芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

光陰、馬のごとし 友よ

2016年02月24日 | 競馬エッセイ
                   


 エリモダンディーは黒鹿毛の小さい牡馬であった。父はブライアンズタイム、母はエリモフローレンス、母の父イルドブルボンで、スピードと底力のある長距離血統である。1994年、エリモの名の通り山本慎一の「えりも牧場(農場)」に生まれた。サラブレッドとしては遅い5月生まれで、とても小柄だったため、牧場では周りの馬たちに威嚇されたり虐められたりして、萎縮し、怯えきっていた。
 それらの虐めを叱り、ダンディーを助けてくれたのは牧場の人たちだった。人間と一緒にいれば他の馬たちから虐められずにすむ。だからダンディーは人間を信頼し、なつき、甘えた。ダンディーはいつも牧場の人たちに寄り添い、その後を追った。それが愛らしく、彼等はダンディーをとても可愛がった。

 ダンディーは山本慎一の所有馬として栗東の大久保正陽(まさあき)厩舎に入ることになった。大久保師は天才エリモジョージ、障害競走から平地に転じて宝塚記念と有馬記念を勝ったメジロパーマーや、最強の三冠馬ナリタブライアンを送り出したことで知られる。大久保師は種牡馬ブライアンズタイムの底力 を高く評価していた。何しろあのナリタブライアンの呆れるばかりの強さである。彼はその年もエリモダンディー、シルクジャスティスというブライアンズタイム産駒を預かった。
 エリモダンディーが入厩した日、大久保厩舎の人たちは驚いた。牧場が間違えて二歳馬(現馬齢一歳馬)を馬運車に積み込んでしまったのでないかと思ったのである。それほど小さかった。背に鞍を置いても370キロに満たなかった。これで大成できるのだろうか。しかしダンディーは人なつこく甘えん坊で、素直でおとなしく従順で、愛くるしく、たちまち厩舎関係者の人気者になった。なかなか俊敏で、小さいため、すぐに競走に出せる馬体となった。「ダンディー は3勝を目標としよう」と大久保師は言った。

 ブライアンズタイムを繋養する早田牧場生産のシルクジャスティスは、明るい栗毛の牡馬である。母はユーワメルド、母の父はサティンゴで、早田一押しの馬であった。しかしジャスティスは厩舎関係者をがっかりさせた。彼は人の命令を完全に無視するのである。どうも人間を「なめきっている」らしかった。
 気性も荒く、一度暴れると手が付けられないほど凶暴になるのである。調教も進まず、全く走る気を見せず、馬体も絞れなかった。そもそもゲート審査も受かりそうもなかった。調教タイムも上がらないので、能力が有るのか無いのかさっぱりつかめなかった。彼は人間に対しても他の馬に対しても、気性がきつく、いつも喧嘩腰であった。
 エリモダンディーは栗東トレセンの中でも、よく他馬に威嚇され虐められた。小柄なダンディーは何ら抵抗もできず、射すくめられ、萎縮していた。するとどこからともなくシルクジャスティスが駆け寄り、ダンディーを威嚇していた馬を一喝し、逆に激しく威嚇した。「コラッ! てめェら弱い者虐めするんじゃねえ! 何なら俺が相手をしてやる、やるんかワレ!」と言ったのだろう。その激しい剣幕と威嚇に恐れをなし、その馬は怯えて退散した。
「もう大丈夫だ」ジャスティスはダンディーに優しかった。 彼はその名の通り正義なのだ。「ありがとう、お兄ちゃん」「おいおい、お兄ちゃんはやめろよ、俺たちゃ同期じゃないか」
 エリモダンディーに馬の友だちができたのだ。ダンディーはすっかりジャスティスを慕い、その弟分になった。それからトレセン内の曳き運動のときも、厩舎に帰るときも、いつも兄貴分のジャスティスの後ろを追うようについて回った。

 仕上がりの早いエリモダンディーのデビューは、1996年6月札幌の新馬戦である。馬体重は396キロ。気の弱い馬の戦法は馬群を避けた最後方からか、もしくはハナから先頭に立って逃げまくるかである。特に馬体の小さなダンディーは馬群の中でもまれることは不利であった。大久保師と田面木博騎手 は、彼の瞬発力を生かすために後方からのレースが良いと思っていた。しかしこの時期の新馬戦は距離も1000メートルと短い電撃戦で、幸いなことに少頭数である。馬群に包まれるというようなこともあるまい。
 彼等は中団を進み、直線で一気に先頭に躍り出た。上がり3ハロン34.9秒。素晴らしい瞬発力である。3戦目から松永幹夫騎手が騎乗し、1997年1月の若駒ステークスを勝って5戦3勝。早くも目標を達成して、クラシック戦線に名乗りを上げた。馬体も420キロ前後へと成長した。それでも牡馬として極めて小柄である。
 シルクジャスティスのデビューは1996年10月中旬の京都である。見るからに太目で調教不足の感が否めぬ490キロの馬体重であった。レース前の調教タイムは凡庸である。しかしあのナリタブライアンの大久保正陽調教師が、あの武豊騎手に騎乗依頼し、武がそれを受けて臨んでくるのだ。きっと並々ならぬ秘めた能力に期するものがあるのだろう。こうした期待からジャスティスは12頭立ての3番人気に押された。結果は全くやる気も見せぬ「後方まま」で11着に惨敗した。
 2戦目は福永祐一が騎乗した。馬体重は少しばかり絞れて482キロ。ジャスティスは走る気も見せずに後方を進み、12頭立ての9着に敗れた。3戦目は馬体重がさらに絞れて470キロ。鞍上は若い藤田伸二騎手になったが、また後方を進んだまま、10頭立ての8着に終わった。こうしてジャスティスは良いところなく負け続け、初勝利は7戦目の未勝利戦であった。鞍上は再び武豊で、馬体重は464キロ。実はこの460キロ台がシルクジャスティスの理想体重であった。

