから報われたというのである。むろん努力されたのであろう。
農産物の生産や、注射針のミクロン単位の研磨技術や、日々のゴミの集荷など、社会に絶対に必要なものづくりの技術や、地味な作業に努めながら、全く報われない人々がいる。大勢いる。報われぬどころか、それらの仕事も失われていく。これは現行の経済システムの問題である。
北極の海を必死に泳ぐ白熊がいる。彼の周囲には全く白いものがない。ただただ広がるのは北極の海なのだ。すでにその白熊が取り付く氷がない。取り付く島がないのだ。氷と雪原がなければ、アザラシも営巣できない。子どもを育てられない。彼らを餌とする白熊も、やがて滅びる。これは経済システムの問題なのだ。
もう冬眠に入る時期に、人里で餌を探す月の輪熊の子熊がいる。人に見つかり樹上に逃げて震えているが、叩き落とされ山に帰された。数日内に子熊は死ぬだろう。月の輪熊は絶滅危惧種である。異常気象で山の食べ物の不作が、彼等を里山に降りさせる。山に戻っても食べるものがない。また親とはぐれた子熊は大きな大人たちの縄張りから追い出される。食い殺される。これは経済システムの問題である。
地産地消、スローフード運動が提唱されている。しかし彼等は進められる自由貿易協定を語っていない。つまり世界を理解していない。地産地消と自由貿易協定は対極にある。これらは比較優位、経済の問題である。食の安全保障、低い食糧自給率を懸念する人がいる。それなら比較優位論に立脚したWTOに疑問を呈するべきである。地産地消運動のために地元の行政から補助金が出されたとしよう。それはWTO違反とされるに違いない。
日本の電力会社は漫画のキャラクターに「こまめに電気を消しましょう」と省エネキャンペーンを行っている。しかし大企業による自家発電や、不況によって電力需要と売上げが減ると、厨房も住宅も「オール電化」で需要増と売上げ増を目指した。そして経済官僚や日銀は、電力需要が2%増えたことを「経済成長」と評価した。
政府は「経済成長」を掲げて「美しい国」と言うが、これは殆ど両立しない。政治家は環境問題が経済問題だと考えたことがない。本間正明という政府税調会長は、「大企業減税」によって「経済成長を促す」指針を示したが、ほとんどの経済学者は環境問題を考えたことがない。また大企業減税は大企業の内部留保を増やすだけだろう。
京都議定書は2010年までにCO2 の6%削減を義務づけたが、CO2 は8%増加し、つまり「経済成長」という名の経済活動によるエネルギーの消耗、地球環境の消耗を招来している。またCO2 排出権の売買という欺瞞は、成長経済の欺瞞である。アマゾンの熱帯雨林は刻々と縮小しているが、これに関与している日本や中国の巨大商社や、アメリカの穀物メジャーは環境問題を考えたことがない。日本の商社のCSR担当者は、環境や食育に関心を示す素振りを見せるが、それはポーズに過ぎない。CSRをセールスプロモーションと考えている企業は多い。
銀行は環境への取り組みなど、銀行にできることを考えているというCMを流している。その社会的責任の具体例として「金融教育」を得意気に流している。かつて井原西鶴は「永代蔵」にこう書いた。「世に銭程面白き物はなし」…これが「金融教育」の本質である。
竹中屁蔵も本間も全く時代遅れの経済学者である。これから必要な経済学は、現行の世界の経済システムの大転換しかないのである。
イエス・キリストは「人は麺麭のみにて生くるにあらず」と教えた。パンのみ=つまり物質至上主義を諫め、精神性(芸術や思想、信仰等)の大切さを語った。かつてサルトルは「文学は飢えたアフリカの子どもを救えるか?」と問うた。つまり文学(芸術や思想、信仰等)に何ができるのか、それは本当に必要なものなのか、「文学者」は何をすれば彼等を救えるのかと言う設問である。サルトルは「政治参加」を示した。
