芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

政治と市場 

2016年06月10日 | 言葉
           

       テッサ・モーリス-スズキ「自由を耐え忍ぶ」(辛島理人 訳)

 議会制民主主義の根本原理の形成は、企業経済の勃興期とほぼ軌を一にした。選挙と議会、三権の分立、憲法、基本的人権などの諸概念は、十七世紀から十八世紀にかけてのヨーロッパの革命の時代の遺産だった。これらの理念は今日に至るまで多くの人々にとって重要なインスピレーションの源となっている。しかし皮肉なことに、西欧の民主主義が共産圏の全体主義体制を倒し、自由の勝利を祝福したまさにその時、これまでの民主主義原理の基礎をゆるがすような事態がグローバルな規模で発生したのである。
 企業市場と国家の密接な相互浸透は「経済」と「政治」や「公」と「私」といった領域の従来の観念区分をゆるがした。このプロセスによって、従来の経済理論、および「市場」と「経済」の無前提な同一視は、再検討を求められた。同時にこのプロセスは、「政治」の領域や民主主義の実践の射程にかかわる再考をわたしたちに促す。市場の社会的深化や広範囲におよぶ「民営化」政策は、普通の人々の生活をますます企業市場の影響下に置く。そしてその影響は、国家権力と企業の癒着によって連携によってもたらされたものだった。「民営化」は、国家権力の縮小を必ずしも意味するものではない。むしろ、現在行われている形での「民営化」は、人々の日々の生が民主的な議論や実践から巧妙に遠ざけられ、一般的に(また誤解を呼びうる)「市場の力」と名づけられた非人間的で不可思議な権力に支配されるというものだ。
 人々の健康はいかにして促進されるのか、知識は国民(グローバルな人口)がいかに使用するのが最良なのか、誰が生命資源や文化資源を所有すべきか、といった根源的な問いは、政治的議論の対象から排除されてしまった。そしてこのように矮小化された「政治」的課題の中に残ったのが、犯罪や国家安全保障といった、閉所恐怖症的自警団政治を助長するものばかりだったのである。