 意表をついた作戦に出るのが大久保正陽調教師の真骨頂である。師はジャスティスを、未勝利戦勝ちの翌週、何と連闘で重賞の毎日杯に出走させたのである。大久保師はジャスティスが高い能力を持っていると確信していたのである。何しろ馬房の天井を蹴破るほどのジャンプ力とキック力の持ち主なのだ。ここを勝たせて一気にクラシック第一弾の皐月賞に出走させるつもりだった。藤田と同期の河北通が手綱をとった。ジャスティスの無謀とも思える挑戦は、14頭立ての12番人気の評価に甘んじた。彼等は最後方を進み、直線一気に馬群を抜き去っていったが3着に終わった。…皐月賞には間に合わなかった。しかしやっとジャスティスの潜在能力が見えた一戦だった。

 エリモダンディーは皐月賞への出走が決まった。レースは河北通で臨むことになった。18頭立ての8番人気である。彼等は終始後方を進み、直線伸びたものの7着に終わった。11番人気に過ぎなかったサニーブライアンと地味な大西直宏騎手による、スローな先行逃げ戦法にはまったのである。誰もが「まぐれ勝ち」だと思った。このサニーブライアンのレースぶりは、かつてのカツトップエースを彷彿とさせた。
 皐月賞の前日、シルクジャスティスは武豊を鞍上に阪神の若草ステークスを勝った。終始最後方を進み直線上がり3ハロン34.8秒の豪脚を披露した。武はかつて騎乗して皐月賞を制したナリタタイシンの切れ味を思い出した。「タイシンなみだね」…しかし武豊は、その年のクラシック戦線をランニングゲイルで挑むことに決めていたのである。
 5月、ジャスティスは重賞の京都四歳特別に藤田伸二と臨んだ。ダービーの最終切符である。彼等はまた最後方を進み、4コーナー手前で進出して3ハロン 34.7秒で差しきり、初重賞を制した。ジャスティスは速い脚を長く使えるのだ。前年、フサイチコンコルドで史上二番目の若さでダービー騎手となった藤田伸二は確信した。「今年一番強いのはこの馬だ」
「すごい、すごいね。これで一緒にダービーに出られるね、頑張ろうね」とダンディーが一番喜んだ。ジャスティスは鼻先で「ふん」と言った。でも少しばかり嬉しそうだった。

 その年のダービーは17頭立てである。1番人気はメジロブライト、2番人気はランニングゲイルで、藤田伸二と臨むシルクジャスティスは堂々の3番人気に押された。河北通と臨むエリモダンディーは4番人気となった。皐月賞馬サニーブライアンは6番人気に過ぎない。藤田は自信があった。「勝てる。相手 はブライトとゲイルだ。武さんのゲイルも要注意だが、ブライトを躱せば何とかなる。あっちが先に仕掛けてから追えば、ジャスティスの切れ味のほうが上だ」
 ゲートが開いた。サニーブライアンがハナを切った。所詮逃げ馬だ。柳の下に二匹目の泥鰌はいない。ジャスティスと藤田は後方を進んだ。最後方からダンディーと河北が行く。サニーブライアンと大西は淡々とスローで逃げた。後続の騎手たちは思っていた。この馬はいつでも躱せる。…ブライト、ゲイルが動いた。それを見てジャスティスが動き、上がり3ハロン34.2秒の豪脚を炸裂させた。最後方からダンディーも34.2秒で追った。しかしジャスティスはサニーブライアンをわずかに差し切れなかった。彼と藤田は2着に敗れた。ダンディーと河北は4着だった。再び大西直宏の巧妙な戦法にはまったのである。サニーブライアンはまさに、かつてダービーまで制したカツトップエースそっくりに、二冠馬となったのだ。能力が低くても、その戦法がはまれば勝てるのだ。それにしても、果たして低い能力で二冠が獲れるものだろうか? 「まぐれ」で二冠を制することができるだろうか? (ちなみに私は、カツトップエースとサニーブライアンの皐月賞とダービーを競馬場で目撃している。無論いずれも馬券は紙屑となった。)

 秋、サニーブライアンは故障で引退した。それもカツトップエースとそっくりだった。だからその後の彼等のレースを見ることはできず、本当の実力は不明のままなのである。三冠最後のレース菊花賞はマチカネフクキタルが制し、ジャスティスは5着、ダンディーは10着に敗れた。
 大久保師は何とかジャスティスを立て直したかった。ジャスティスは稽古嫌いで、不真面目ですぐ手を抜く。これからは、騎手の指令を素直に聞き、いつも真面目に稽古するダンディーと併せ馬(稽古)をさせよう。二頭はとても仲が良い。
 こうしてジャスティスとダンディーはいつも一緒に稽古(併せ馬)をするようになった。ジャスティスが手を抜こうとすると、ダンディーがそれを真剣に躱わそうとする。 
「どっちが速いか、さあ勝負ですよ」とダンディー。「おいおい、マジかよ」とジャスティスもつられて走る。お互い切磋琢磨し、良い稽古をした。

