ユア・ハイハート、自らの神聖さと共に。

心や魂のこと。生きる勇気と希望。
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100% Yes 【その1】

2011-11-10 15:26:50 | 癒し
自分を完全に受け容れる。長所も短所も含めて。そして喜びを感じる自分も、苦しみにもがく自分も丸ごと抱えて。

どんな自分の感情も受け止める。100%Yesと言う。そう自分に応える。自分自身への共感。
これは、どんな問題解決にも直結する、心理療法、セラピーの立ち戻るべき基本です。

でも、難しいことです。本当に難しい。
難しい、難しいと、つい繰り返してしまいましたが、「困難」と言うよりそれだけ「大切なこと」だと捉えて下さると嬉しいです。そして何事も練習です。これは、本当です。

何度も何度も、繰り返し、今まで覆っていた(自分で覆っていた)薄皮が一枚一枚はがれ、ようやく心の深い部分に落ちるものだと思います。でも、今日「難しい」と書いたのは、自分で好きな自分の部分・・・これは、一見、受け容れられ易いと思うのですが、実はなかなかストンと収まらない場合があるからです。

その一つには「自分の良いところが分からない」「自分に好きなことろなんてない」などの気持ちに端を発している場合もありますが、例え自分で判っていても、十二分に認識していたとしても、それでも受け容れ切れない。そういう場合もあるようなのです。

それ以前に、
「自分の長所を挙げてみる」「自分の良いところを認めてあげる」「自分を誉める」これらの作業や考え方が、功を奏さない場合もあるように思い始めました。


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これは、私なりに一言で言うと:

「戦っているか、否か」・・・になります。

(昨日の記事でも出てきました!「戦い」)


目的や願望があって、それを成就させようとする気持ちの有無のことをお伝えしているつもりです。もっとざっくり形容するなら「得ようとする気持ち」「辿り着こうとする気持ち」になります。

これが根底にある限り、美点と思える、思いやりも愛情も、優しさも「戦い」だと思いました。
(でも、戦うことも大切です。戦える力を持つこと、大切だと思います)

ただこればかりですと、相手も「戦い」の気配を感じて、今ひとつスムーズに行かなかったり距離が縮らなかったりするように思のです。と言うのも、得ようとする気持ちは、その対象に挑みかかることでもあり、相手に自分の渇望や飢えをイメージさせてしまうからです。

また、戦いとは文字通り、自分を賭すイメージを働かせます。
自分の身を投げ打つ、相手を傷付ける、自分も命を落とすかもしれない。そういう「大切にする」「温かさ」「心地よさ」・・・いわゆる「安心」の対極である「危検」を相手に感じさせるケースにならないとも限りません。

どんな良い方法が見つかったとしても、それのみでは、どこまで行っても何をしても、そしてどう転んでも望んだ結果とならない。いわゆる「壁にぶつかる」状況になったときは、このケースに該当しているのかもしれません。

思いやりや愛情、優しさが「武器」になってしまっているのです。例えばそういう時ではないでしょうか。。。良い部分なのに、こんなに素敵な部分があるのに、自分が好きじゃない。その自分を受け容れない・・・そんな風にジリジリしてしまう時って。


<続きます>





今回書いた「戦い」の対極の「安心」(他にも適切な喩えは沢山あると思います)・・・ともかくも対極のもの。それのイメージがこの写真です。前回の満月、9月12日、十五夜のお月さまです^^ → 間違えました!正しくは10月12日の満月です。



今日も最期まで読んで下さって本当にありがとうございました。

今日も皆さん一人ひとりの、楽しく健やかな一日でありますように。




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