日経新聞の朝刊に『大機小機』というコラムがあります。今日の21面のそのコラムで、「会社の経営目的と大証の増配」という見出しの話が書かれていました。
朝の眠気が一気に覚めるくらいの難解な文章でしたので、今日はこの内容を紹介しますね。
みなさん、ハローです。ホディです。
自分の理解を確認するためにも、今日は全文を引用して、少しコメントしたいと思います。
会社の経営目的は会社によって違う。
規制がなくても公益重視を強調する会社もある。
国家を担う覚悟で国の基幹産業を経営する会社もある。
古くからの社訓を丁寧に守り抜く会社もあれば、容易に利益をはき出す会社もある。
どれもが許される。
評価するのは投資家だ。
と書き始められます。
ここで言いたいのは、「会社の経営目的を評価するのは投資者だ」ということですよね?
ここから話は迷走します。
欧米のように投資者イコール市民を想定するなら、評価するのは市民社会だ。
国民の飢えを解消しようとする会社に投資したものは、国民の飢餓の救済に貢献したのだから、後に株高によって報われるのは当然だ。
会社というのはなべて株主価値の最大化を経営目的としている、などということは決してない。
ここで突如として市民社会が登場し、その後は二度と現れません。通りすがりの「市民社会」です。
これは何が言いたいのか?
そして、「国民の飢えを解消しようとする会社に投資をしたものは(中略)株高によって報われるのは当然だ」と株式市場を全く無視した暴論が飛び出します。
そして、これまた文脈を無視した3行目。きっと著者はここが一番言いたいサビの部分なんでしょうね?
英国のように、公益目的のcompany(会社)も営利追求のcompanyもあるなら、営利追求は営利目的のcompanyだからにすぎない。
中間法人法も特定非営利活動法人(NPO法人)法も不要の世界である。
日本の会社観は極端に営利追及に偏っている。
その中でも営利一点張りが追求される例外的な存在が投資ファンドである。
なぜならその運営者は出資者に対し受託者として最良執行義務を負っているのだから。
こうしたファンドの運営者は会社制度のあり方全般を論ずる最適任者ではない。
株主価値の最大化とは、そうした見解を採用することが最大多数の最大幸福に資するはずだとの経済的仮説に基づく行動原理にすぎず、法制度論が当然に採用すべきものではない。
ここでは最初に通りすがりの「英国」が出現します。1行目と2行目は何のための説明なのか?理解できません。
そして突然の「日本の会社観は極端に営利追及に偏っている。」という断定が出現します。
そして、前振りの4行目と5行目を挟んだ後の「ファンドの運営者は会社制度のあり方全般を論ずる最適任者ではない。」というどこかのファンドを意識したような決めつけがここで飛び出します。
・・・
次に「株主価値の最大化とは(中略)法制度論が当然に採用すべきものではない。」と意味不明な文書となり、いよいよクライマックスに突入します。
株式会社証券取引所はあくまでも証券取引法の法目的を達成するための存在である。
会員制より株式会社の方が法目的を達成しやすいがゆえに採用されるにすぎない。
所有と経営と施設利用者が一致する会員制の方がよほど私益追求になりやすいのだ。
株式会社証券取引所の株主の影響力は、安易なバブルの形成と戦う公共財たる証券市場規制目的の意義には遠く及ばない。
もとより証券取引所の利益剰余金はどこからみても株主のものであるはずがない。
大阪証券取引所は投資ファンドの要求に応え年間配当を前の期より五千円も高い九千円にするという。
証取法の目的達成という目的達成という経営目的にかなう、経営判断の一環としての配当政策によるものならともかく、経営目的が株主価値の最大化だから、株主に要求されたから、というのなら責任ある行動とは到底言えないだろう。