 エリモダンディーは1997年の11月、武豊を鞍上に迎えて重賞の京阪杯に挑み、初重賞勝ちをした。シルクジャスティスはその年最後のレース有馬記念に藤田伸二と挑んだ。そして勝ったのである。グランプリホースになったのである。日本一に輝いたのである。
 ダンディーとジャスティスは馬房でこんな会話をしたはずである。「すごい、すごいね。日本一だよ」「うん、まあね。運が良かったんだよ」「いやすごいよ、 日本一だよ」「あまり実感はないよ」「春の天皇賞はまた一緒に頑張ろうね。今度は僕の番だよ」「そうか、お手柔らかに頼むよ」
…でも、それは実現しなかった。

 年が明けて、ダンディーは金杯2着、そして日経新春杯を快勝した。しかし重賞2勝目の代償は大きかった。レース後故障が判明したのである。全治九ヶ月の重傷だった。移動させることが困難だったため、しばらく大久保厩舎内で治療に当たることになった。
 ダンディーの馬房の前を通るときに、ジャスティスが声をかけた。「おい大丈夫か?」「うん」「だいぶ痛むのか?」「うん」「しばらく一緒に稽古できないな」「うん」「早く良くなれよ」「うん」「また一緒に走ろうな」「うん」
しかしそれから間もなくして、エリモダンディーは世を去った。怪我が原因ではなく、腸捻転で亡くなったのである。シルクジャスティスが泣いた。弟のようなダンディーを想って泣いた。
 以後シルクジャスティスは気が抜けたようになった。心ここにあらずといった風情である。胸にぽっかりと穴が空いたのである。親友を失った悲しみからジャスティスは立ち直れなかった。こうして彼はダンディーの死を境にして、11戦負け続けた。その最後のレースは2000年の5月27日、中京競馬場 だった。重賞とは言え金鯱賞ごときレースで、11頭立ての11着という、グランプリホースとしては実に不甲斐ないものであった。もうすっかりやる気が失せていたのだ。
 彼はそのグランプリホースという栄誉を地に墜として引退していった。そのため種牡馬としての評価も上がらなかった。しかし彼は、牧場でのんびりと青草を食みながら、友と過ごした厩舎や稽古、レースを思い出し、ゆっくりとその深い悲しみから立ち直っていったに違いない。
 彼はふと青草から顔を上げ、遠くを見つめた。
「なあ友よ、今思い返せば、楽しかったよなあ…」
「ええ、楽しかったですねえ」と懐かしい声が風に乗って聴こえた。


        (この一文は2012年9月16日に書かれたものである。)

全地球的思考

2016年02月23日 | エッセイ
今から9年前に書いたコラムを見つけた。2011年3月11日の大震災のより年も前である。時の移ろいは早い。たちまち古い話になるが、いまもまだ語る価値のある話もある。

 イエス・キリストは「人は麺麭のみにて生くるにあらず」と教えた。パンのみ=つまり物質至上主義を諫め、精神性(芸術や思想、信仰等)の大切さを語った。かつてサルトルは「文学は飢えたアフリカの子どもを救えるか?」と問うた。つまり文学(芸術や思想、信仰等)に何ができるのか、それは本当に必要なものなのか、「文学者」は何をすれば彼等を救えるのかと言う設問である。サルトルは「政治参加」を示した。

「松坂大輔60億円でレッドソックスへ」「ベッカムが300億円でアメリカに移籍」…彼等スターは世界中の子どもたちに夢を与えると言う。努力し、有名になれば使い切れぬ程のお金が稼げるという夢を。世界中には、ベッカムらが与える夢より、今日の食べ物や、学校に行くことや、医薬品が欲しい子等がたくさんいる。これほどの格差と不必要なほどの富を夢というのか。これは経済システムの問題である。

 竹中屁蔵という経済学者は「努力した人が報われる社会」の実現を標榜した。それは市場原理主義によって実現するものなのである。市場原理、経済原理にのっとれば、年俸や契約金が60億円でも300億円でも可能なのである。それが「努力した人が報われる社会」だと言うのである。ホリエモンや村上世彰も、そして三木谷も努力したから報われたというのである。むろん努力されたのであろう。
 農産物の生産や、注射針のミクロン単位の研磨技術や、日々のゴミの集荷など、社会に絶対に必要なものづくりの技術や、地味な作業に努めながら、全く報われない人々がいる。大勢いる。報われぬどころか、それらの仕事も失われていく。これは現行の経済システムの問題である。

 北極の海を必死に泳ぐ白熊がいる。彼の周囲には全く白いものがない。ただただ広がるのは北極の海なのだ。すでにその白熊が取り付く氷がない。取り付く島がないのだ。氷と雪原がなければ、アザラシも営巣できない。子どもを育てられない。彼らを餌とする白熊も、やがて滅びる。これは経済システムの問題なのだ。
 もう冬眠に入る時期に、人里で餌を探す月の輪熊の子熊がいる。人に見つかり樹上に逃げて震えているが、叩き落とされ山に帰された。数日内に子熊は死ぬだろう。月の輪熊は絶滅危惧種である。異常気象で山の食べ物の不作が、彼等を里山に降りさせる。山に戻っても食べるものがない。また親とはぐれた子熊は大きな大人たちの縄張りから追い出される。食い殺される。これは経済システムの問題である。

