自分でより良くなろうとする、自分で治そうとする。いかなる自分の感情もOK, 他者承認も必要と自分に許すことも含めてそのスイッチが入ることがすべて。それは望む結果を確約するものではないけれど、ただ「今考え得る結果」に到達しないだけ。誰もがもっと豊かで、想像を超えた結果を手に入れる。
世の中は理不尽で、説明がつくことなんて全体の半分もないと思う。でも、自分の人生に対し自分の態度を決めることには、何者も立ち入れられない。また、理不尽の説明を待っていたら人生が終わる。
@SN79TAKA そうでしたよね。ネットもメールの動かなくてあれ~?って思いました。
20歳代、最近「さとり世代」と呼ばれている彼らは、エンターテイメントより絶望や狂気を求めているのだろうか・・・と思うときがある。その孤高の果てに見える美や叡智。それら求める欲求は(それが潜在的であったとしても)私の世代よりもっと激しいのかもしれない。しかし、薬にも毒にもなる欲求。
全ては自分の内側の投影である以上、孤高の果てを求める欲求と、内なる未浄化の想念がマッチするといとも厭世的に傾く場合がある。ここに世代の違いはない。薬にも毒にもなるとはこういうこと。
@Rtsune こんばんは!そうですね。心理的に言えば、また私の場合、こう思ってきたから、それが現在の自分を作ってきた→それが悪かった。という風に「解決」を目指すときに全受容の実践をスコーンを忘れてしまいます。そういうものこそ認められると、大きな自分の強みになるのですけど。
物質は溢れてる。刹那的な欲求は、いつでも、いくらでも満たせる。それで問題がないなら、救いや喜びを求めようとはしないだろう。どんなに進んでも見えないから明かりを求める。そして、自分が光を発する他に、明かりなどどこにも存在しないということを嫌というほど思い知らされる。
Loudness - King Of Pain [2010]: youtu.be/ALOlrsZfJgE @youtubeさんから