国政選挙において、選挙区ごとの有権者数が異なるために発生する「1票の格差」。
昨日(9/4)、最高裁で「最大5.13倍に達していた04年の参院選挙区選挙での定数格差は憲法に定めた法の下の平等に反するまでには至っていない」との判断が示された。
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20061005k0000m070142000c.html
難しい問題ですよね・・・
今回は「5倍でも止むを得ないのではないか」という判断だと考えますけど、では6倍では? 一方でなぜ2倍未満ならOKなのか?
選挙区をなくして全国区にしない限りは必ず「議員一人あたりの有権者数の格差」は生まれます。
「格差」というと、深刻な問題のように感じますけど・・・
そこにそんなにこだわる必要があるのか?
考えるべきは、議員は誰の代表なのか?ということではないでしょうか。
よく言われるのが、「議員は地域の利益代表者ではない。国益を優先して考えるべきだ。」ということがあると思います。
でも、選挙はやはり地域で選ばれるのが当然となっている不思議。
出身地でも、年代でも、職業でも、所得でも、趣味でも・・・何でも良いはず。でも、国政選挙は地域別のみ・・・
確かに投票・開票の効率を考えたり、住んでいる地域が個人の属性を最も言い表していた時代であれば、地域別の選挙が当然だったのでしょう。
けれども、現在は技術的にはどんな区分けでも投票・開票の効率的な運営は可能でしょう。また、近隣とのつながりを失いつつある昨今、個人の属性は住居だけではなく、会社(職業)が代表だと思いますけど、さまざまな要素が複雑に絡み合っています。
そろそろ、直接選挙も含めて、選挙のあり方を抜本的に見直す時期に来たような気がします。年金や医療などが大きな課題なのであれば、思い切って「年代別選挙」制度も有効かもしれません。また格差社会が問題なのであれば、「職業(所得)別選挙」制度も有効ですよね。
問題なのは格差の数字ではなく、特定の地域に偏った利益代表者が出てくるかもしれないという問題なのでしょう。
みなさん、ハローです。ホディです。
「民主主義とは間接民主主義だ」と今は当たり前のように言われています。
一方で「1票の格差」の議論となると、そもそも一人ひとりの国政への意思が、選挙区ごとに「議員を多数決で選ぶ」つまり「少数意見は切り捨てられる」制度が「法の下に平等である」と言えるのか。
また、4万人の「信」を集めた議員と8万人の「信」を集めた議員でも、国会では同じ1票を持つだけです。国会での『「信」の格差』は問題ではないのか。
いろいろなことを考えさせられています。
本当に格差をなくしたいのであれば、直接民主制度しかないとさえ感じます。
そういう意味では「良心の府」だけでも直接民主制度を取り入れるというのも、検討の余地はあると思いますね。でも、「議員の利益代表者」となってしまっている議員による国会ではそういう議論は出来ないのでしょうか・・・
「1票の格差」は何の格差か?
今回の最高裁の判断、その前の国会の修正案、今日の新聞の論調、そして受け止めるボクらの思いと無関心・・・
実はこれらすべての間に、微妙に埋められない溝がある気がします。
その溝が、本当の「1票の格差」ではないかと、ボクは感じています。
その格差は、裁判でも国会でも解決できない・・・
ボクらそれぞれが権利を行使することで、埋めていくしかないのでしょう。
憲法では国会議員とは全国民の代表と定めているため,国会には「統計的」に見た様々な地域,職種の人たちが参入している「ミニジャパン」であることが建前とされています。
選挙区ごとの定数がアンバランスだとこの「様々な地域代表」のバランスが崩れ,「ミニジャパン」にならないという点があるといえます。
もっとも,地域差に限らず,職種,男女比などをみると,今の国会はもはや「ミニジャパン」ではなく「政党ジャパン」になっているため,そういう意味では,地域格差だけを見直すのはいかがなものか,もっと制度自体見直す必要があるといえるのかもしれませんね。
おっしゃるとおり「制度自体見直す必要がある」とボクも感じています。
「政党ジャパン」であったり、政治を職業にしている人たちの集合体の国会になったりで、本当に国民の意思が国政に反映していないのではないか・・・
「ミニジャパン」はなかなか簡単ではないですけど、これが実現できないと民主主義は名ばかりのような気もしますよね。
こんな思いも議員に託すしかないのもボクらの民主主義なんですよね。