表面的に表れる数値はともかくとして、摂理は、プラスマイナスゼロなんではないだろうか。
飢餓感、不安、叩きつけるような怒り、その下層にある痛み、選民意識、無関心、思考放棄の結果、手に入っているのが、お金という交換ツールなら。それがお金を解釈する上での前提なら。
最近、今まで見たことがないような夢ばかり見る。内容は、緊迫してない、間抜けなものです。登場人物と脈絡がなさすぎて、夢解きしようとも思わない。このように、自分の解釈へ意識がフォーカスしないのはいいなぁと思う。私などは特に、何でも納得したがる生き物だから。
してもいいししなくてもいい。見てもいいし目を背けてもいい。自分の思いや、外界の影響に偏らず、どの方向にも柔らかくしなやかに、ひと手間を厭わず寄り添える芯みたいなもの。それがいいのかな。探さなくても、必要なものは都度目の前に反映されるから。そこに厭わず寄り添える芯みたいなもの。
と言うよりも・・・おそらくは、自分が反映させているから。
自分から行くもの、外から向かってくるもの、等価交換である。
人も、ものも、交流も、関係性も。等価交換。ただし、ここでの等しさは、どういう等しさなのか、そこは神のみぞ知る部分であろうかと思う。