響けブログ

音楽コドモから「音楽コドナ」へちょっと進化。ドラムとバイオリンと小鼓を弾く、ヒビキの音楽遍歴。

ヒビキ・ロボット、発進。

2008-09-04 | コレクション
そういえば先週のサタデー・ドラムレッスンで、ちょっとしたハプニングがあった。現在ヒビキは、クラシックイタチにはもはやどうなっているかわからない、片手で2回ずつストロークして、スローから速い二つ打ちへとグラデでテンポアップするという練習と、1曲の中にハイハットのオープン・クローズの入ったパターンと、なんだかたいへんなフィルインのある練習曲をやっている。このうち曲のほうはいつものようにメトロノーム代わりに後ろに曲が流れていて、それに合わせて叩く次第なのだが、ヒビキが途中で間違えて「ああ」という顔を先生に向けるので、先生が音を止めようとして、いつものようにリモコンを採り上げると、ヒビキに向かってボタンを押したのである。

「間違えてヒビキくんに向かってリモコン押しちゃった」

と先生。まるでヒビキがドラムを叩くロボットみたいでおもしろかった。もっともあとでヒビキに聞くと、聞いていなかった、知らない、という。

そんなことがあってから家に帰って、ヒビキが昔の話を聞きたがるので、いろいろ話してやる。というのもヒビキは「昭和タイムズ」という雑誌が大好きで、本屋さんでよく立ち読みしているのを見かけるのだ。印象に残った古い写真や記述を断片的などを頭の中で手がかりにしていて、大人の会話のはしばしを捉えて質問してくるのだ。たとえば、こんなふう。

「じゃあ、ママは拾円札を使ったの?」
「関東大震災の時は東京に住んでたの?」

そう、コドモにとって「歴史」が途方もないヒミツに思えるのは私にもおぼえがあるけれども、ただし、そうやって自分の手で組み上げる「昔」は、どれくらい昔かというのがめちゃくちゃなのである。

まあ、あらかじめ何も知らないわけだから、話の内容によって昔の出来事のように思えるものと、比較的最近のように思うものがあって、なんとなく勝手に順列がついてしまうのも無理はない。そのように伸縮する時間軸に、私と祖母、その母というスケールがまたちぐはぐに重ね合わされる。さらに、たとえば太平洋戦争の話では人々がインターネットを使っている前提になっていたりというような問題もあったりするもんだから、私たちの「歴史の話」は毎度大混乱するのである。

だからそういうことのないように年表というものを用意して、ヤマカワの歴史地図というものを用意して、とクラシックイタチはすぐに思ってしまうのだが、それではほんとにロボットになってしまう。いや実際、歴史の話をコドモにするというのはかなり難しいことを先ほども実感しました。「不可侵」とかさ、「戦争の始まりはいつか」とかさ、

「戦争はさ、さあ始めますよ、って相手に言ってから始めるの?」

どーすんのよ、なことばかりである。

とはいえ、そこを楽にやろうというのは、大人のさぼりである。大人にも間違いはある。がんばれクラシックイタチ。なんて、いや、ほんと。歴史の話ってたいへんなのだ。とほ。