 地産地消、スローフード運動が提唱されている。しかし彼等は進められる自由貿易協定を語っていない。つまり世界を理解していない。地産地消と自由貿易協定は対極にある。これらは比較優位、経済の問題である。食の安全保障、低い食糧自給率を懸念する人がいる。それなら比較優位論に立脚したWTOに疑問を呈するべきである。地産地消運動のために地元の行政から補助金が出されたとしよう。それはWTO違反とされるに違いない。

 日本の電力会社は漫画のキャラクターに「こまめに電気を消しましょう」と省エネキャンペーンを行っている。しかし大企業による自家発電や、不況によって電力需要と売上げが減ると、厨房も住宅も「オール電化」で需要増と売上げ増を目指した。そして経済官僚や日銀は、電力需要が2%増えたことを「経済成長」と評価した。

 政府は「経済成長」を掲げて「美しい国」と言うが、これは殆ど両立しない。政治家は環境問題が経済問題だと考えたことがない。本間正明という政府税調会長は、「大企業減税」によって「経済成長を促す」指針を示したが、ほとんどの経済学者は環境問題を考えたことがない。また大企業減税は大企業の内部留保を増やすだけだろう。
 京都議定書は2010年までにCO2 の6%削減を義務づけたが、CO2 は8%増加し、つまり「経済成長」という名の経済活動によるエネルギーの消耗、地球環境の消耗を招来している。またCO2 排出権の売買という欺瞞は、成長経済の欺瞞である。アマゾンの熱帯雨林は刻々と縮小しているが、これに関与している日本や中国の巨大商社や、アメリカの穀物メジャーは環境問題を考えたことがない。日本の商社のCSR担当者は、環境や食育に関心を示す素振りを見せるが、それはポーズに過ぎない。CSRをセールスプロモーションと考えている企業は多い。
 銀行は環境への取り組みなど、銀行にできることを考えているというCMを流している。その社会的責任の具体例として「金融教育」を得意気に流している。かつて井原西鶴は「永代蔵」にこう書いた。「世に銭程面白き物はなし」…これが「金融教育」の本質である。

 竹中屁蔵も本間も全く時代遅れの経済学者である。これから必要な経済学は、現行の世界の経済システムの大転換しかないのである。

怒りの葡萄(5)

2016年02月22日 | シナリオ

♯37

 家の中でコーヒーを飲む者、豚肉を食べる者


♯38

 戸外
 突然吠える犬たち
 走り出す犬たち
 戸外に出る父親

 父親  「どうしたんだ、いったい?」

 近づいてくるミューリー

 ミューリー「みなさん、おはよう」

 父親  「やあ、ミューリー」
     「こっちへ入って、すこしばかり豚肉でも食いなよ」

 ミューリー「腹は減ってねえよ」
     「おめえさんがたは、どんなあんばいかと、ちょっと気になってね」

     「それに、ひとこと、お別れでも言おうと思ってね」

 父親  「もう少ししたら、出発するところだよ」
     「すっかり積んでしまったよ、ほらな」

 ミューリー「なるほど、すっかり積んじまったな」

 納屋から出てくるアルと爺様
 アル  「爺様は、どっか具合が悪いみてえだ」

 爺様  「わしは、どうもしてやしねえだ」
     「ただ、わしは行かねえつもりだ」
 父親  「行かねえって?」

     「爺様、行かねえって、どういうつもりだね?」

     「ほれこの通り、荷物も積んじまったぜ」
     「行かなきゃなんねえだよ、わしらにゃ、もういるところなんぞ
      ねえだで」

 爺様  「おめえもここにいろとは言ってやしねえ」

     「おめえは、いくらでも行くがいいだ。わしじゃよ…わしが留まる
      んじゃ」
     「ゆうべ、一晩中考えただ。ここは、わしの故郷じゃ。わしは
      ここの人間じゃ」
父親   「爺様…」
爺様   「わしは、いやじゃ。行かねえだよ。ここは良くねえ土地だ」
     「でも、ここはわしの故郷じゃ。わしは、いやじゃ」

     「おめえたちはみんな行くがいいだ。わしは、自分の土地に留まる
      んじゃ」

父親   「留まることができねえんだよ、爺様。ここの土地はトラクターの
      下になっちまうだ」
頭を振る爺様  
父親   「誰が、おめえさまに料理をつくってくれる?」
嫌々をするように頭を振る爺様
父親   「どうやって暮らすだ? ここにゃ住むことはできねえだよ」
     「世話をしてくれる者もいねえで、爺様は飢え死にしてしまうだ」

 爺様  「何を言うだ! そりゃわしは老いぼれさ。だが、自分の世話くら
      いはできるだぞ」
     「このミューリーはどうやって暮らしてるだ? わしだって、ミ
      ューリーに負けねえくらいはできるだぞ」

     「わしは行かねえぞ。もしそうしてえのなら、婆様も連れて行くが
      いいだ。でも、わしを連れて行くのはやめてくれ」
     「わしが言いてえのはそれだけだ」

 父親  「なあ、爺様、ようく聞いてくれ。ちょっとでいいから聞いてくん
      なよ」
 爺様  「聞かねえだよ。わしがしようと思うことは、もう言っちまったか
      らな」
 トム  「お父っさん、家へ入ってくんねえかな。ちょっと話すことがある
      んだ」
 