「株式会社証券取引所は」で始まる段落は、株式会社であることを否定する文章のように感じます。会員制が利益追求になりやすいのが問題なのであれば、それを補う法改正を行うべきだったはずで、それでも株式会社を選んだ、さらに上場を選んだ以上は自分たちが運営する株式市場という同じ土俵の上で株主に対して公正な企業運営が求められて当然だと思います。(もちろん、保有割合の上限などの法律で定められた範囲内ということが前提であるが・・・)
「証券取引所の利益剰余金はどこからみても株主のものであるはずがない。」とは株式会社の根底を揺るがす暴論ですね~
利益剰余金の全額が株主のものであるとまでは言いきりませんが、利益配当請求権は当然に株主に認められた権利であり、利益剰余金は株主が還元するよう求められるものですので、ここは全く理解できませんね~
冒頭で「会社の経営目的を評価するのは投資者だ」と言いながら、すっかり投資者(株主)を軽視した発言です。。。
最後は村上ファンドの株主提案からの一連の動きを意識した批判だと思いますが、九千円が高いか低いかは別として、内部留保として確保しなければならない根拠を明確に示せなければ、株主の請求に基づき還元することは経営者も否定できないですし、ボクらも批判できないと思います。
村上ファンドのホームページには以下のように載っています。
http://www.maconsulting.co.jp/page_j/kabu_1.html
■ 「上場」の意義
会社が株式公開する目的は第一義的には資金調達にあります。
そして公開した以上は、株主価値・企業価値を向上させる責任が経営者にはあります。
こんどは東京証券取引所が上場をしようとしているそうです。
ボクも「証券取引所はあくまでも証券取引法の法目的を達成するための存在」であることは同意見です。企業が本来求められている“目的”を認識したうえで正しい会社の形態を求めるべきではないでしょうか?
証券取引所は上場企業である必要はないと思います。
また、日経新聞のコラムを書く記者(どこかの作家?)でもこのような暴論(?)を展開するんですね???
少し驚いています・・・
※ボクの理解が間違っているのであれば、ぜひご指摘ください。
いつも言いますが、せっかく会社とは?株主とは?経営者とは?・・・と考える時流となっているので、ぜひ企業の経営者や投資家(もちろん“ファンドの運営者”も入ります!)、有識者、政治家などを中心として、もっと多くの議論と有意義な主張を展開して欲しいですね。
そしてボクら一般市民も問題意識を持って、勉強し、議論に参画していきたいですね~
朝の眠気が一気に覚めるくらいの難解な文章でしたので、今日はこの内容を紹介しますね。
みなさん、ハローです。ホディです。
自分の理解を確認するためにも、今日は全文を引用して、少しコメントしたいと思います。
会社の経営目的は会社によって違う。
規制がなくても公益重視を強調する会社もある。
国家を担う覚悟で国の基幹産業を経営する会社もある。
古くからの社訓を丁寧に守り抜く会社もあれば、容易に利益をはき出す会社もある。
どれもが許される。
評価するのは投資家だ。
と書き始められます。
ここで言いたいのは、「会社の経営目的を評価するのは投資者だ」ということですよね?
ここから話は迷走します。
欧米のように投資者イコール市民を想定するなら、評価するのは市民社会だ。
国民の飢えを解消しようとする会社に投資したものは、国民の飢餓の救済に貢献したのだから、後に株高によって報われるのは当然だ。
会社というのはなべて株主価値の最大化を経営目的としている、などということは決してない。
ここで突如として市民社会が登場し、その後は二度と現れません。通りすがりの「市民社会」です。
これは何が言いたいのか?
そして、「国民の飢えを解消しようとする会社に投資をしたものは(中略)株高によって報われるのは当然だ」と株式市場を全く無視した暴論が飛び出します。
そして、これまた文脈を無視した3行目。きっと著者はここが一番言いたいサビの部分なんでしょうね?
