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傾聴3 水面の月

2012-01-18 02:18:28 | 心理学
傾聴

お相手の気持ちに寄り添う。
聴き手自ら心を開いて、お相手の心の襞(ひだ)に沁み込んでいた思いを優しく浮かび上がらせる。

「傾聴」について、以前も2つ書かせて頂きました。
よろしければ下記2つもお読み頂ければ幸いです^^

傾聴1
傾聴2 オープン・ハート 許しと裁き



ただ、傾聴は「聴く」テクニックや心の在り方であることは確かだと思いますが、お相手の気持ちを「分かろう」とすることとは一線を画すものではないかと思うようになりました。勿論、「分かろう」「分かりたい」という聴き手の真摯な思いがなければ、傾聴によるお相手の心の解放、癒しは成り立たないのも又真実と思います。

しかし、その方(お相手、話し手)が持たれている、持ち続けてこられた思いというものは本当に様々で、傾聴をはじめとする心理療法など何一つ助けにならないのではないか・・・と、聴き手側が打ちのめされてしまうときがあるのも事実です。そのような時に(これは多分に私の個人的解釈ですが)、気持ちを「分かろう」「分かりたい」というのは逆効果の場合が多いのではないかと思うようになりました。

「この気持ちは、誰にも分からないよ」
「あなたに、何が分かるっていうの?」

こういう気持ちのときって、こういう思いを持ち続けるときって、あると思うんです。
そして、それは、とてつもない深い悲しみだったり、長い苦難の果ての(又は現在進行形の)気持ちであるが故に、一つの完成された宝石、芸術品ではなかろうかと私は思いました。しかしながら、その方にとっては、それがどんなに美しく崇高なものであっても、好きで持ち続けたものでなかったものでしょう。結果的に(今、現在分かり得る「結果的」でなくとも)それは、持ち続ける意味が確実にあったとしても・・・。

このように「他の誰が分かるっていうの?」という気持ちは姿を変えて、一つの完全な芸術品として、その方の心にシン・・・と静かに存在しているのだ、と感じてしまうときがあります。

それはまるで、月の輪郭を寸分ぶれずに映し出した静寂の水面のようです。
その方が、努力して努力して、そのような完全な芸術にされたのです。そのような場所に、聴き手が入り込むものではないと思いました。

水面に映った月を揺らすのは、その芸術を創り上げられたその方、唯お一人だけです。


お相手の話を聴こうと、お気持ちを分かろうする気持ちは十分なのに、何故か双方の空気が溶け合わず、聴き手だけが前のめりになってしまっているように感じたときは、お相手の領域に「入りすぎている」からかもしれません。その時は、この「水面の月」が聴き手の介入によって揺れてしまってないか、月の輪郭を崩してしまっていないか・・・鏡のような静寂の水面、そしてそこに映った月。そのイメージで一度試してみて頂ければと思います。

月が揺れているイメージが出てきたのなら、お相手の領域に踏み込み過ぎか、ご質問など、介入する際のお断りを忘れていたのかもしれません。そのように、その方が尋常でない思いと月日で創り上げられた芸術にただ敬意を持つ気持ちが、話し手、聴き手ともに良い時間を共有する一つの重要なエッセンスではないかと思いました。



今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました。

今日も皆さん一人ひとりの全てが輝き、慈しまれる一日でありますように。



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