境川で悠々と泳ぐ鯉を見た。
随分大きくなったものだ。
ともかく鯉が生きられる川ではある。
善意が彼らを大きくしたと言える。
餌になっている生き物たちのことを考えてみる。
彼らにしてみれば、恐ろしい存在だ。
このままでは、食べつくされるに違いない。
そうなれば、やがて鯉たちも飢えていく。
本物のビオトープになるように、やはり人の手入れが必要なのだろう。
鯉たちはそれを教えようとしているかのようだ。
このところラッキーの元気がない。散歩の時を除けば、ほとんどぐったりしている。病気のようには見えないが、体調がすぐれないようだ。
子犬の時から食べることにも勢いがなかったので、判断が難しい。弱々しい目つきでだらしなくのびていても、来客などがあるとパッと飛び起きて愛想を振りまく。でも何となく体に張りがあるからこれまでは心配しなかった。
今は、少し感じが違う。車のキーを見せてもじっとして動かない。6月に8歳になるが、歳のせいというわけでもなさそうだ。
(飼い主)
今日は、朝からいくつか予定していたことに追われてあわただしい1日となった。
汚水浄化槽の清掃(年内でしなければならない本下水に繋げる工事のことも気にしつつ)。
病院に父を送り、すぐに帰って前日の研究会のまとめ、研究会のブログの更新をする。
住宅に関する介護サービスの利用についての検討。ケアマネージャーのIさんと住宅改修業者のEさんが来訪。介護サービスの利用についての最終確認をした。介護の状況を想定しての家の中と外回りの調査(当初、和室・ダイニング・廊下等の段差の解消を考えていたが、今までの生活で馴染んでいたことを踏まえて、すべて手すりの取り付け方を工夫するのがベターだと助言を頂き、即決)、家の中で5か所と玄関から家の前の道路に出るための手すりを取り付けることにした。
地震保険の再加入の手続き。そして退院のため病院へ迎えに。
3月24日に入院してから52日目を迎えての退院となった。
母は、連休が明けたら退院だと聞かされていたのに引き延ばされ、不満そうだったが、退院後の生活を少しでも楽にするように、毎日歩くことと人工肛門の扱いに慣れることを頑張ったのだという。その効果があって一人で結構歩けるようになっていた。慌てて退院しなくてよかったのだ。
また、最近になって入院してきた隣町のHさんという方と親しくなったとかで、寝たきりに近い患者さんに囲まれ意気消沈していたひところとは大違いの明るさが感じとれた。
病室を出るとき、Hさんは不自由な体を押して廊下まで見送りに。
「退院したらまたお会いしましょうね」
と母の背中に声をかける。
ナースステーションで看護師さんたちと挨拶。あふれる笑顔と温かい励ましの言葉に包まれる。看護師の皆さんの労を厭わない温かい支えには本当に頭が下がる。素晴らしい仕事だと思った。
打ちひしがれていた入院時、「南無阿弥陀仏とお経を唱えたら、痛みが取れて楽になった。もうこれでいいわ」と、すっかりあきらめたようなことを言っていたのに、そんなことがまるでなかったかのような喜びと希望に満ちた退院時の顔だった。
帰ってから、先週手がけた「捨てる!」生活の実践のため、ゴミ袋を手に少し片づけをする。5時半ごろ、ちょっと気になっていた大相撲を見ているうちに居眠りしたらしい。妻の「ご飯ですよ!」の声で眠っていたことに気がついた。続いて「早く来て!」という大きな声で完全に目が覚める。8時近くになっていた。
(飼い主)
辰巳渚さんの『「捨てる!」生活』を読む。
「物に対する考え方をちょっと変えただけできれいに片づいた部屋で暮らすことができるのです」
(そうかな?)と思いながら読み進める。面白かった。
そこで実行に移すことにした。
先ずは、「使える」「使えない」で分類。分かりきったことだけれど、これだけでも結構はかどる。次に、「使える」ものの再点検。ここがポイント。なるほどと思った。
・「判断がつかず、迷う」物は捨てる
・「使い切った」と思えたら捨てる
・「適量」以外は捨てる
・「好き」な物以外は捨てる
いるものはとっておき、いらないものは捨てる。これを一義にすると、収納についての考え方が変わってくる。
これまで、「いつか使うかも」「値打ちのあるものだから」「思い出の品だから」と、とってあるものに囲まれて暮らしてきた。
「ストレスがたまるから嫌!だからA型は困る」と血液型のせいにしてO型の妻はポイポイ捨てる。大事な書類など今までに何回捨てられたことか。
でも、妻には「捨てる原則」がなかった。
今日はまだ一部だが、休みの日だったので片付けに熱中した。捨てるものを分別して車に乗せ、清掃工場へ運んだ。粗大ごみもあったので3500円かかった。
次は来週の月曜日にしようと考えている。
(飼い主)