英国のように、公益目的のcompany(会社)も営利追求のcompanyもあるなら、営利追求は営利目的のcompanyだからにすぎない。
中間法人法も特定非営利活動法人(NPO法人)法も不要の世界である。
日本の会社観は極端に営利追及に偏っている。
その中でも営利一点張りが追求される例外的な存在が投資ファンドである。
なぜならその運営者は出資者に対し受託者として最良執行義務を負っているのだから。
こうしたファンドの運営者は会社制度のあり方全般を論ずる最適任者ではない。
株主価値の最大化とは、そうした見解を採用することが最大多数の最大幸福に資するはずだとの経済的仮説に基づく行動原理にすぎず、法制度論が当然に採用すべきものではない。
ここでは最初に通りすがりの「英国」が出現します。1行目と2行目は何のための説明なのか?理解できません。
そして突然の「日本の会社観は極端に営利追及に偏っている。」という断定が出現します。
そして、前振りの4行目と5行目を挟んだ後の「ファンドの運営者は会社制度のあり方全般を論ずる最適任者ではない。」というどこかのファンドを意識したような決めつけがここで飛び出します。
・・・
次に「株主価値の最大化とは(中略)法制度論が当然に採用すべきものではない。」と意味不明な文書となり、いよいよクライマックスに突入します。
株式会社証券取引所はあくまでも証券取引法の法目的を達成するための存在である。
会員制より株式会社の方が法目的を達成しやすいがゆえに採用されるにすぎない。
所有と経営と施設利用者が一致する会員制の方がよほど私益追求になりやすいのだ。
株式会社証券取引所の株主の影響力は、安易なバブルの形成と戦う公共財たる証券市場規制目的の意義には遠く及ばない。
もとより証券取引所の利益剰余金はどこからみても株主のものであるはずがない。
大阪証券取引所は投資ファンドの要求に応え年間配当を前の期より五千円も高い九千円にするという。
証取法の目的達成という目的達成という経営目的にかなう、経営判断の一環としての配当政策によるものならともかく、経営目的が株主価値の最大化だから、株主に要求されたから、というのなら責任ある行動とは到底言えないだろう。
「株式会社証券取引所は」で始まる段落は、株式会社であることを否定する文章のように感じます。会員制が利益追求になりやすいのが問題なのであれば、それを補う法改正を行うべきだったはずで、それでも株式会社を選んだ、さらに上場を選んだ以上は自分たちが運営する株式市場という同じ土俵の上で株主に対して公正な企業運営が求められて当然だと思います。(もちろん、保有割合の上限などの法律で定められた範囲内ということが前提であるが・・・)
「証券取引所の利益剰余金はどこからみても株主のものであるはずがない。」とは株式会社の根底を揺るがす暴論ですね~
利益剰余金の全額が株主のものであるとまでは言いきりませんが、利益配当請求権は当然に株主に認められた権利であり、利益剰余金は株主が還元するよう求められるものですので、ここは全く理解できませんね~
冒頭で「会社の経営目的を評価するのは投資者だ」と言いながら、すっかり投資者(株主)を軽視した発言です。。。
最後は村上ファンドの株主提案からの一連の動きを意識した批判だと思いますが、九千円が高いか低いかは別として、内部留保として確保しなければならない根拠を明確に示せなければ、株主の請求に基づき還元することは経営者も否定できないですし、ボクらも批判できないと思います。
村上ファンドのホームページには以下のように載っています。
http://www.maconsulting.co.jp/page_j/kabu_1.html
■ 「上場」の意義
会社が株式公開する目的は第一義的には資金調達にあります。
そして公開した以上は、株主価値・企業価値を向上させる責任が経営者にはあります。
こんどは東京証券取引所が上場をしようとしているそうです。
ボクも「証券取引所はあくまでも証券取引法の法目的を達成するための存在」であることは同意見です。企業が本来求められている“目的”を認識したうえで正しい会社の形態を求めるべきではないでしょうか?
証券取引所は上場企業である必要はないと思います。
また、日経新聞のコラムを書く記者(どこかの作家?)でもこのような暴論(?)を展開するんですね???
少し驚いています・・・
※ボクの理解が間違っているのであれば、ぜひご指摘ください。
いつも言いますが、せっかく会社とは?株主とは?経営者とは?・・・と考える時流となっているので、ぜひ企業の経営者や投資家(もちろん“ファンドの運営者”も入ります!)、有識者、政治家などを中心として、もっと多くの議論と有意義な主張を展開して欲しいですね。
そしてボクら一般市民も問題意識を持って、勉強し、議論に参画していきたいですね~
最近ロム専門のkasaです。
会社の経営目的と形態、興味深く拝見させてもらいました。現在、身に詰まされる日々をおくっていますので。
まぁ、そのへんは今後の飲み会で。では。
コメントありがとうございます。
経営目的に合った会社形態、そしてその形態ごとに外部チェックの働く仕組み作りが肝要だと思いますね。
大変そうですが、がんばってください。