なぜか前回は別の話題にそれてしまったが、ふたたび「いけいけ、ドラムキッズ!」の話題。
前々回書いて突然気付いたのだが、そうなのだ「キッズドラマー」じゃなくて、最近増えているのは、この「ドラムキッズ」だというのがふさわしい。
ドラムキッズの中から将来のドラマーが生まれてくるわけなのだが、キッズドラマーのほうはむしろ特殊で、コドモなのにすでに大人扱いされてステージに立つコドモというわけである。
このドラムキッズという感覚が普及すると、赤ちゃんなのにドラムが叩けたりして「おっ、この子は将来……」なんていちいち言われなくて済む。コドモのほうだって「ドラムキッズだからさー」なんて気楽にアイデンティテイ形成に貢献できる。
ヒビキの場合はどのへんを想定しているのかというと、ここまでレールを敷いておいてなんだけれども、ちょっとどちらとも言えないところがある。なにしろ練習しないでキッズドラマーというのはありえないでしょう。というわけでクラシックイタチから見ると、これは明らかにキッズドラマー落第ということになる。
しかし一方で、ヒビキの本番でのまじさ加減はとてもドラムキッズというような生やさしさではない。ステージへの気合い、練習での喜び方、ステージでの演奏を後からちゃんとトレースできるところ、そしてなにより本番でのみてくれ、きいてくれぶり。こういうことはもしかすると教えられるのかもしれないが、クラシックイタチやジャズうさぎ(夫ですね)には教えられない。夫にもステージ度胸のようなものはあるが、ヒビキのは、それとはまったく違うものだ。
このようにだんだん大きくなってくるにつれて、アイデンティティとか、コドモなのにまるで何か賭けているかのような澄んだ意識とか、そういったものがキッズ独得にからみあってくる。
しかし、ではもっと小さい時はどうだったのか、というあたりから、次回は振り返ってみようと思う。
前々回書いて突然気付いたのだが、そうなのだ「キッズドラマー」じゃなくて、最近増えているのは、この「ドラムキッズ」だというのがふさわしい。
ドラムキッズの中から将来のドラマーが生まれてくるわけなのだが、キッズドラマーのほうはむしろ特殊で、コドモなのにすでに大人扱いされてステージに立つコドモというわけである。
このドラムキッズという感覚が普及すると、赤ちゃんなのにドラムが叩けたりして「おっ、この子は将来……」なんていちいち言われなくて済む。コドモのほうだって「ドラムキッズだからさー」なんて気楽にアイデンティテイ形成に貢献できる。
ヒビキの場合はどのへんを想定しているのかというと、ここまでレールを敷いておいてなんだけれども、ちょっとどちらとも言えないところがある。なにしろ練習しないでキッズドラマーというのはありえないでしょう。というわけでクラシックイタチから見ると、これは明らかにキッズドラマー落第ということになる。
しかし一方で、ヒビキの本番でのまじさ加減はとてもドラムキッズというような生やさしさではない。ステージへの気合い、練習での喜び方、ステージでの演奏を後からちゃんとトレースできるところ、そしてなにより本番でのみてくれ、きいてくれぶり。こういうことはもしかすると教えられるのかもしれないが、クラシックイタチやジャズうさぎ(夫ですね)には教えられない。夫にもステージ度胸のようなものはあるが、ヒビキのは、それとはまったく違うものだ。
このようにだんだん大きくなってくるにつれて、アイデンティティとか、コドモなのにまるで何か賭けているかのような澄んだ意識とか、そういったものがキッズ独得にからみあってくる。
しかし、ではもっと小さい時はどうだったのか、というあたりから、次回は振り返ってみようと思う。