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Pink Spider ~その空は誰のもの

2012-05-07 02:01:41 | Music
5月6日、茨城県つくば市を襲撃した竜巻の犠牲となった貴い命のご冥福をお祈りいたします。
また、被害を受けられた方々には心より御見舞い申し上げます。


去る5月2日は、アーティスト、hideさんの14回目のご命日でした。

hideさんの場合は、何て呼称を付ければいいのだろうといつも悩みます。
元X Japan ギタリスト
ロックアーティスト
アーティスト
ロッカー

私の貧弱なボキャブラリーでは到底表せない彼の才能、ポテンシャル、独自性。
hideさんは、どんな呼称も邪魔に感じるかの如く、"hide"・・・その一言で全てが賄える偉大なアーティストでした。しかしその偉大さと対極に呼応するように、暖かい、身近な存在でい続けた方でもありました。

ご命日からは数日過ぎましたが、あらためてhideさんへの想いを胸に、変わらぬレスペクトを胸に秘めながら、今日は『ピンク・スパイダー』について少し書かせて頂きたいと思います。


以前こちらの記事でも書きましたが、私は、X Japanは殆ど聴いたことがなくても、hideさんは良く(時々ブランクはありましたが)聴いていました。・・・と言うより単純にhideさんが好きでした。音楽、特にロックという分野について難しいことは分かりませんが、彼の創り出す音楽、そして繰り出すパフォーマンス、尽きることない(私にはそう思えました)才能。

まるで、人間の自在自由な可能性の形を見せてくれているようで、どうしたらこんな風になれるんだろう・・・?と音楽を聴くたび、ライブ映像を見るたび、インタビュー動画を見るたび、答えは出ずともそう思い続けました。


音楽の分野が違うだけで、ベートーヴェン、モーツァルト、バッハ、リスト、シューベルト・・・彼らを肩を並べて何ら遜色ない音楽家だと思います。そう思う一つの理由には、ハイクオリティ、且つ全く独自性のある作品を世に出し続けたこと、そして「尋常でない数の人々が熱狂した」ということが挙げられるのではないかと思います。


さて・・・
その彼の多くの作品の中でも、メタファー(比喩的表現)が全編に渡って散りばめられているこの曲。『ピンク・スパイダー』。
結果的にシングルでは、この曲が彼の遺作となりました。ちなみに作詞、作曲共にhideさんです。


私は特に間奏のセリフ部分に最も強いインパクトを受けました。

私の翼を使うがいいわ、スパイダー。
飛び続けることを知らないあなたも、いつか気が付くことでしょう。
自分が誰かの手の中でしか、飛んでいなかったことに。
そして、それを自由なんて呼んでいたことにも。


・・・「それを自由なんて呼んでいたこと」


今、「自由」という言葉は、多くの人々に響いているキーワードの一つかもしれません。

しかし、この「自由」。
自分の在り方をいうのか、自分の振る舞いを言うのか、自分が於ける環境を言うのか・・・これは、とても難しいところです。そして、このセリフのように、自分で気付かずして自由だと思い込んでいる何か。それも実は幾重にも存在しているように思います。


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この曲の冒頭あたりですが、

「君は空が四角いと思っていた」

という歌詞があります。

実際には、空によって繋がれていない国はありません。
誰一人、違う空を見ている人もいません。よって、空は四角ではありません。
空とは、無限・・・とはまた違うものかもしれませんが、しかしそういった類のものであることは確かだと思います。

ただ、「空を飛ぶ」という象徴的行為(私たちは実際には飛べませんから)が、「自由に生きること」を喩えているのであれば、その空は、自由に生きるという行為が達成されるための土台や空間、場所のことを指し示しているのではないでしょうか。

それらの力を、他者や自分以外のものに預けているのか、否か。
それらを、自分が制御し、自分が作り出しているものであるか、否か。

私は、「飛ぶ」という行為の是非やメッセージよりも、
このことを強く訴えている曲のように、最近は思うようになってきました。


私自身も「枠」という言葉を頻繁に用いますが、これは、既存、決められたもの、刷り込まれているもの、古くからの価値観、固定観念を表したいときに、よくこの一語を文中に組み込みます。

枠というものは、内部にいくらかのスペースがあります。
その枠の中を、上へ下へ、右に左に飛ぶことが果たして自由なのでしょうか。
その枠の中、最も高いポイントへ行き着くことが、自由度が高いと言っていいのでしょうか。

私の個人的な考えでは、自分が決めた価値観や概念であれば、それは「枠」をはじめ、制限がある状態のものではイメージングしにくいように思います。よって「枠」や「四角い」という、明らかに目に見える形で制限を突きつけるものには、自分以外の思惑が入っている証でもあるように思うのです。

そうした枠や四角の中のスペースを、いかに高く、いかに速く飛べるか。
その器用さ、テクニックを「自由」としてはいないだろうか。
そして、このような場合、自由と思っているその行為の土台(=空、枠、四角)は、純粋に自分で生み出したものではく・・・即ちそれはどういうことかと言うと、

元来、自分を由(よ)しとする自由が、他者の思惑や価値観に従うことに刷り変えられてしまっている。
そして、その内部のスペースで行える範疇のこと、その結果の優劣を競う。そして、それを優れている者を「自由な人」と呼ぶ。現代では、そう捉えているのではないかと思うようになってきました。


「飛び続けることを知らないあなた」


これは、他者で決めた、他者で作られた枠や四角の中を飛ぶのではなく、
飛ぶとは、自由とは・・・一見無限の、一見ゴールのないどこまでも続く空を飛ぶこと。
自分で制限かけず、どこまでも広がる空を飛ぶこと。
そのことを示しているのかもしれません。


私の筆の力の無さでツラツラと長文となってしまいましたが、それを端的に、極めて分り易く凝縮したのが、hideさんの、この曲の歌詞であると思います。

「そして、それを自由なんて呼んでいたことにも」


ただ、難しいのですが、
枠や四角があることが決して悪いことだとも私は思いません。

一つの考え得るケースとして、自分が目指す最高峰を枠の頂点とし、
そこを目指す過程で得る喜び、挫折、葛藤、楽しみを色濃く体験することで、自分の人生に反映させる人々も確実にいるのだろうと思います。ただし、hideさんの言う「君は空が四角いと思っていた」の四角には、自分の思考や意志が介在しない、他者依存により作られた四角をモデルにしていたのではないだろうか・・・と、今、そう思ってしまう私がいます。


hide 「ピンクスパイダー」 PV





今日も最後まで読んで下さって、本当に有難うございました。

今日も皆さん一人ひとりが輝き、慈しまれる一日でありますように。




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