 家の方に歩く二人

 トム  「おっ母…ちょっと来てくれねえか」


♯39

 家の中
 
 トム  「ちょっと聞いてもらいてえ。爺様が行かないと言い出す気持ち、
      俺にはよくわかるぜ」
     「だけど、ここに留まっていられるもんじゃねえ」
 父親  「そうだとも、留まれっこねえ」

 トム  「それでだ、爺様をとっつかまえて、縛り上げたりすれば、怪我を
      させねえともかぎらねえ」

     「と言って、いま爺様を説き伏せることもできねえ」

     「この際、爺様を酔いつぶしちまったら、うまくいくと思うんだ」
     「ウィスキーはあるかね?」

 父親  「いや、この家の中には、ウィスキーなんて一滴もねえよ」
     「ジョンも持ってねえだ」

 母親  「トム、たしかウィンフィールドが耳痛のとき使った鎮静液がビン
      に半分くらいあるはずだよ」
     「あれじゃ役に立たないかね?」

     「耳痛がひどいとき、ウィンフィールドを眠らせるのに使ったの
      よ」

 トム  「役立つかも知れねえな。おっ母、そいつを出してくんなよ」

 出ていく母親

 黒い薬液の入ったビンを持ってくる母親
 
 トム  「ブラック・コーヒーを作ってくんなよ。甘くて強いやつを」
     「そいつに大さじ二杯くらい入れるんだ」

 コーヒーを作る母親

 母親  「コップはみんな包んじまったから、爺様には空き缶で飲んでもら
      うよ」

♯40

 戸外へ出る父親とトム
 
 爺様  「人間は誰でも自分がやりてえと思うことを言う権利があるだ」
 トム  「おっ母が、いま爺様にコーヒーと豚肉を用意してるぜ」

 家の中に入って行く爺様
 明るんでゆく戸外


♯41

 家の中のテーブルにうつ伏せになって寝入る爺様
 
 トム  「爺様は、いつも疲れてる。そっとしとこう」

 トムに近づいてくるミューリー
 ミューリー「おめえは州境を越す気か?」
     「仮釈放の誓約を破るつもりか?」

 トム  「おや、おい、もう日の出が近いぞ」
     「出かけなくちゃならねえぜ」

 トラックの方に集まる家族たち
 小屋に、トラックに光が差す

 トム  「行こう」
 父親  「爺様を乗せるだ」
 
 父親、トム、ジョン叔父、アルが、眠ったままの爺様を抱えてくる
 トムとアルがトラックによじ登り、父親とジョンが抱える爺様を引き上げる

 父親  「おっ母と婆様はしばらくアルと一緒に前に乗んな」

     「いずれみんなで交替するだ。とにかく最初はこの順番だ」
 
 荷物の上によじ登るあとの家族たち

 コニー、シャロン、父親、ジョン、子供たち、説教師
 ノアとアルは車の下やタイヤを覗き込む

 ノア  「お父っさん、犬どもはどうする?」
 父親  「ほんとだ、忘れてたな」
 鋭く口笛を吹く父親
 一匹が駆け込んでくるが、もう二匹は来ない

 一匹を抱えてトラックの上に放り上げるノア
 自分も荷台にのぼるノア

 父親  「ほかの二匹は残していくしかしょうがねえな」
     「ミューリー、あとの犬どもの面倒をみてやってくんねえか」
     「飢え死になんぞしねえようにな」
 ミューリー「いいとも、ちょうど俺も犬を二匹ほど飼いてえと思ってたとこ
      だ。いいとも! 面倒みるぜ」
 父親  「鶏もな」
 
 運転席に入るアル
 スターターがうなる
 青い煙を吹き出す後尾

 アル  「あばよ、ミューリー」

 車体をふるわせて動き出すトラック
 家族たち「さよなら、ミューリー」
 庭を横切って出るトラック


♯42
 
 土煙を巻き起こし、ガタガタと揺れながら丘を這い上がっていくトラック
 ミューリーが戸口の庭にぽつんと立っている


♯43

 綿花畑の中の道路を土埃をあげながらノロノロと、国道へ向かうトラック
 太陽がぎらつき出す

♯44

 ゆるやかに上下にうねりながら、延々と伸びるコンクリートの道
 「第66号国道は」
 「移住幹線道路である」

 陽炎にゆらめく国道
 「赤い土地と灰色の土地を越え」
 「山脈をよじ登り」

 地図(ミシシッピ ~ カリフォルニア州ベイカーズフィールド市)
 「分水嶺を越え」
 「日の照りつける砂漠に下り」

 延々と伸びるコンクリートの国道の彼方に、大きな山脈が見える
 「ふたたび山脈に入り」
 「カリフォルニアの渓谷に入る」

 屋根の上に荷物を満載したセダンが走っている
 「この道は逃亡する人たちの道である」
 「土埃と荒廃の土地から」

 荷台に家財道具と家族を満載したトラックが行く
 「咆哮するトラクターと」
 「侵入してくる砂漠から」

 延々と伸びる国道を、何台もの異様な車が、点々と連なっている 
 「テキサスから吠え立ててくる嵐から」
 「わずかな財産を奪う洪水から」

 家財道具を満載し異様な形をした車が行く(トム・ジョード家の車)
 「第66国道は母なる道だ」
 「逃亡の道路だ」


♯45

 古ハドソンの車内
 ハンドルを握るアル
 眠っている婆様
 じっと前方を見つめる母親

 溜息をつくアル
 アル  「やかましい音がするなあ…大丈夫だと思うけど」
     「でも、こんな重い荷物をのっけたまま、坂を登るんだと、どう
      なるかわかんねえけど」

