富士松延千代のホームページ http://www8.ocn.ne.jp/~hirake58/
カーテンの中で、超音波の検査をしながら、「大丈夫ですね。どこも異常ありません」と先生。
「ありがとうございます」と私。
洋服を調えてカーテンを出ると、先ほどの撮影したマンモグラフィーの説明。
「また、来年ですね」と先生。
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いまや、1年に一度の乳がん検診、子宮がん検診、、、、
国をあげて鉦や太鼓で癌検診を勧めてくれる。
市からも各種癌検診のチケットまで送られてくる。
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ありがたい事だと思う。
こうまでしてくれると、おっくうだと思っていた者まで、つい検診に行くという寸法だ(笑)
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乳がんと言えば、思い出すのは・・・・
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母が危篤の病室で、家族が見守る中、お医者さんや、看護婦さんがせわしなく出入りしているのを、当時、小学生だった私は、悲しいとか言うより、恐怖で、ただ、呆然と、思考停止状態で、ベットの脇で突っ立っていた。
そのとき、ガウンをひっかけた女の人が 突然、病室に入ってきて、大声で泣き始めた。
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すごく怖かった。
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母は胃がんだったけど、その人は、乳がんだったらしい。同じ病棟でお友達だったそうだ。
そのとき、初めて、そんなところにも癌が出来るのだと知った。
後に、「あのときに、病棟で、お友達だった方は、みんな、亡くなられたらしい」家族が話しているのを聞いた。
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当時は「癌」=「死」だった。
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あれから・・・・医学も進歩したし、世の中も進歩した。
ありがたい事だと思う。
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病気も色々あるけれど、私達が、今、こうして元気なのは、自分達の生命力だけのおかげでなくて、過去の色んな積み重ねの進歩のおかげでもあるんだなって、つくづく思う年末のひと時でありました。