備忘録を兼ね過去に訪れた巨石や神社などを紹介して行くシリーズ。(いつからシリーズ化した!?(^^;)
今回は、2010年10月に訪れた栃木県足利市名草に鎮座する名草厳島神社と境内の磐座。そしてかつての元宮だった石宮のある国指定の天然記念物“名草の巨石群”の紹介です。
参道石鳥居 駐車場より小川と並行して続く薄暗い参道を歩いて行きます。
突き当りが名草厳島神社になります。
拝殿内より本殿を望む
祭祀:市杵嶋姫命
由緒:
弘仁年間弘法大師空海によって勧請されたと伝えられ、江戸時代中期には別当である金蔵院によって巨石の上に石宮、 後に弁財天像(現在も金蔵院弁財天堂に祀られる)が造立されました。江戸時代の祭典の際には、弁財天を運び祭礼を行っていましたが、明治維新の神仏分離により、 厳島神社となり平成元年新たに弁財天を造立しました。
鎮座している名草巨石群は国指定の天然記念物です。
足利七福神めぐり社寺の一つで弁財天<福徳財宝・家内和合>の神社です。
(こちらより引用)
境内にはおびただしい巨石群が累々と点在しています。
中でもひときわ異彩を放っているのが社殿前から橋を渡ったお供え型の巨石です。
御供石 胎内巡りが出来ます。
こちらは、弁慶の割石
背面より
最近では、鬼滅の刃の一刀石として、話題になっていました。
現地で気づいて訪れた方たちと話題になっていたのですがこの巨石。人の横顔に見えませんか?
人為的に割ったのでしょう。楔を打ち込んだ跡が残っています。
当時参加された方から「プロビデンスの目」だ!と、話されていた記憶があります。単に形が似ているだけであって根拠など乏しいのが巨石愛好家には多い様に思えます。(^^;
さて、ここから更に奥へ分け入ると天然記念物の“名草の巨石群”となります。
案内板
中央の祠が元宮の巨石となります。
見事な切断面 片割れは何処に行ったのでしょう!?
名草厳島神社元宮 かつての「石の宮」と由緒伝える元宮です。
背後から4つに割れた巨石で構成されているのが分かります。
苔むされた巨石 いつ頃の時代よりこの地に存在していたのでしょうか?
このような光景がずっと続いています。
「この石はどこからか来たのではなく、ここで出来た。」と、語る地元の研究家がいるそうですが…。
花崗岩の大きな塊が外側から風化していき、中心部が残ったものだそうです。
かつてあった大規模な土石流で運ばれて来たと考えるのが一般的であると思うのですが…。
周囲をも渡すとこの辺りは深い谷となっているので、それを裏付ける確たる証明となるとは思うのです。
更に累々と続く巨石群 ただ、ただ圧倒されるばかりです。
石切の加工処理が途中で放置されたもの
杯状穴のある巨石がありました。
かなり深い杯状穴です。ここより東へ200m行った場所に「名草川」がある事から、やはりかつてあったと思われる大規模な土石流がこれらの巨石をここに運んできたものと思われます。
現地へ赴くとわかるのですが圧倒的な巨石からの威圧感といいますかここでは、誰もが独特の気を感じ取ることが出来ると思います。
いわゆるパワースポットであるとも言えます。
ここより北へ40キロほどに男体山が聳えますが中禅寺湖を通った龍脈の直上に名草の巨石群がある事になります。
やはり気の溜まりやすい場所でありそんな場所に石宮を鎮座させのも道理至極であると言えるでしょう。
(撮影:2010-10)
お断り:例によって、2010年当時の情報となります。当時とは異なる事が想定されますので(巨石の場所は変わりようがありませんが…。)訪れる際には、事前に調べて頂き記事は参考程度とお考え下さい。
【マップ】
自然が作り出した巨石・巨木などには、見えないパワーを感じますね。是非行って登って触れてみたいです。
全国の色々な巨石を見て回っておりますがここは、他とは違う独特の雰囲気を感じ取ることが出来ます。是非一度訪れる事をお勧めします。