     「おっ母、カリフォルニアまでにゃ、丘はあるかい?」
 母親  「あるようだよ。あたしだって、よくは知らないけどね」
     「山だってあるそうだよ、大きな山がね」
 アル  「どうしても登るんだとすると、荷物を少し捨てなきゃなんねえな」
     「あの説教師、連れてこねえほうがよかったな」
 母親  「向こうに着くまでに、あの説教師を乗せたのが、ありがたく思わ
      れてくるよ」
     「あの人は、あたしたちの助けになるよ」
 アル  「おっ母…おっ母は、行くのが恐いかね?」
     「新しい土地へ、行くのが…」
 母親  「すこしね」
     「でも、何かあたしがやらなけりゃいけないことが起きたときは…
      あたしは怖がらずにやるよ」
     「あたしにできるのは、それだけさ」
     「みんな、あたしを頼りにしてるからね」

 あくびをして目をさます婆様
 婆様  「わたしゃ外に出たいよ」
 アル  「こんどの藪のところでな」
     「向こうにひとつ見えてるぜ」
 婆様  「藪があろうとなかろうと、わたしゃ外に出たいよ」
     「外に出たいと言ってるんだ」


♯46

 唸りをあげる古ハドソン
 
 急停車する古ハドソン
 
 母親がドアを開けて出て、婆様を下から支え降ろす
 
 荷台から降りる男たち、子供たち
 コニーがローザシャーンを優しく助け降ろす
 子供たちが藪の中に駆け込む

 荷台の中の爺様にトムが話しかける
 トム  「爺様も降りたいかね?」
 爺様  「いや…わしは行かんぞ。本当に行かん」
     「ミューリーと同じように踏みとどまるんじゃ」
 母親  「トム、骨の入っているお鍋を降ろしておくれ」
     「みんな何か食べないとね」
 
 道端に立ったまま豚の骨にかじりつく家族たち
  
 父親  「硬くなって、飲み込むのに骨が折れるだ。水はどこだい?」
 母親  「おまえさんのとこへ、上げておかなかったかい」
     「あたしはガロン瓶をつくっておいたんだけど」

 荷台に這い上がって探す父親

 父親  「ここにはねえな。忘れてきたにちがいねえ」
 ウィン 「水が欲しいよ、おれ水が飲みたい」
 アル  「こんどぶつかったサービス・ステーションで水をもらうことに
      しよう」
     「それにガソリンもいるしな」


♯47

 再び古ハドソンに乗り込む家族たち
 走り出す古ハドソン
 

♯48

 道路標識(キャッスルからパデン25マイル)の横を通過する古ハドソン
 蒸気を吹き出し始める古ハドソン
 停車する古ハドソン


♯49

 道端の小屋、二本のガソリンスタンド
 柵の傍に水道の蛇口ホース

 蒸気を出しながら乗り入れる古ハドソン
 ガソリンスタンドの背後から太った男がのっそりと出てくる
 サスペンダー付きコールテンのズボンにポロシャツ姿
 ボール紙製の日除けのヘルメット

 男   「お前さん方、何か買うのかね? ガソリンか何かを」
 蒸気の出ているラジエーターキャップを注意深く回そうとしているアル
 アル  「すこしばかりガソリンがいるんだ」
 男   「金は持っているのかい?」
 アル  「もちろんさ。俺たちを乞食だとでも思ってるのかい?」
 男   「それならいいさ。さあ、勝手に水を使っていいぜ」
 トラックの荷台から降りたトム、子供たち
 男は国道の方を見ながら
 男   「道路は人と車でいっぱいさ。そいつらが入ってきやがってよ…」
     「水を使って、便所を汚して…何か盗んだあげく、何も買わずに
      出て行ってしまうんだ」
     「金なんか持ってねえんだ。そのくせ車動かすから1ガロンくれっ 
      てぬかしやがる」
 トム  「俺たちは、ちゃんと支払いはする」
     「お前さんに、物乞いはしねえよ」
 男   「こっちもさせないよ。さあ自由に水を使ってくれ」

 ホースをつかみ水を飲むウィンフィールド
 頭から水をかぶる

 ラジエーター・キャップをはずすアル、
 吹き出す蒸気と沸騰するうつろな音

 男   「この地方がどうなるのか、さっぱり分からん」
     「何十台もの家財や子供を積んだ車が西へ向かっていく」

     「みんなどこへ行くのかね?」  
     「みんな何しに行くのかね?」

 トム  「俺たちと同じことをしに行くのさ」
     「どこかに住むためにな。何とか暮らそうと思ってな」

 男   「さっぱり分からん。俺だってここで暮らそうと思ってるんだ」

  犬の首輪を掴んで荷台から降ろしてやるジョン
  蛇口の下の水たまりから水を飲む犬


     

我が魂の凍土

2016年02月21日 | コラム
 この一文は、今から9年前の2006年12月20日に書かれたものである。
 昨年もロシアで反プーチンの野党党首が何者かに暗殺された。監視カメラには彼が射殺される様が記録されていた。しかしその場所を映し出す監視カメラは、ふだんは複数台設置されているというのだが、この日に限って1台を除き、全てが故障していたというのである。…そしてつい最近も、ロシアのドーピング検査機関の元最高責任者たちが、二人も相次いで不審な病死をしたのである。しかし、それを病死とみるロシア人は一人もいない。

