この写真は、今まで撮った空の写真の中で2番目に好きな写真です(笑)
じゃ、1番目は?というのは・・・また次の機会に^^ まぁ旧ブログにはアップしております。
なんかですね、旧ブログは2年半前に始めたのですが、今読み返すと自分でも思うのが、
感受性は、あの頃が圧倒的にみずみずしいですね(汗)
負けとれん!と思いました(笑)
半分、冗談で。
あの頃はあの頃で、今は今で、
長点、欠点含めてそれぞれに個性があるとは思うのです。だから、今この時に書き得れるものを残していければと思います。
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ベーシスト沢田泰司さん死去の件、時間だけが過ぎてゆき、泰司さんの死が不可解なまま人々の記憶に埋もれていく。悲観的な見方をすればそうなります。しかし、それでも謎が多すぎるという思いが、どうしても払拭できません。
これはTAIJIさんの辿った波乱万丈で数奇な人生によるものなのでしょうか。
未だ整理が出来ていないにせよ・・・
「いろんなことが分からない」という気持ちにさせられてしまうのです。
伝えられている彼の人生の軌跡も、サイパンへ向う機上で、そしてサイパンでの報道された一連の出来事も、
私からすると沢山の糸が絡まっていて、それがいつの間にか注意力を散漫とさせ、このことに目を向けようとする人々を混乱に陥し入れるような・・・結果として「いろんなことが分からない」という気持ちにだけに到達させられるような、本当に形容し難い思いを、今でも整理できずにいます。
うーん。
今日はこの辺りで。。。
さて最後に、今日は本の一節を引用して、このテーマについて少し書き添えたいと思います。
まだ最後まで読み終えていませんが。。。
『死について』ルドルフ・シュタイナー 、つい勢いで購入した本ですが、亡くなった方、特に若くして亡くなった方の死後の魂やエーテル体(生命を維持する、身体のすぐ外側にあるエネルギー体)について多くのページが割かれてあります。
死後の世界や、死後辿るべき霊界。
そこで見るもの。果たして、そして死者は何を感じているのか。
勿論そういった内容も書かれてありますが、私が驚いたのは(まだ丁度、半分読み終えたばかりですが)、繰り返しますが「若くして」この世の去った人たちについて書かれてあることです。背景には、ときは第一次世界大戦、若者が戦争で次々と亡くなっていった時代だったということもあると思います。
「彼岸と此岸の断絶は、先ず神秘学の分野で橋渡しされなければなりません。ですから繰り返して、次のように訴えかけざるを得ないのです。----私たちは、大切な時を共に過ごしてきたという意識を、この世の時とまったく同じように、死者に対しても保ち続けようと。」
「人間のエーテル体は、どんなに長生きしても、人々に生命力を供給し続けることができます。人間が若くして死の門を通ると、高齢になるまでこの世で提供できた筈のエーテル体の力は、使われずに残っています。」
「しかしこのエーテル体は、存在し続けて、神秘学を学ぶ人々が、この未使用のエーテル体の存在しているところへ憧れの眼を向けるとき、人々に協力することのできる力となって返ってくるのです。」
「その時、私たちがその人の役に立てるのは、その人が生前、私たちにとってどんな人だったのかを考えるときなのです。その人自身の性格を特徴づけるような思いをその人に送るのです。この世を去った人たちに、いわばその人たちの本性についての私たちのイメージを送るのです。」
今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました。
今日も皆さん一人ひとりが、優しさと暖かさに包まれる一日でありますように。