愉快的生活~上海~

2009年4月から始まった上海生活の中での新たな出会いや発見、中国語の勉強法など。

再来中国

2009-04-13 22:10:01 | 中国語
私が初めて中国に来たのは93年。
友人との北京と桂林への観光旅行が初めてだった。
北京・桂林の名所をざっと観光し、最後はメインの香港でお買物三昧という典型的OLの旅行だった。

学生時代の専攻が中国語だというのに、私は中国大陸に行くことを頑なに拒否し続けていた。そのころ、中国に関する本と言えば、文化大革命にまつわる本が出回り、天安門事件の傷痕もまだ生々しいころで、聞けば聞くだけ一層、中国とはようわからん遠い国になっていった。

その後、中国には興味のなかった私に転機が訪れた。
社内の異動で、中国担当になったのだ。
「表敬訪問」と称して、次から次へとやってくる国営企業のエライさんたち10名ほどの毎回のアテンドが私の仕事になった。
月に何組来るんや!というくらいに次から次へとやってくる。
このとき、まあ中国語は使ってはいたものの、「専攻」でした、というのが恥ずかしいレベル。

そんな時、ふと、思ってしまった。中国へ行ってみよか、と。
自分がきちんと中国と向き合うことなく中国語を適当に話してるように感じたのだと思う。

どんな風に手続きしたのか、えらい心配する母になんと説明したかもよく思い出せないが、とにかく半年間の予定で北京へと行った。
あの半年は、まあよく勉強したように思う。

みっちり充実した半年の短期留学期間を終えたあと、私は、あっさりと日本に帰った。そのまま継続して留学生として勉強する、という選択もなかったわけでもないけれども、そこまでの根性がなかった私。

ちょうど、その留学から帰った3ヶ月後、今の夫くんと結婚式を挙げることになってたのも帰国の理由だった。
帰国に際して、ちょっと帰国を渋ってみた私に、夫くんは、言ったものだ。

「また中国に行って勉強したかったら、結婚してからでも行ったらいいやん。」

それから10年あまり。
夫くんの言葉は、現実のものになってしまいました。
今回は、半年どころが、何年計画になるのだろう・・・?

そんなわけで、今は留学生のように中国語の勉強に励む毎日を、ここ上海で過ごしている。当面の目標は、6月21日に行われる、HSKという中国語のTOEICみたいな試験で、中級の一番上の8級を取ること。

もう一度チャンスをくれた(?)夫くん、ありがとう。
またがんばるよ~~

古くて新しい町

2009-04-13 11:22:38 | 街の風景 ~上海~
日曜日の夕方、外で食事をしようということで、家から地下鉄でひと駅行ったところにある衡山路に行った。

このあたりは、昔のフランス租界があったところ。
古い洋館が通りにずらっと立ち並び、私の住むエリアとは一気に雰囲気が様変わりする。いうなれば、大阪・難波の中心のガサガサした感じと、神戸の山手あたりのシュッとした感じかなあ。



このあたりの洋館・通称「老房子」には、もちろん今でも人が住んでいる。
昔から住み続けている中国人はもちろんのこと、こうした洋館暮らしに惹かれる外国人たちが、素敵な内装を施し住んでいるのだとか。

こうした老房子の出入り口から、ひょっこり中国人のおばあちゃんが出てきたり、かと思えば、白人が傍らのカフェに入っていく。
なんとも不思議な光景。


また、これらの老房子を利用した、素敵なフレンチレストランや、イタリアンレストラン、ベーカリー&カフェや、気の利いた雑貨屋さんなど。
まさに、今のファッション雑誌に出てくる、いわゆる「オールド上海」そのもの。



ここは、フランスのPAULというべーカリーとカフェが入った「Villege」というファッションピル。



またこちらは、ウィリアムズソノマ的な、インポートのキッチン雑貨を扱ったお店。

その他、アンティークショップなど素敵なお店をいろいろ見つけて、テンションは上がりまくってしまいました。

今度は昼間に来て、ぜひともじっくり散策せねば!
さっそく自転車を購入要かも。

毎日、市内のあちらこちらで、来年の万博に向けた工事が行われ、めまぐるしいスピードで街の風景が変わっていく上海の街。
そんな街のスピードに疲れたときには、この悠然とした雰囲気の通りにやってきて、クールダウンしたいと思った。

どこに居ても、自分の楽しいこと・心地よい場所を見つけるのは、私の得意技。
この街で、あとどれくらいいるのかは分からないが、自分の住む場所を好きになれるよう、いろんな「好きなもの」を毎日発見していきたいと思う。