                    

 象徴的なルビヤンカの犯罪であるジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤの射殺に続いて、ロンドンでロシア連邦保安庁(FSB)のユトビネンコ元中佐がポロニウムで殺された事件が、世界の耳目を集めている。続いてガイダル元首相代行がアイルランドで毒を盛られた。
 プーチンの指令か、彼の意を酌んだクレムリンの徒党の陰謀か、反プーチン派の謀略か、ロシア・マフィア=ロシア新興財閥の陰謀か。
 実はそんなことはどうでもよい。諜報機関の暗躍や秘密…それらの推理は数年後の船戸与一の作品に任せよう。

 私がこの一連の事件報道で想起するのは、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」や「悪霊」が描いたロシアの魂のことである。
 とどまることのない物欲と権力欲、途方もない富の独占と蓄積、歯止めのきかぬ欲望のスパイラルと、澄明な精神性との相克のことである。これらは全て国家という枠を破砕しかねぬ内なるアナーキズムであり、ナイリズム(虚無主義)である。これらは全て、ロシアという風土的、歴史的な、極北の精神性の表出であろう。
「我が魂の凍土(ツンドラ)」である。ちなみに「わが魂の凍土」は私が若い頃に文学、哲学、社会の縦断的・重層的評論を構想した際の表題である。無論、私はそれを多忙を理由に放擲したので、未完の幻の書である。

 かつて大江健三郎は自作の小説の登場人物に、「人間なら誰でもドストエフスキーを読むべきだ」と語らせた。賛成である。
 19世紀の末から20世紀初めに、ロシアの新カント派の文学者・哲学者のウオルィンスキーが、一連のドストエフスキーの研究論文を発表した。「白痴」を論じた「美の悲劇」、「カラマーゾフの兄弟」研究の「カラマーゾフの王国」、そして「悪霊」の研究「偉大なる憤怒の書」である。
 無論ドストエフスキーは偉大だが、このウォルィンスキーも偉大である。この「悪霊」と「カラマーゾフの兄弟」こそ、ドストエフスキーが露出させた近代ロシアの魂の混沌であり、近現代の人類の魂の虚無性である。そしてドストエフスキーは全ての角度から、全ての思想、政治機構に対して、嘲笑、侮蔑、激越な批判を浴びせかけたのである。その批判と嘲笑と侮蔑こそ、ドストエフスキーの虚無的憤怒なのである。

 スターヴローギンもキリーロフもロシア的明晰さと、ロシア的混濁を併せ持ち、また激発する精神と、脆弱さの裡に死に至る異常さを示す。ドミトリー・カラマーゾフは混濁の裡にあり、イワン・カラマーゾフは明晰な近代合理主義と知性を持ちながら、果てしない物欲に走り、しかも誰よりも苦悶しつつ攻撃的である。
 アレクセイ・カラマーゾフは優しさという弱さに震えながら澄明な目で事態を見守るしかない。ゾシマ長老は静かに、そして激しく「原理主義」の正義を批判し、彼の死の周囲に跳梁する人間の政治学(ポリテクス)が悲しく虚しく描かれていく。
 しかし、このロシア的虚無主義とアナーキズムは、ロシアという風土に突出して表出しただけの象徴に過ぎない。それは近現代人の魂の全ての象表なのである。

 この人間の政治学こそ、村上ファンドやライブドア、楽天の三木谷の欲望と裏切りの金銭ゲームであり、いっさいの価値ある物を生産することなく莫大な富を収奪するリーマンブラザーズたちのビジネスであり、またビジネスという名の交渉事であり、足の引っ張り合いとチクリ合いであり、単なる北の時間稼ぎに過ぎぬ無駄な六カ国協議というゲームであり、また死に至る地球環境を目撃しつつも止まぬ、経済成長という欲望のシステムと利己主義なのである。そのような人間の醜悪さは、ドストエフスキーが描いたゾシマ長老の周辺に腐臭を放って渦巻いていたのである。

 ユトビネンコ暗殺は、ロシアという風土に突出して表出しやすい、近現代人の魂の虚無の象徴的事件なのである。それは「我が魂の凍土(ツンドラ)」であろう。
 ちなみにウォルィンスキーの「偉大なる憤怒の書」(みすず書房1970年刊)の翻訳者は、あの「死霊」を最晩年まで書き続けた埴谷雄高である。またウォルィンスキーのドストエフスキー研究の三冊は、私が左手を書棚に伸ばせば、いつでも手に取れる位置にある。
                                              