「松坂大輔60億円でレッドソックスへ」「ベッカムが300億円でアメリカに移籍」…彼等スターは世界中の子どもたちに夢を与えると言う。努力し、有名になれば使い切れぬ程のお金が稼げるという夢を。世界中には、ベッカムらが与える夢より、今日の食べ物や、学校に行くことや、医薬品が欲しい子等がたくさんいる。これほどの格差と不必要なほどの富を夢というのか。これは経済システムの問題である。
竹中屁蔵という経済学者は「努力した人が報われる社会」の実現を標榜した。それは市場原理主義によって実現するものなのである。市場原理、経済原理にのっとれば、年俸や契約金が60億円でも300億円でも可能なのである。それが「努力した人が報われる社会」だと言うのである。ホリエモンや村上世彰も、そして三木谷も努力したから報われたというのである。むろん努力されたのであろう。
農産物の生産や、注射針のミクロン単位の研磨技術や、日々のゴミの集荷など、社会に絶対に必要なものづくりの技術や、地味な作業に努めながら、全く報われない人々がいる。大勢いる。報われぬどころか、それらの仕事も失われていく。これは現行の経済システムの問題である。
北極の海を必死に泳ぐ白熊がいる。彼の周囲には全く白いものがない。ただただ広がるのは北極の海なのだ。すでにその白熊が取り付く氷がない。取り付く島がないのだ。氷と雪原がなければ、アザラシも営巣できない。子どもを育てられない。彼らを餌とする白熊も、やがて滅びる。これは経済システムの問題なのだ。
もう冬眠に入る時期に、人里で餌を探す月の輪熊の子熊がいる。人に見つかり樹上に逃げて震えているが、叩き落とされ山に帰された。数日内に子熊は死ぬだろう。月の輪熊は絶滅危惧種である。異常気象で山の食べ物の不作が、彼等を里山に降りさせる。山に戻っても食べるものがない。また親とはぐれた子熊は大きな大人たちの縄張りから追い出される。食い殺される。これは経済システムの問題である。
地産地消、スローフード運動が提唱されている。しかし彼等は進められる自由貿易協定を語っていない。つまり世界を理解していない。地産地消と自由貿易協定は対極にある。これらは比較優位、経済の問題である。食の安全保障、低い食糧自給率を懸念する人がいる。それなら比較優位論に立脚したWTOに疑問を呈するべきである。地産地消運動のために地元の行政から補助金が出されたとしよう。それはWTO違反とされるに違いない。
日本の電力会社は漫画のキャラクターに「こまめに電気を消しましょう」と省エネキャンペーンを行っている。しかし大企業による自家発電や、不況によって電力需要と売上げが減ると、厨房も住宅も「オール電化」で需要増と売上げ増を目指した。そして経済官僚や日銀は、電力需要が2%増えたことを「経済成長」と評価した。
政府は「経済成長」を掲げて「美しい国」と言うが、これは殆ど両立しない。政治家は環境問題が経済問題だと考えたことがない。本間正明という政府税調会長は、「大企業減税」によって「経済成長を促す」指針を示したが、ほとんどの経済学者は環境問題を考えたことがない。また大企業減税は大企業の内部留保を増やすだけだろう。
京都議定書は2010年までにCO2 の6%削減を義務づけたが、CO2 は8%増加し、つまり「経済成長」という名の経済活動によるエネルギーの消耗、地球環境の消耗を招来している。またCO2 排出権の売買という欺瞞は、成長経済の欺瞞である。アマゾンの熱帯雨林は刻々と縮小しているが、これに関与している日本や中国の巨大商社や、アメリカの穀物メジャーは環境問題を考えたことがない。日本の商社のCSR担当者は、環境や食育に関心を示す素振りを見せるが、それはポーズに過ぎない。CSRをセールスプロモーションと考えている企業は多い。
銀行は環境への取り組みなど、銀行にできることを考えているというCMを流している。その社会的責任の具体例として「金融教育」を得意気に流している。かつて井原西鶴は「永代蔵」にこう書いた。「世に銭程面白き物はなし」…これが「金融教育」の本質である。
竹中屁蔵も本間も全く時代遅れの経済学者である。これから必要な経済学は、現行の世界の経済システムの大転換しかないのである。