今回の東京電力福島第一原発では 多大な汚染を遣らかした。
未だに汚染ベクレルがハッキリしないほどだ。
原子力発電所の壊滅的な事故それに尽きる。
ホットスポットがある以上一部を捉えて風評という事出来ないのだ。
何もかもが汚染された現実がそこにある。
汚染濃度が悪いにも拘(かかわ)らず被害を小さく見せる為に
安全だと言い張り危険な地域に子供を含め被災者を缶詰めに
して仕舞ったのだ。
それが原因で被曝した子供が少なくない。
微量な汚染と言い張り煙草より害は少ないなどと
弄して被害を拡大させたのはチェルノブイリと同様である。
責任者は万死に価するだろう。
<「原発事故たいしたことない」と言い続けたエリートたちのパニック>
そう何も情報を持っているわけでもないのに
安全と言う瞞(まやか)しに人々を追い込み
不要な被曝にさらした。
繰り返し言うが万死に価する。
<原発事故から1週間から10日ほどの間、ツイッター上では、実に多くのブロガーや知識人が、「事故は大したことない」「すぐに収まる」「放射線も東京までは来ない」「福島も大丈夫だ」「メルトダウンしているわけがない」とツイートし続けました。しかし、あれらの発言にどれほどの根拠があったのか、疑わしいかぎりです。にもかかわらず、彼らは、原発事故について騒ぐ大衆は愚かで、自分たちこそが「理性的」だと言い張っていた。あの光景はじつに醜かった。>
高度に情報化された日本でこの為体だ。
エリートと自称する人達はどう責任を取るつもりなのか。
<プルトニウム漏れの情報が流れたときも、「プルトニウムは実は大して危なくない」というツイートが、タイムライン上に次々現れました。さすがにそれはないですよね。>
安全デマが蔓延(はびこ)った結果だ。
<さらに、致死リスクだけをとりあげて原発は相対的に安全だという意見も出てきました。タバコよりも安全とか自動車よりも安全とか。あれも奇妙な現象でした。 >
チェルノブイリと同じ事を繰り返したのだ。
<ひとつの町が放棄される、というのはどういうことか、目の当たりにしてきました。タバコの発がん率がいくら高くても、タバコの副流煙ではそんなことは絶対起きないですよね。何百年と歴史がある地域共同体そのものが放棄される、そのコストの大きさが問題です。 >
そんな事も弁(わきま)えない者が安全デマを広げ
被曝しなくてすむ人を被曝させたのだ。
<さらに最近では、福島の事故をチェルノブイリ事故と比較した挙句、そもそもチェルノブイリ事故自体が大した事故じゃなかった、とまで言う人が現れている>
安全デマは詐欺師だったのだ。それで全ての合点がいく。
<「風評」も含めての市場であり、現実である
風評被害という言葉も一人歩きしています。風評被害という言葉の背後には、「現実」にはその商品なり土地なりは安全なんだという発想があるわけですが、そもそも市場経済において「現実」の商品価値と「風評」の商品価値をそんなに簡単に分けられるものではないですね。 >
相対的な価値が下がったこれは現実である。
<いずれにせよ、原発のリスクにはそういう風評被害も含まれる。「合理的」な人々は、そのような被害が生じるのは大衆が愚かだからだと言うのかもしれませんが、だとしたらなおさら、現実に大衆は「愚か」なのだからその可能性を考慮するのが合理的です。ぼくたちはそもそも風評のうえで生きているんです。それを傷つける危険があるものは、すでに実質的に危険なんですよ。>
事故とは最悪を想定して準備しておくことが肝心である。
それを遣らないのならばそれは愚か者が仕切っていたにすぎない。
繰り返されるモノ
光景
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