生きる喜びと豊かさ。
私は、それをずっと求め続けて、考え続けて、それは何なのか、それはどういうことなのかを
ずっと知りたいと思っていました。それを経験したかったし、理解をしたかったのです。
今、それについて、私なりの言葉で表しておきたいと思います。
ただそれも、私という一個人の解釈に過ぎず、これから発展、拡大、もしかしたら逆行さえするかもしれませんが、
やはり年の瀬には、こういうことを整理しておきたいのかもしれません。
まず、それは「創造性と独創性の完全な開花と受容」と「自分の自由意志の支配」ではないかと思います。
でもそれは、到達点ではなく、あくまでスタート地点なのだと思います。
生きる喜びと豊かさとは、
今、自分が座する肉体と共に、己の存在をこの世に押し出すこと。
「私、ここにいます」「これがしたいです」「「これをします」「このように考えています」など・・
何らかの形で・・
それが目に見える形でも、見えない形でも、
心の部分でも、物質、実生活、貨幣や経済の部分でも・・自分の扉を開くことではないかと思いました。
(肉体を持って生きている以上、「手に入れる」という表現に見れるような成功も勿論素晴らしいこと。
反対に、マインド上、そこの比重が著しく少ない人は、それが少ないが故に苦しさを生んでいるかもしれません。)
それは、夢を抱くことであり、ゴールを決める(選定する)ことでもあります。
ゴールのない夢は、達成できない夢のままで終わり、
ゴールを決めるとは、それに対する自分自身への宣誓・・自己信頼を育てます。
どんな夢、どんなゴールという、内容は何でもいいのです。
ただ、その実現と、道のりに出会う様々な経験との共生・・それも、生きる喜びと豊かさかと思います。
一言で言うなれば、「葛藤がない」ことかもしれません。
また・・愛せる誰かが・・それは自分自身も含めて、愛している人々、愛せる何かがあるなら、
勿論、それも、喜びと豊かさに違いありません。
出会う人々、具現されるもの、経験していくことを「師」として受け取りながら、
出来るなら、古きを終えること、新しい光へ向かうことに逆らわず、
自分自身のその時々の感情や思考を、ある意味、愉しみながら(裁かずに)今この時を過ごしていけるならば、
もう十分過ぎることだと感じます。
何故なら、それは、ある程度の平安が少なくともあって、初めて出来ることだと思うからです。
整理・・と言いながら、とりとめのない内容になってしまいました。。
今日も最後まで読んで下さってありがとうございます。
今日も皆さん一人ひとりの愉しく、健やかな一日でありますように。
私は、それをずっと求め続けて、考え続けて、それは何なのか、それはどういうことなのかを
ずっと知りたいと思っていました。それを経験したかったし、理解をしたかったのです。
今、それについて、私なりの言葉で表しておきたいと思います。
ただそれも、私という一個人の解釈に過ぎず、これから発展、拡大、もしかしたら逆行さえするかもしれませんが、
やはり年の瀬には、こういうことを整理しておきたいのかもしれません。
まず、それは「創造性と独創性の完全な開花と受容」と「自分の自由意志の支配」ではないかと思います。
でもそれは、到達点ではなく、あくまでスタート地点なのだと思います。
生きる喜びと豊かさとは、
今、自分が座する肉体と共に、己の存在をこの世に押し出すこと。
「私、ここにいます」「これがしたいです」「「これをします」「このように考えています」など・・
何らかの形で・・
それが目に見える形でも、見えない形でも、
心の部分でも、物質、実生活、貨幣や経済の部分でも・・自分の扉を開くことではないかと思いました。
(肉体を持って生きている以上、「手に入れる」という表現に見れるような成功も勿論素晴らしいこと。
反対に、マインド上、そこの比重が著しく少ない人は、それが少ないが故に苦しさを生んでいるかもしれません。)
それは、夢を抱くことであり、ゴールを決める(選定する)ことでもあります。
ゴールのない夢は、達成できない夢のままで終わり、
ゴールを決めるとは、それに対する自分自身への宣誓・・自己信頼を育てます。
どんな夢、どんなゴールという、内容は何でもいいのです。
ただ、その実現と、道のりに出会う様々な経験との共生・・それも、生きる喜びと豊かさかと思います。
一言で言うなれば、「葛藤がない」ことかもしれません。
また・・愛せる誰かが・・それは自分自身も含めて、愛している人々、愛せる何かがあるなら、
勿論、それも、喜びと豊かさに違いありません。
出会う人々、具現されるもの、経験していくことを「師」として受け取りながら、
出来るなら、古きを終えること、新しい光へ向かうことに逆らわず、
自分自身のその時々の感情や思考を、ある意味、愉しみながら(裁かずに)今この時を過ごしていけるならば、
もう十分過ぎることだと感じます。
何故なら、それは、ある程度の平安が少なくともあって、初めて出来ることだと思うからです。
整理・・と言いながら、とりとめのない内容になってしまいました。。
今日も最後まで読んで下さってありがとうございます。
今日も皆さん一人ひとりの愉しく、健やかな一日でありますように。
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