三島由紀夫に「近代能楽集」がある。現代能を想像し、風刺としての「現代暗黒能」を考えてみた。
演目と内容(あらすじ)は以下の通りである。
稲田(いなだ) 戦(いくさ)狂女物 金春流
諸国を旅する僧侶が、戦死した武士たちの苔むした墓石群を見つけ供養の念仏を唱えていると、傍らに建つ朽ちかけた庵から、若づくりをした般若面の狂女が現れる。狂女は「戦争は国家的宗教行事じゃ」「戦争は魂を浄化するのじゃぞよ」と喚きながら舞い狂う。最後は舞台に腹這いとなって匍匐前進、ぐるぐると僧侶の周りを這い回る。実におぞましい能である。
石破(いしば) 軍(いくさ)執心物 観世流
旅の僧侶が鳥取の砂山にさしかかると、三白眼の男が現れる。男は戦車を模した靴を履き、両手に軍用チョッパーの模型を持ち、僧侶の周囲を威嚇するようにぐるぐると回る。僧侶が声をかけると「ダダダ、ダダダ」と言うばかりである。軍用チョッパーから攻撃しているつもりらしい。呆れた僧侶がその場を去ると、「ダダダ、ダダダ」と後を追ってくるが、南無阿弥陀陀陀と念仏を唱えると砂丘の中に消えていった。
高木(こうぼく) 下着執心男 宝生流
旅する僧侶が福井の原発廃墟にさしかかると、狂女稲田から盗んだ下着を頭から被って顔を隠した男が現れ、フッコーだゲンパツだ、下着大好きと言いながら舞う。僧侶が呆れながら名を問うと「タカギじゃ」と答え「我が父は福井の原発の父なるぞ」と自慢する。僧侶が「愚かなるかな」と憐れむと「それでも我は悠々当選なり」と舞う。「哀れなり福井」と言うと男は原発の廃墟とともに消える。
甘利(かんり) 金銭執着物 金剛流
検察役の武士が「我は検察官なり。これから形ばかり事情聴取を行うなり。入りませい」と声をかけると、甘利なる武士が現れ、我は甘い銭の亡者なりと舞う。議員は斡旋口利きだけで甘い利が得られ、乞食(こつじき)と国会議員は三日もやると止められないと謡う。舞いながら検察官に囁く。「うぬも出世を望むなら上の権力者には逆らわぬことじゃ、やがてうぬも同じ党の同志ともなろう。甘い利が待っておるぞ、なぞて乞食と国会議員は三日もやるとやめられぬのか」と二人で舞う。橋掛かりから白衣の男が現れ、「日の本の検察は死にたもうたか、亡者ども、我は検死官なり」と舞うと、二人の亡者は消える。
菅偉(すがい) 冷血調伏物 喜多流
能面の男が現れ「我は官邸の闇の菅なり、官邸で一番偉い漆黒の闇なり」と舞う。舞いながら能面を外すとその下も能面。「問題無い、問題無い、どんな闇でも問題無い」と舞いながら能面を外す。その下は冷笑を浮かべたかのような能面。「漆黒の闇なら何をやっても民には見えず、問題無い」「問題無いと言ってしまえば問題無い」「民は知らしむべからず由(よ)らしむべし」と舞う。一人の男が現れ「我は邪なる者を倒し世を『邪鳴り清(す)む』とせし阿闍梨なり」と言い、護摩の調伏法を行うと、闇の菅が消えていく。
もうひとつ「安倍の矢(あんべのや)」という演目があるが、次の機会に解説したい。