芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

水野広徳 日本人への遺言

2016年06月04日 | 言葉
                                                                   

 極めて露骨に且つ率直に白状すれば、日本人という民族は無主義無節操のオッチョコチョイで、時の権力に阿付する事を恥としない極めて劣等な性格の持主であると思います。而も病既に膏肓に入った奴隷的人種であると思います。寧ろ米国人に依って此の機会に、厳正なる選挙と政治の標本を示して呉れん事を望みます。僕らより見れば日本人は、今後尚お数十年間は正しき立憲政治を行う能力が無いものとしか思えません。



 日露戦争の際に水雷艇長として出撃、「此一戦」で文名を上げた。「出雲」「肥前」の副長を歴任した。第一次世界大戦時に二度にわたって戦地や欧米諸国を視察し、「戦争を防ぎ、戦争を避くる途は、各国民の良知と勇断とによる軍備の撤廃あるのみ」という考えに至り、軍国主義を捨てて平和反戦運動家となって、執筆、講演活動を続けた。
 昭和の軍部の暴慢を批判し、日独伊同盟を醒めた目でみつめ、ヒトラーを蛇蝎のごとく嫌い、日中戦争を批判した。日米開戦と緒戦の勝利に沸く日本に、長期戦の覚悟のありやを問い、太平洋戦争の前途を予言していた。また現代戦は機械の戦いであり、機械を生み出す科学(文化)であるとし、「最後の勝利は常に必ず文化を尊重する国民の側にある」と喝破した。彼には文化を軽んじる日本の未来が見えていたのだろう。
 彼は1945年8月15日の日本の敗戦を喜び(本当は慟哭していたに違いない)、さらに上記の言葉を言い残したのである。