最近、「奇跡」という言葉が私の周りを飛び交います。はい^^ 昨日は虹。今日は奇跡について。
ご案内のお手伝いをさせて頂いた「ガンサバイバー・ホノルルマラソンツアー」の杉浦貴之さんの文章の中にも、この「奇跡」という言葉がありました。そして大ファンである米倉利紀さんは、私にとって奇跡の歌声です。
でも、日常こそが奇跡の連続であって・・・例えばこの続く猛暑。夕刻近くになり、ふと窓から入ってきてくれた風を感じたとき、この有難さは奇跡のようなもの。電車の中で、ふと目が合った子供の笑顔も、奇跡。
奇跡とは、「大」きな「可」能性が「跡(あと)になった」と書きます。実は、突然に神様から授けられた突拍子もないギフトではないのだと思います。奇跡とは、積み重ねてきたこと、信じてきたことの「結果」ではないでしょうか。他には、顕在意識では分かっていずとも、潜在意識下で絶対的に信じていることがあって、それに基づいた行動の結果・・・という場合もあるかもしれません。
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自分の「大きな可能性」を「跡にしたい」と願っている方は沢山いらっしゃると思います。でも、この大きな可能性を跡にするためには、自分だけでは完成しないと思うのです。先日書いたこの記事↓とも類似しますが。
不完全な世界、不完全な宇宙
宇宙も自然も、私たち自身も、分子など物理学観点でも、相互に作用し引き合って、互いを生かし合って、それぞれが進化途上の命として過ごしています。物質となります。創造します。
そして「大きな可能性が跡になる」ような出来事は、一見すると、無から有が生じたようなドラマティックな一件に見えるのかもしれません。けれども、これは私見ではありますが、無だから有です。無であるとき、有の種が育っており、無に向かうとは、同時に無限であることだと私は考えます。
そして無限であっても、それでも不完全。しかし、そろは不完全という完全。自分以外の何かを受け容れ、陰陽和合の如く創出する。それが私たちが奇跡と呼ぶものの、一つの成り立ちなのではないかと思います。
誰かが誰かの大きな可能性を支えている。応援している。何よりも、そうでなければ跡にならない。私の大きな可能性の数々も、私だけで跡になった訳では、断じてなかった。
どうでしょう。誰かの大きな可能性を跡にすることを始めてみませんか?現実的にお手伝いできるのは素敵なことですし、その人の大きな可能性を信じ切ることは、底なしに素晴らしいことだと思います。そして跡を生むような人の思いとは、無の気持ち、無私から発するエネルギーなのかな、とも思います。
あなたの発した無私の気持ちが、その人の大きな可能性を跡にします。それは、今度あなた自身を有にし、あなたの大きな可能性を跡にしてくれる誰かの思いを引き寄せます。この連鎖が今だけでなく、次世代も、その次の世代もずぅっと続いていけば嬉しいと思うのです^^
今日も最後まで読んで下さって、ありがとうございます☆
今日も皆さんの一人ひとりが、安らぎと勇気を両手に信じられる一日でありますように。
ご案内のお手伝いをさせて頂いた「ガンサバイバー・ホノルルマラソンツアー」の杉浦貴之さんの文章の中にも、この「奇跡」という言葉がありました。そして大ファンである米倉利紀さんは、私にとって奇跡の歌声です。
でも、日常こそが奇跡の連続であって・・・例えばこの続く猛暑。夕刻近くになり、ふと窓から入ってきてくれた風を感じたとき、この有難さは奇跡のようなもの。電車の中で、ふと目が合った子供の笑顔も、奇跡。
奇跡とは、「大」きな「可」能性が「跡(あと)になった」と書きます。実は、突然に神様から授けられた突拍子もないギフトではないのだと思います。奇跡とは、積み重ねてきたこと、信じてきたことの「結果」ではないでしょうか。他には、顕在意識では分かっていずとも、潜在意識下で絶対的に信じていることがあって、それに基づいた行動の結果・・・という場合もあるかもしれません。
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自分の「大きな可能性」を「跡にしたい」と願っている方は沢山いらっしゃると思います。でも、この大きな可能性を跡にするためには、自分だけでは完成しないと思うのです。先日書いたこの記事↓とも類似しますが。
不完全な世界、不完全な宇宙
宇宙も自然も、私たち自身も、分子など物理学観点でも、相互に作用し引き合って、互いを生かし合って、それぞれが進化途上の命として過ごしています。物質となります。創造します。
そして「大きな可能性が跡になる」ような出来事は、一見すると、無から有が生じたようなドラマティックな一件に見えるのかもしれません。けれども、これは私見ではありますが、無だから有です。無であるとき、有の種が育っており、無に向かうとは、同時に無限であることだと私は考えます。
そして無限であっても、それでも不完全。しかし、そろは不完全という完全。自分以外の何かを受け容れ、陰陽和合の如く創出する。それが私たちが奇跡と呼ぶものの、一つの成り立ちなのではないかと思います。
誰かが誰かの大きな可能性を支えている。応援している。何よりも、そうでなければ跡にならない。私の大きな可能性の数々も、私だけで跡になった訳では、断じてなかった。
どうでしょう。誰かの大きな可能性を跡にすることを始めてみませんか?現実的にお手伝いできるのは素敵なことですし、その人の大きな可能性を信じ切ることは、底なしに素晴らしいことだと思います。そして跡を生むような人の思いとは、無の気持ち、無私から発するエネルギーなのかな、とも思います。
あなたの発した無私の気持ちが、その人の大きな可能性を跡にします。それは、今度あなた自身を有にし、あなたの大きな可能性を跡にしてくれる誰かの思いを引き寄せます。この連鎖が今だけでなく、次世代も、その次の世代もずぅっと続いていけば嬉しいと思うのです^^
今日も最後まで読んで下さって、ありがとうございます☆
今日も皆さんの一人ひとりが、安らぎと勇気を両手に信じられる一日でありますように。