森のガーデン ロンド

長野県小諸でガーデニング

3日ぶりに病院へ

2006年04月29日 | 出来事

 時間の都合がつかず、3日ぶりに病院へ行く。
 丁度夕食が終わった後で、母はベッドに腰掛けていた。気分がよかったらしくいくらか饒舌だった。昨日のことや一昨日のことを思い出しながら次々と話した。
 雷の日にラッキーのことが心配で、父に自分のことはいいから早く帰ってくれと頼んだこと。東京に出てきて最初に友達になったSさんがわざわざ八王子の西寺方からお見舞いに来てくれたこと。毎日付き添ってくれている父のことをありがたいと思うが、看護婦さんに自分の目の手術のことばかり延々と語っていて恥ずかしくて困ったこと。お腹の膿を管で取り出すのに時間がかかること。看護婦さんたちに優しくしてもらっているので嬉しいこと。
 退屈しているかと思っていたが、結構刺激的な日々のようだ。
 ひところの気弱な状態は、すっかりなくなっていた。
「もうこんなによくしてもらっているので、家に帰ったら1年も生きれば十分やわ」
といかにも満足そうだった。
 手術前は3か月から半年、手術後は2、3か月と担当のS先生から聞かされていたので、すぐには言葉を返せなかった。
(飼い主)

激しかった雷鳴

2006年04月25日 | 出来事

 日中の激しい雷鳴は、ラッキーを恐怖のどん底に落としたようだった。
 今日は家族が誰も家にいない日だった。父はいつものように午前9時頃に病院へ向かったはずだ。きっとラッキーは庭につながれたままだろうと思っていたが、やはりそうだった。
 病院にいるときに雷があまりにもすごいので、母が心配して父に帰宅を促し、父も早めに戻ったとのことだった。帰って真っ先にラッキーの様子を見ると、ラッキーは恐怖心から土を掘ったり玄関脇にある壊れた石灯籠をぐるぐる回ったりしたらしく、首を石にくっつけ身動き取れない状態で苦しんでいたと言う。
 本当にかわいそうなことをしてしまった。
 天気予報で雷が鳴るときは、いつもは家の中から出さないようにするのだが、今日は私も油断してしまった。父も、家を留守にするから閉じ込めるのは可哀想だと考えたのだろう。
 ラッキーのためと思ってしたことがすっかり裏目に出てしまった。
 夜、タオルをぬらして体を拭いてやる。黄色く汚れたタオルは洗っても洗っても濁った水を流した。
(飼い主)

ストレス

2006年04月19日 | 出来事
 このところラッキーは元気がない。家の様子がいつもと違っているので、ラッキーの1日のリズムも乱れがちだ。ストレスがたまったせいか鼻の上の部分の毛が抜けてきた。
 以前、八王子から町田に引っ越してきた時もそうだった。環境の違いで不安が募ったのだろうか。鼻の上部の毛がすっかり抜け落ちたことがあった。
 先日、姪の子どもが来たときの興奮振りを除けば、いつも疲れたように横になっている。
(飼い主)

希望が湧いてきた

2006年04月18日 | 出来事

 今日は高齢者福祉課のTさんと病院の医療相談室のNさんから連絡が入る。いずれも介護に関することであるが、対応の早さに感心した。昨日も地域包括支援センターからの連絡で、母の様子を見に来られた方があったようだ。
「よくわからんかったけど、何やらいろいろ声をかけてもらってね」
と母は喜んでいた。
 病院もそうだが、病んで弱い立場に立ったとき、素早い対応は何よりの薬だと感じた。そこに心のこもった声かけや支えがあるから病人も前向きに頑張ろうとする。食事はとりたくない、車椅子で移動するのもいやだと言っていた母が、この頃はすっかり素直になっている。親切な人たちに囲まれてありがたいとも言う。
 退院に向けての動きが見えてきたので、いっそう希望が湧いてきたのだろう。
(飼い主)

要介護認定の申請

2006年04月16日 | わが家

 介護保険のサービスを受けるために地域包括支援センターに行く。私の地域のセンターは「ふれあい桜館」という名前がついている。1回の事務室を訪ねると、介護支援専門員のNさんという方が相談に応じる。まだ若い方だ。
 そのNさんから、申請の仕方、調査のこと、審査し認定されるまでのこと、そしてサービス計画作成までの見通しについて、丁寧に話していただいた。これまで介護保険についてじっくり考えたことがなかったから、大変勉強になった。しかも担当される方は利用者の立場に立って対応しようという姿勢を強く持っているので、不安を抱えている利用者側にとっては本当に心強くありがたいことである。
 認定までにはおよそ1か月かかるとのことで、ぼんやりしていたことを反省させられた。ともかく申請を終えたので、後は認定を待つことになる。
(飼い主)

忙しく時間が過ぎた

2006年04月15日 | 出来事

 午前11時に、病院のS先生から母の病状と今後のことについて説明を聞くことになった。そこで、その前に地域包括支援センターに出向いて介護サービスの利用について相談しようと考えた。
 ところが、愛知県の豊川にいる妹が姪と孫を連れて見舞いに来るという。私の方は、もう20年以上も会っていないので是非来るようにと伝え、相談の方は後回しにした。
 妹たちが着いたら、淵野辺駅で合流し、一緒に病院に行くことにしたが、一向に到着しない。結局、妻が自宅で待機し、私が先病院に行っている父と一緒にS先生の話を聞くことになった。

 今日は、正午から世田谷の烏山小学校で百周年祝い合った元同僚の皆さんとの会合があり、久しぶりに出席できると楽しみにしていたが、止む無く幹事のT先生のお宅に欠席の電話を入れる。以前にも直前で欠席したことがあり、申し訳なく思った。

 S先生の話から、回復が遅れていることが分かった。一度のどに痰がつまり、吐き出そうとしたときお腹に力が入り、縫った傷口が裂けたとのことだった。また、前夜は午前2時ごろ不整脈のために4人がかりで治療に当たったということもわかった。
 そういうことから退院は先のことになるが、介護の仕方と介護サービスの受け方について丁寧に説明をしていただいた。

 妹たちが到着したのは1時を過ぎてからだった。駅まで迎えに行き、家で一休みをしてから病院に向かった。
 母はよほど嬉しかったのだろう。孫の男の子(3歳)を見るなり「あれ、ルイじゃない」と声を出し、立て続けに話しかけた。いろいろと昔の話も続いた。妹と姪はすっかり聞き役になっていた。

 妹たちは泊まらずに帰って行った。明日はサッカーやっている上の二人の孫たちの試合があるとのことだった。

 ただ忙しく時間が過ぎた。久しぶりに妹や姪に会ったというのにゆっくり話もできなかった。
(飼い主)