芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

光陰、馬のごとし 美しい日本に

2016年06月05日 | 競馬エッセイ
                     


 安倍晋三が「美しい国、日本」と連呼しても、そのような物言いは、ナショナリスト、ファッシスト特有のカムフラージュの言葉であると、精神分析学者エーリッヒ・フロムは50年も以前に指摘していた。とにかく政治家の語り口は気持ちが悪い。

 さて気分を変えて、久しぶりに小田切さんちの馬の話しである。本日話題に取り上げる馬の名は「ウツクシイニホンニ」と言う。 
 ウツクシイニホンニは1997年生まれの牝の黒鹿毛馬であった。デビューは1999年だった。父は岐阜笠松の地方競馬で圧倒的強さを見せ、やがて中央に転厩して国民的なアイドルホースとなった連銭芦毛のオグリキャップである。オグリキャップは、灰色の幽霊(グレイゴースト)と異名をとったアメリカ馬のネイティブダンサーの血を引くダンシングキャップの子である。
 少し道草をしよう。祖父ネイティブダンサーの馬名は「日本」と深い関わりがある。その父はポリネシアンであるが、母はゲイシャだった。この「芸者」の子は22戦21勝の歴史的名馬となった。ちなみに芸者の母は「みやこ」と言った。それは日本人と思われる女性の名なのか、あるいは京の「都」なのかは、よく知らない。
 その子ダンシングキャップはあまり強い馬とは言えなかったが、ネイティブダンサーの子ではダンサーズイメージという名馬が出た。数奇な運命を背負った馬で、寺山修司好みであった。ケンタッキーダービーを薬物検出で失格となり、種牡馬となってからも世界各地を転々と彷徨った。アメリカ、アイルランド、フランス、オーストラリア、そして老いて流浪の果てに辿り着いたのは日本だった。ダンサーズイメージとは「踊り子の面影」という名前だったのだ。まるで川端康成の世界である。彼は祖母ゲイシャの国を終の棲いとしたわけだ。

 さて話頭を戻し、ウツクシイニホンニである。母はガイドブックという。つまり観光案内書である。母の父はラグビーボール、母の母はガストロノミーといった。いずれも小田切有一氏の所有馬であった。祖母ガストロノミーは5勝した活躍馬である。母ガイドブックも4勝を挙げた。

 競馬ファンの間で「オダギリ馬」として愛されている馬について、命名にはいくつかの系統があると、小田切氏自身が雑誌のインタビューで答えている。例えば自然環境へのメッセージである。その代表例がウツクシイニホンニなのである。他にウチュウノキセキ、ミズノワクセイ等がいる。
 もちろんお茶目な小田切さんには、競馬実況のアナウンサーを困らせたいという一念で名付ける系統がある。例えばナゾ、オジャマシマス、ドンナモンダイ、オミゴトデス、ツイニデマシタ、コレガケイバダ等がその範疇に入る。ニバンテという馬名登録を行ったが、さすがにJRAに却下されたらしい。「先頭はニバンテ、先頭はニバンテだ!」「一着はニバンテです!」では何とも都合が悪いらしい。でも「惜しいことをした」と小田切さんは言った。本当にお茶目な人である。
 彼は真面目でもある。ノーモアと言う馬は「人類共通のイデオロギーと願いを込めた」系統なのだ。「核兵器廃絶、ノーモアヒロシマなんです」…さすが小田切秀雄の子である。無論、お笑い系統もある。キャバレー、オセッタイ、アナタゴノミ、メシアガレ、オジサンオジサン、アトデ、コワイコワイ、カミサンコワイ、ウソ、オトボケ、オソレイリマス、イヤダイヤダ…

 寺井淳という短歌の名手がいる。短歌研究社から「聖なるものへ」という第一歌集を出版した。寺井は高校教師である。学生時代に中世短歌史を専攻したらしい。彼は競馬を愛する人のようだ。

    神よりの前借りならむ夏麻(なつそ)引く
            命をかたに馬券(うま)買へわが夫(せ)

    ウツクシイニホンニ死せり日の丸の 翩翻と予後不良の通知

 学校現場に於ける日の丸は、常に彼を鬱する問題なのかも知れない。彼はウツクシイニホンニという馬名に想うところがあったのだろう。そしてある日、競馬雑誌の片隅でウツクシイニホンニの死を知ったのだ。
 私は寺井の短歌で、ウツクシイニホンニの死を知った。ウツクシイニホンニはレース中に骨折し、予後不良と診断され薬殺処分となり遂に未勝利のまま逝ったのだ。

    ウツクシイニホンニ死せり日の丸の 翩翻と予後不良の通知

              (この一文は2006年10月5日に書かれたものです。)