ユア・ハイハート、自らの神聖さと共に。

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忘れないで Forgent me not

2012-02-20 01:56:13 | 癒し
もうすぐ東日本大震災、3月11日から一年を迎えようとしています。
そのためもあってか、様々なことを思い、感じ続けているこの頃です。

私は、その時々の心模様の変遷を(もちろん、全てではありませんが)twitter上では隠さずに呟き続けています。今までも、何人かのフォロワー様にも「とてもセラピストとは思えないですね(笑)。がむしゃらでひたむきに、裸の心をぶつけられてきますね」といった感想を頂戴したことがあります。有り難いことにコメントを寄せて下さった方々は(笑)マークを付けながらも、暖かい眼差しで受け止めて下さったように私は理解しました^^; ただ、人のセラピーするより、まず自分を癒した方がいいんじゃない?って感想を持たれてる方も多いのではないかとは思ってます。

実際そうなんですね。
ただ、これは一生続くことですから、それをゴールにしようとは思ってません。昇華できない気持ちや痛み、悔恨などが残っても、それと共に生きて行こうと思っています。


さて、今日書かせて頂くことは、「悲しみ」に関連します。何度か書いてきたことです。

大切な人を失ったという悲しみは・・・いつかは癒えるものと思いたいですが、そんな簡単ではないと思います。どちらかと言えば、「癒えて欲しくない」、その気持ちが大きくなるときがあるのではないでしょうか。

以前も「悲しみ」は非常に個人的な思いだと書きましたが、やはり、今でも、特にそうだと思います。五行循環に於いても、悲しみは「終着」の感情になります。黄金の実りでもあるのです。撒いた種の刈取りです。その人の変遷が現れる感情でもあるのではないかと思います。

「終着」であれば、「手放し」へと循環は動いていきます。
ただ、喪失の悲しみというのは、その不在を嘆くことであります。嘆き悲しむことで、その「不在」を「存在」に変えることが出来る、そのような心の働きが動くことが確かにあります。でも、それは、心を守るためですよね。

この防御作用は、とても大切なもので、心が限界を越えて傷付かないようにしてくれるとても大切なスイッチです。


・・・と、こういう風に書き続けていきますと、五行循環の仕組み含め、やはり悲しみは手放していくもの、乗り越えていくもの・・という図式になっていきがちなのですが、実際それは何一つ間違っていないのですが、問題は、それを「忘れる」ことと無意識下で結び付けているかどうか、ではないかという思いに至りました。私自身にも、次のような思いが繰り返し襲いました。

忘れなければ、この悲しみを乗り越えなれないのではないか。
でも、そんなことは出来るはずがなく、そして「乗り越える」ということに物凄く反発を感じてしまう・・・悲しみという「終着」から新しい循環に向かうことに。即ち、それは「忘れる」ということに他ならないから。


ただ、ある日、この曲にふと出会ったんです。
最近は聴いてなかったけれど、彼の曲の中でも大好きな曲の一つでした。

『忘れな草 Forget me not』 尾崎豊さん


聴き終わったとき、このタイトルのまま「忘れないで」・・・そう言われているように感じることができたのです。そのとき「忘れなくていいんだ」と初めて思えました。そして、乗り越えるということは、忘れるということと同義ではないと、これも初めて強く感じることができたのです。何より、忘れないでいることこそが乗り越えることなのだと、そうなのではないかと、そう確信した一瞬でした。

生きている人間は、乗り越えていかなくてはならない。それが生き残った人間の務めだと私は思います。
こと、この東日本大震災に関しても、どうしてあなた方が?という気持ちに打ちのめされるときがあります。どうして東北が?と。ですから、私がここで述べた「乗り越える」とは、もちろん、自分が楽になって、悲しみ、苦しみを脱ぎ去って・・・という意味ではありません。生き残った人間には責任があると、堅く信じています。次に行き、自分が成し得られるものを成す責任が。

そしてその為に、「忘れないで欲しい」そういう気持ちを受け取りました。
これは震災に係わることだけではないと思います。私を含め、一人ひとりの今生きている舞台に於いて関連していることは多いのではないかと思います。


また、これは母の言葉ですが、昨年震災後に心身が不安定になり実家に戻っていた頃に言われましたが(母は、時々、びっくりするくらい私に必要なことを言ってくれます。本当に遠い距離の母娘でしたが)

「今は大震災言うても、避難所があって、何とか食料もあるやろ?戦争が終わった頃は、みんな飢死してたんやで。道端でごろごろ人が死んでいったんや。お金持ちかて、あの頃はみんな食べるものが一番やから、お金持っていったって農家の人は食べるものはを渡さなかった。そうやってみんな死んでいったんや。それでも、みんな一丸になって乗り越えて日本をここまで立て直したんやから、あんたら若い人らも絶対に乗り越えていかなあかん。」

お金があっても、食料が手に入らない。
福島第一原発事故が起こった今、そして収束とは名ばかりの今、
このことが再び現実にならないと言うことが出来るのでしょうか。


だから・・・被災地以外の皆様も、決して忘れないで欲しいと思います。2011年3月11日を。何より、現実としても、まだ終わっていません。被災地の復興、瓦礫の受け入れ問題、福島県の方々の避難の問題、福島第一原発の状況。まだ現在進行形で進んでいます。まだまだ道の途中です。

forget-me-not




今日も最後まで読んで下さって、本当に有難うございました。

今日も皆さんの全てが輝き、慈しまれる一日でありますように。


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