芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

日本人の性向について

2016年06月24日 | エッセイ
                   

 吉田茂がGHQ民生局のチャールズ・ケーディス大佐に喧嘩を売った。
「あんたがたは日本を民主主義の国にできると思っているのかね。私はそうは思わんがね」
「やるだけやってみるさ」とケーディス大佐は応えた。
 吉田茂は傲慢なエリートの典型であった。彼は日本を民主化できる可能性はないと言い切った。理由は、日本人には本物の自治を行う能力はないからだと言うのである。
 吉田のような保守派の右派で、常に上から下を指導する立場にあった者も、あるいは突然牢から出された共産党員や労働運動指導者らの左派も、戦前、戦中から胸に体制批判とリベラルな思いを秘めていた知識人たちも、実は吉田とそう違わない思いを抱いていたようなのである。日本の民主主義や自由にものが言えることを喜びながらも、それを、突然上から与えられたものであると感じていたのだ。

 反戦平和運動をやっていた水野広徳は言った。
「極めて露骨に且つ率直に白状すれば、日本人という民族は無主義無節操のオッチョコチョイで、時の権力に阿付する事を恥としない極めて劣等な性格の持主であると思います。而も病既に膏肓に入った奴隷的人種であると思います。寧ろ米国人に依って此の機会に、厳正なる選挙と政治の標本を示して呉れん事を望みます。僕らより見れば日本人は、今後尚お数十年間は正しき立憲政治を行う能力が無いものとしか思えません。」
 日本人は奴隷的な人種で、立憲政治を行う能力はないと、痛罵したのである。

 伊丹万作も言った。
「…あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己のいっさいをゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。このことは、過去の日本が、外国の力なしに封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかった事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかった事実とまったくその本質を等しくするものである。
 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。」
 彼も基本的人権さえ独力でつかみ得ない奴隷根性と痛罵した。

 若槻泰雄は二十世紀半ばの日本を、怒りを込めて自嘲した。
「人間それ自体や、自分たちの種族・民族・さらには統治者の祖先が、天界から地上にやって来たのだ、というような神話や観念は世界各地に見られることでべつにめずらしいことではない。ただ日本が世界的にみてめずらしいのは、二十世紀も半ばにかかっている時代、しかも一応相当程度の文明に達した国が、こんな幼稚な神話を信じ、あるいは国家が国民に信じることを強制した、という点にある。」

 坂口安吾は言った。
「元来日本人は最も憎悪心の少い又永続しない国民であり、昨日の敵は今日の友という楽天性が実際の偽らぬ心情であろう。昨日の敵と妥協否肝胆相照すのは日常茶飯事であり、仇敵なるが故に一そう肝胆相照し、忽ち二君に仕えたがるし、昨日の敵にも仕えたがる。生きて捕虜の恥を受けるべからず、というが、こういう規定がないと日本人を戦闘にかりたてるのは不可能なので、我々は規約に従順であるが、我々の偽らぬ心情は規約と逆なものである。」
「いまだに代議士諸公は天皇制について皇室の尊厳などと馬鹿げきったことを言い、大騒ぎをしている。天皇制というものは日本歴史を貫く一つの制度ではあったけれども、天皇の尊厳というものは常に利用者の道具にすぎず、真に実在したためしはなかった。…
 自分自らを神と称し絶対の尊厳を人民に要求することは不可能だ。だが、自分が天皇にぬかずくことによって天皇を神たらしめ、それを人民に押しつけることは可能なのである。そこで彼等は天皇の擁立を自分勝手にやりながら、天皇の前にぬかずき、自分がぬかずくことによって天皇の尊厳を人民に強要し、その尊厳を利用して号令していた。」
 さらに安吾は「続堕落論」でこう続けた。
「日本国民諸君、私は諸君に、日本人及び日本自体の堕落を叫ぶ。日本及び日本人は堕落しなければならぬと叫ぶ。天皇制が存続し、かかる歴史的カラクリが日本の観念にからみ残って作用する限り、日本に人間の、人性の正しい開花はのぞむことができないのだ。」

 さて、なぜか日本人に愛される吉田松陰はこう言った。
「本邦の帝皇、或は傑紂の虐あらんとも、億兆の民は唯だ当に首領(こうべ)を並列して、闕(けつ)に伏し号泣して、仰いで天子の感悟を祈るべきのみ。…『天下は一人の天下なり』と。…是れ則ち神州の道なり」
つまり「わが国の天皇が、たとえ暴虐で知られた夏の傑王や殷の紂王のようであろうと、民はただ首を並べて宮城の門(闕)に伏して号泣しながら、天皇が民を少しばかり苛め過ぎたと悟られるのを祈るだけです。何故ならこの天下は天皇お一人だけのものだからです」
 これが日本人の奴隷根性思想そのものなのではなかろうか?

 中井英夫が予言していた。
「己の一番嫌悪し、最も憎むのは、この枯れっ葉みたいにへらへらし、火をつければすぐあつくなる日本人民と帝国臣民という奴だ。この臣民をそのまゝ人民と名を置き換えて、明日の日本に適用させようとするのは、今日最も危険なことだ。それは翼賛議員が看板を塗り替えた位のことではない。このくすぶれる暗黒の大地からは、何度だって芽が出てくる。狂信的な愛国主義者、国家主義者、軍国主義者。そいつらの下肥えがかかった、この汚れたる土地をまず耕せ。でなければ明日の日本に花開き栄えるものは、単に軍国主義の変種にすぎないであろう」