芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

光陰、馬のごとし 強い馬

2016年06月20日 | 競馬エッセイ

 勝ち負けの「競争」に於ける強さとは相対的なものである。ディープインパクトはその競走生活を圧倒的な強さを見せて終えた。その強さは、全身の柔らかさが創り出すランニングフォームの美しさと、追い出してからのスピードにある。競馬ファンの多くの目は、彼一人に注がれ、彼のライバルたちの名を記憶しない。しかし強さとは相対的なものである。ライバルたちなくして、彼の圧倒的な強さは存在しないのだ。
 ディープインパクトの競走能力は、世界的にもトップクラスに位置するだろう。ディープインパクトは凱旋門賞後、国際レースのジャパンカップに勝った。しかしそのレー スに出走した海外の馬は一流半と二流であった。

 日本の競馬史にも歴史的な傑出馬は何頭かいた。シンザン、シンボリルドルフ、ナリタブライアン等である。いずれも皐月賞、ダービー、菊花賞のクラシックレース三冠馬である。三冠馬の出る年は、相対的にレベルが低い場合もある。ミスターシービー の年はライバルたちが弱かった。三冠全て勝ち馬が代わったトウシヨウボーイ、テンポイント、グリーングラス、クライムカイザーたちの世代は最強世代と言われた。
 シンザンは19戦15勝2着4回、連対率100%である。負けたレースはオープンレースで、いわば本番前の調教代わりであった。勝つときも負ける時も鼻差、頭差、首差、半馬身差程度で、派手さはない。相手が5の力の場合、シンザンは6の力を出した。相手が9の力の場合は10の力を出した。相撲で言えば大横綱・大鵬である。大鵬と人気を二分したライバルの柏戸は、5の力の相手に対し10の力を出した。7の力の相手にも10の力を出した。常に圧倒的なスピードと破壊力を見せつけたのだ。しかし大鵬やシンザンは、相手が1の力の場合は2の力を出し、相手が11の場合は12の力を出すのである。
 シンザンはステイヤーのボアルセル系ヒンドスタンの子である。スタミナタイプで底力はあるがスピードはないと思われていた。しかしシンザンの子、スガノホマレは日本レコードを含むレコードを5回、シルバーランドも2回の日本レコードを叩き出した。シンザンは素晴らしいスピードを秘めていて、それを子に伝えたのだ。しかもサラブレッドの長寿日本一の記録を持つ、凄まじい生命力の持ち主だった。

 シンボリルドルフは憎たらしい程の強さを見せた。その強さは横綱相撲である。常に中段よりやや前、馬混みに包まれる懸念のない位置をキープし、そのレース中も全く波乱が起こる隙を見せなかった。ゴールは常に余裕を持って相手をねじ伏せた。岡部騎手は、ルドルフを実に頭の良い馬だと讃えた。15戦13勝(海外1戦0勝)。
 ナリタブライアンの強さは破格だった。後方からライバルたちをぶっこ抜いた。その追い込みの凄みは、他馬とは全く別次元のものであった。この馬は実に気性の激しい馬と見受けられた。21戦12勝。激しい気性と、後方から追い込む戦法のため、不発も多かったのである。また一度闘争心を失うと、その精神的な回復に手間取った。また古馬になってからは股関節炎に苦しんだ。引退後間もなく、胃破裂で亡くなった。
 ディーブインパクトの有馬記念について、みのもんたさんが盛んに発言していた。
「ディープはスタートで出遅れ、最後方を走り、ここから届くのかという位置から4コーナー過ぎで一気にスパートする。人生は4コーナーからだ、彼は我々中高年に勇気をくれた。全ての出遅れた人々に感動をくれた…」
「人生は4コーナーから」は、寺山修司が魔王カブトシローについて書いたことである。カブトシローは三流血統であり、ちっぽけな馬であった。気性が悪く、騎手の言うことを全く聞かなかった。出遅れ、自暴自棄の走りを見せ、離された最後方を走り、ゴール前で全てを抜き去るか、あるいは最後方のまま終わった。また暴走して大逃げをうち大差で逃げ切るか、あるいはズルズルと馬群に沈んだ。
 ディープインパクトは生まれる前から期待された超良血馬であり、期待通りの子馬として注目されていた。高額で買われ、期待通りの調教ぶりを見せた。ゲート出は下手だったが、全身が柔らかいバネで、搭載しているエンジンも違った。激しい気性は常に良い結果につながってきた。頭も良く、常に自分のレースを理解していた。

 ところで、みのもんたさんに最初に競馬を教えたのは私である。彼をある年のダービーデーのイベント司会に起用した。彼は全く競馬を知らなかった。当日の朝から、競馬場の控室で、予想紙の見方、印の見方、血統、馬の見方、馬券の種類と買い方、当日の注目馬など、90分ほどレクチャーした。彼はダービーに十万円つっこみ、的中させて百万円プラスになったと喜んで、私に抱きついてきた。彼が競馬ファンになったのは、それからのことである。

            (この一文は2009年12月26日に書かれたものです。)