食育について

2016年02月20日 | コラム

 今から9年前の2006年6月20日に書いた一文を、またブログに掲載することにした。当時私は強くWTOを問題視していた。NHKのドキュメンタリー用に「WTOを知っていますか?」という企画書を書いたこともある。WTOという言葉はニュースに頻出していたが、その細かな内容や問題性、危険性が報道されることは皆無で、ほとんど知られていなかったのである。単なる世界的な貿易自由化の枠組み交渉…、程度だったのである。
 WTOは一頓挫し停滞したが、それに業を煮やした巨大グローバル企業は、当該政府にロビー活動を展開して圧力をかけ、WTOに代わって、2国間あるいは3カ国で、ほぼWTOと同じ内容の貿易協定FTAを結び、その協定数をさらに数カ国、十数カ国と増やしてネットワーク化していけば、WTOと同じ、巨大グローバル企業のみを利する新自由主義、自由市場原理至上主義の自由貿易協定ができるわけである。
 TPPは当初、弱小3、4カ国で進めようとしていた小さな貿易協定を、アメリカが乗っ取る形で参入したのである。そしてWTO的発想の太平洋の巨大な一ブロック経済圏協定としたのである。
 当時と全く同じで、TPPの問題点、危険性を細かく分析したり、報道することはほとんどなされていない。しかもTPPはWTOをより過激にしたものである。おそらく日本にとっては劇薬、毒薬に近い。清原が溺れた覚醒剤と等しく、一時的な高揚感はあるかも知れないが、やがて日本をボロボロにしてしまうだろう。本当にこのままでいいのだろうか? 
 さて、この一文は「食育」についてである。
 
                  

「21世紀新農政2006…」と題する、農水省官僚が書いた農政スキームをチャート化した文書を興味深く読んだ。世のジャーナリストはこれを「玉虫色」と評するのだろうが、内面の苦渋と外面の笑顔に満ちた「股裂き政策」であることは間違いない。批判はさておく。この文書は優れもので、最近読んだ活字の中では最も面白かった。

 この文書と併せて「食育基本法」なる法文を読んだ。これらは食育について企画を立てるための資料なのだが、思えば世の中は、「食育」なる概念あるいは定義を、セグメント化し矮小化しているようなのだ。
「食育」に関する専門家がいる。例えば医師や管理栄養士である。あるいは日本の食文化の研究家である。あるいは地産地消運動家である。あるいは食農産業クラスターの推進者である。
 しかし、ある一分野にセグメント化されたスペシャリストは、この世界の全体像を視界に入れて理解することに欠けているきらいがある。いわゆる専門家は、世界の全体像が把握できないのである。市場原理主義の経済学者や金融工学の専門家には、環境問題も農業問題も視野にはない。栄養学や有機農業の専門家にはWTOは視界にない。環境問題の専門家には国際競争力向上の施策や、子供の栄養バランスに関心がない。
 世の中には何事かにスペシャライズした人間を重んじる傾向がある。専門家を尊重することに関して、私は人後におちない。しかし専門家になる以前に、全体を視野に入れ、把握する能力を持ってから後、専門家となるべきだろう。
 実は「食育」とは、優れて世界を視野に入れた教育であって、ごく一分野の教育ではない。ましてや、農業全体を視野に入れることは大きすぎる問題なので、とりあえず「食育」という小さな分野を…などという程度のものではないのだ。繰り返すと「食育」とは、優れて世界の全体像を視野に入れることが可能な教科となりうる。食育は世界の全体像を教えることができるのだ。

 食育は食育基本法に則した「教育イシュー」である。地元の食材、地元の食文化を学ぶ。農林水産業の大切さ、大変さを学ぶ。ありがとう、いただきます、もったいないを学ぶ。食べ物、栄養バランスの大切さを学ぶ。農水産学校の活性化の問題もある。

 食育は「健康イシュー」である。予防医学は食から始まるのだ。安全な食品の問題もある。当然、栄養バランスの問題でもある。キレる子供、学級崩壊の問題は、栄養バランスの改善で、ある程度は治癒できるのだ。

 食育は「環境イシュー」である。美味しい水は豊かな森から生まれ、それは厖大な保水力を持つ。豊かな海は豊かな森が育てる。豊かな河川や湖沼も同様である。田圃は膨大な貯水力を持ち、多くの小生物を養う。鳥も飛来する。豊かな自然があって、その地に特有な多様な動植物が保たれる。本来自然界にはゴミは存在しない。そこからゼロエミッションと産業クラスター構想が生まれる。口から摂取される環境ホルモンの問題もある。「奪われし未来」もテキストとなるだろう。

 食育は「社会イシュー」である。この社会イシューの概念には、地産地消、地域経済と地球経済システム、食糧自給率、食糧安全保障、フェアトレードと南北問題が含まれる。
 地産地消。農林業、水産業、食品加工業を核に地場の産業クラスター化サイクル。バイオマス燃料を含むバイオマス産業、飼料産業、肥料産業、ユビキタスのトレイサリーシステム(これは情報産業と言えるだろう)、ユビキタスチップ製造業、生物分解可能プラスチック産業、排熱・排水利用…。これらは地方に雇用の創出をもたらす。
 しかし、例えば地産地消運動は、WTO的な見地に立てば「非関税障壁」であり、行政が地産地消運動に補助金を出せば、明らかにWTO違反となる。例えば森林の保全のために、間伐や下草刈り等の人件費に補助金を支出すれば、これもWTO違反となる。海外の木材輸出業者にとって、それは不公平な補助金と見なされるのである。それを食育においても伝えなければならない。
 食育はWTOと貿易の自由化の犠牲となる農林水産業、食の安全を問題にしなければならない。国際政治と国際経済を知らなければならない。新しい地球経済と地域経済の有り様を模索しなければならない。フェアトレードについて再論しなければならない。国際競争力向上と、経営効率(産業クラスターサイクル的)を考究しなければならない。「なぜ世界の半分が飢えるのか」「バナナと日本人」「エビと日本人」「アップサイジングの時代」「フェアトレード」は優れたテキストになるだろう。
 食育は子供たちに、自分の健康と、自分の周りの地域と環境と、世界の全体像を教えることができる優れた教科となり得るのだ。